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2008-10-15

クレィドゥ・ザ・スカイ : 森博嗣

 シリーズの中で、一番忌々しくも、一番清々しくて、綺麗だと思ったのが、「スカイ・クロラ」のカンナミ・ユーヒチだった。理解されることを拒絶し、最小の抵抗・摩擦の中で軽々と空へと飛び上がっていったカンナミ・・・地上の重さをすべて捨てたかのようなその姿は、どうしようもない大きな欠落を感じさせたけれど、確かに泣きたくなるほど綺麗だった。

 それに比べて、クサナギやクリタは、「飛びたい」と切望しながら常に重力に引っ張られている、そんなアンバランスさを感じさせていた。

 カンナミとクサナギ、クリタのこの違いは何なのか? それぞれの個性、キルドレとしての個体差なのか? ・・・と思っていたのだけど。


 そういうことだったのか・・・。いや、本当は理解できてはいないのだけど、やはり・・・。

 空でだけ息をし、新しく目覚めるたびに、「空を飛ぶこと」以外を削ぎ落として(失って)、どんどん軽く、純度を高く研ぎ澄まされていく。

 それが悲しいことなのか、幸せなことなのかは解らない。ただ泣きたくなるような何か・・・。

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genre : 本・雑誌

2008-08-30

イナイ×イナイ : 森博嗣

 S&Mシリーズ最初の2作しか読んだことないのに、Vシリーズ、Gシリーズは手に取ったことすらないのに・・・何か、たまたま目の前にあったので読んでみた。

 旧家の広大なお屋敷、当主の死、美貌の双子、地下牢に閉じ込めらていると噂される行方不明の長男、口のきけない下男、秘密の通路・・・まるっきり横溝な道具立て。密室での凄惨な事件に、学校サボリがちの芸大生と、仕事できそうなおネエさんのコンビが挑む。

 黒衣の美人・佐竹千鶴が「兄を探してほしい。」と椙田事務所を訪れるところから事件が始まる。森作品を読むときには、いやに身構えるクセがついてしまったんだが、この話では特に読者を悩ませたり、唸らせたりする会話も謎かけもなく、割とすんなりと事件は解決へ。このスピード解決は、一々その場その場に応じた疑問や可能性を提示し語ってくれる探偵役の芸大生・真鍋の力による所が大きいのだけど、椙田氏によると、そういうやり方をするのは、頭のバッファが足りない証拠なんだそうだ。

 おどろおどろしい道具立ての中での血なまぐさい事件・・・盲点になっていた事柄が明らかになって、するすると真相が明らかになっていく。確かに気持ちよく事件は解決するのだけど、何だか満足していないものを自分の中に感じて考える。

 そうか・・・、ドロドロが足りないんだ。

 この旧家の人たちの間に渦巻いていただろう思惑・軋轢、複雑にからむ人間関係、それぞれの心の中がいたってドライに扱われているところに、肩すかしをくらったような気分を味わう。私って、ミステリーを読む時は、そこに仕掛けられた知的なゲームを楽しみたいのではなく、事件の周辺の人たちが抱える事情を覗き見するという、お昼のワイドショー的下世話な興味を満たしたかったのだなと解ってちょっと愕然。

 結局、当事者の意図とか思惑は考慮されなくても、理屈と検証で事件は解決・理解されていくわけで・・・そのへんのモヤモヤ感も森ミステリの味わいか。それにしても、あまりにも佐竹家の人たちの心の内が読めないんで、私なんか“なんで千鶴は兄の捜索を頼んだんだろう?”と頭を抱えている始末。

 シリーズ第1作のため、登場人物顔見世~という観もあり。他シリーズとの人物のつながりもあるようだけど、他作品を読んでいない私にはよく解らん。

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genre : 本・雑誌

2008-07-02

フラッタ・リンツ・ライフ : 森博嗣

 イメージは鮮明に焼きつけられているのに、ディティールはいつの間にかぼんやりして思い出すことができない。

 空を飛び、バイクを走らせ、タバコを吸い、コーヒーやソーダを飲む、クサナギ、カンナミ、トキノ、クリタ、ササクラたちの姿は、写真かビデオの映像を見るように、この目にはっきり見ることができる。彼らの美しさ、痛々しさ、清々しさ、空へと上がっていく軽さは、忘れられない印象となって胸にある。

 それなのに、その姿が、彼らの見せた表情が、いつ、どこで、誰と居る時の、何をしているときのものだったのか・・・それを思い出そうとすると途端に目の前に靄がかかったようになってしまう。

 シリーズの新作を読む度に、それまでの作品も繰り返して読んでいるのに、生身の彼らが体験した現実のディティールをうまく憶えておくことができない。

 「スカイ・クロラ」では、理解されることを拒絶し、最小の抵抗・摩擦の中で軽々と空へと飛び上がっていったカンナミの姿が、「ナ・バ・テア」「ダウン・ツ・ヘヴン」では、空で生きることを強く望みながら、地上へ地上へと落ちていくクサナギの姿だけが、ただ一つの印象として強く強く刻まれている。

 シリーズ4作目の本作はクリタ・ジンロウとクサナギ・スイトの物語。例によって、ページを閉じるとクリタが口にしたこと、彼がとった行動、そのディティールは、早くもぼんやりと遠くにいってしまう。ただ、クサナギの存在によって、「憧れ」(空への、自由への、美しさへの・・)を自分の中に灯していたクリタと、クリタにとって「憧れ」を呼び起こす存在そのものであったクサナギの姿が、また強く私の中に焼き付けられる。

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2008-03-19

少し変わった子あります : 森博嗣

 名前も無い、決まった場所も無い、毎回違う場所で、看板も出さずひっそりと営業する不思議な店(その店のことを「私」に教えた男は一月程前から行方不明だ)。

 全てに於いて感じが良いが、全てに於いて何の印象も残さないこの店で、「私」は正面に座る一人の女性(名前も素性も不明。料理を食べる仕草が美しいという他は特別な点のない、ただ普通の女性である。「私」の正面に座る女性は、「私」が店を訪れる度に変わり、二度と同じ人に会うことは無い。)と一緒に料理を食べ、ひと時と過ごす。

 何にも邪魔されない、煩わされないこの不思議な店で、「私」は私だけの世界、純粋な思考の中に沈んでいく。

 たった一度、ほんの短い時間だけ共に過ごす女性と交わす言葉は(二人とも何もしゃべらず過ごすこともあるが、その時はその沈黙が)「私」の「孤独」を起動するスイッチになり、「私」の中に次々と現れる記憶、様々な考察、名づけようのない抽象的な思考・・・。

 「私」の頭がそういうとりとめのない活動をする様は、保坂和志の「カンバセイション・ピース」にも似た感じ。

 ところで、この本を読んでいると、「私」に現れたのと似たような作用が、読者であるこちら側にも現れる。目は本の文字を読みながら、頭の中では別の個人的でとりとめのない考えが回り始める。本の中で、「私」の正面に座る女性の役を、この本がしてくれるということか・・・。

 本の中の「私」が心地良い一室で美味しい料理を口にしているのに比べ、読者である私は電車待ちのホームの上とか、ランチ客でざわざわするカフェとか、隣で家族がテレビを見ている騒がしい自宅リビングにいるというのは、あまりに待遇が違いすぎるじゃないか! とは思うけど・・・。

 さて、この不思議な店にしげしげと通った「私」は(そして「私」にこの店を教えた男は)その後どうしているのか? この不思議な店は何なのか? 孤独を愛する人の為に良質な孤独を実現させる空間? はたまた、孤独に浸りたがる人間を、社会から間引いてしまう装置?

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2008-02-06

ダウン・ツ・ヘヴン : 森博嗣

 「ナ・バ・テア」に続く、戦闘機乗り・草薙水素(クサナギ・スイト)の物語。

 空でしか笑えない子供-キルドレであり、飛ぶことを何よりも望んでいるクサナギなのに、皮肉にもその優れた飛ぶ-戦闘機を操る能力の為に、地上へとどんどん引き摺り下ろされていく姿が痛々しい。前線で飛ぶことよりも地上で指揮官となることを迫られ、意に反してクサナギの身体は空からどんどん離れ・・・。

 クサナギには酷なことかもしれないけれど・・・前作・本作と読んでみて、その飛ぶ能力、空への思いとは裏腹に、クサナギは本来『地上の人』なのではないかと・・・。シリーズの一作目「スカイ・クロラ」でのカンナミの、周囲との抵抗がとても少なく、軽々と空に上がっていく姿~空で生きるべくして生きているような姿と、どこか常に重力を感じさせるクサナギの姿はかなり違っているように見える。空は、クサナギが生きる場所ではなくて、地上では生きたくない彼女の逃げ場なのではないかなぁ。

 本作ではクサナギとカンナミが空を飛ぶ者同士として接触する場面が何回かある。もう少し“何か”が浮き彫りになるのではないか?と思ったのだけど、今のところこの2人についてははっきりと明言されることはない。(ん? ここに出てくるカンナミと「スカイ・クロラ」のカンナミは同一人物でいいのかな?)

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2007-12-29

ナ・バ・テア : 森博嗣

 大人にならず永遠を生きる子供-キルドレ。戦闘機に乗ることを職業とし、空にいるときだけ楽に呼吸ができているかのような彼らを描くこのシリーズは好きだ。だけど、一口に感想を言うのは難しい。

 本作は、前作「スカイ・クロラ」にパイロット・カンナミの上司として登場していたクサナギの物語。前作で、カンナミはある意味清々しいほどに、自分が特別であることを認識していて、「自分」という存在が生み出す抵抗を最小限に小さくして、軽々と空に飛び上がっているように見えた。それに対してクサナギは、その言葉や、空中での目覚しい活躍とは裏腹に、いつも重力にひっぱられている。

 「僕は、空で生きているわけではない。
  空の底に沈んでいる。 
  ここで生きているんだ。」

という、作中の言葉どおり、飛ぶために生まれていながら、地上で生きていることを強く意識している。特別な子供であることと、普通の人間であることの両方に心をとらわれて苦しそうだ。

 本作ではクサナギという人の一部が描かれただけ、何も結論のようなものは出ない。「ダウン・ツ・ヘヴン」、「フラッタ・リンツ・ライフ」ともに未読なので、これからどうなるのかも知らない。全5作目で、このシリーズは完結する予定とのこと。読み終えるとしばらく身動きができなくなるような結末を用意してくれていると信じている。

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2006-11-25

迷宮百年の睡魔 : 森博嗣

 周囲との関係を絶ち、小さな社会を形づくる島の街イル・サン・ジャック。永くマスコミを拒絶してきた街の取材を許されたミチルは、王宮モン・ロゼでかつて訪れたルナティック・シティの女王デボウ・スホに生き写しの女王メグツシュカに逢う。

 やがて王宮内で僧侶の死体が発見される。死体には首が無かった・・・。

 「女王」シリーズと名がついたらしいシリーズ第二作。前作「女王の百年密室」は森氏の著作の中でも好きな作品です。

 首なし死体の謎を解くミステリの体裁をとってはいますが、このシリーズの焦点はストーリーを語ることよりもミチルというキャラクタを描くことに絞られたようで、ミステリとしての話の流れは二の次といった感があります。ストーリーはミチルという存在を描く為のシナリオと舞台装置であり、その傾向は前作よりかなり強くなっているようです。(森ミステリには多かれ少なかれそういった要素があるように思いますが、本シリーズではそれが顕著に出ているような・・・。)


 読み始めてすぐに、ミチルの印象が変わっているのを感じました。前作のラストでミチルの身体的な秘密が明かされたからでしょうか?

 前作では、常に全てがどこか他人事であるかのような、目の前の事象との距離感を言動に纏っていたミチル。あえて説明的な文章で語られはしなかったけれど、行間に表れているというか、発する言葉のセンス・行動の様子から、何か生の根本に関わるところに違和感・・・欠け落ちたものがあると感じさせていました。

 今作でのミチルはその違和感をすべて言葉で語ります。何と言うか・・・主観的で感情的で饒舌になったミチル。自分が感じる生への疑問についてよく語る。

「僕は・・・・・・、本当に、いるのだろうか?」

「躰なんてものがあるから、あんなに重かったのだ。
 ~単なる器。
 それがないと、自分が存在できないと、錯覚していた。
 そもそも、存在って何だ。
 ~躰のない、もう意識しかない僕を、誰が呼ぶ?
 僕を認識できるのは、僕だけ。」

「どちらが現実で、どちらが夢で
 そして僕は、そのどちらを現実にして、
 そのどちらを夢にしたいのだろうか?」


 このように言葉で語られると、読んでいるこちらはむしろその疑問から遠ざかってしまう気がするのですが・・・。

 このシリーズ、どのように続くのか・・・。


 ところで、

 最近、小説、コミック、アニメ・・・を見ていると、この迷宮シリーズの中心人物・ミチルのように、肉体と意識の分離を感じさせるキャラクターや描写にしばしば出会うようになりました。

 きちんと検証した訳ではないので、単に印象としての話ですが、私が学生だった頃読んだものの中では、“人はその肉体から逃れることはできない。肉体と精神が共にあって、一個の人間として存在する。”といった論調が多かったように思います。

 いつ頃から変化は起きていたのでしょう?

 臓器移植が可能になったり、人工の技術で体の機能を補うこともできる現在だけど、やはりミチルのように身体に(現代の技術から考えれば)特殊な事情をもっている人はまだいないんじゃないかと思う。それでも肉体とは分離した人格だけが存在するという錯覚は、だんだんと馴染みのある感覚として広がりつつあるのでしょうか?・・・実際のところどうなんでしょう?

 ミチルにシンパシーを感じる人っていうのはどういう感覚なんでしょう? 肉体から分離した意識というものを実感している人って本当にいるの? それともフィクションの世界の想像力の部分を楽しんでるの?

 どうもそのあたりがつかみ切れない私・・・不器用ですから。

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2006-10-14

スカイ・クロラ : 森博嗣

 生き物としての根っこの部分で何か違和感を感じさせるモノを描くことに優れた作家だなと思う。何かが“無い”ことを描くのが上手い。それは「女王の百年密室」を読んだ時にもうっすら感じたことだけれど。

 目の前の現象に淡々と対処することだけで生きていく、自分と違う人とはなるべく摩擦を小さく・・・その方が都合が良い。“特別な子供”であることを自覚し、理解されることを拒絶して空に飛び上がることでつかの間生を感じる・・・自分以外のものをちっとも思惑の中に入れず、徹底して自分の感覚に忠実なカンナミに、ちょっと忌々しさを含んだ清々しさを感じながら読み進めたのだけど(自分の感覚以外を基準にして生きている人間なんてきっとほとんどいないのだから)、何かの比喩だと思っていた“戦闘を仕事に、大人にならず永遠を生きるキルドレ(子供)”が文字通りの存在だと知った時に、その思いは一転した。そしてキルドレの存在する訳が語られた時、ぽっかり空いた穴のような無力感と虚脱。

 どうしようもない欠損を感じさせるのがほんと~うに上手い。

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2006-10-03

女王の百年密室 : 森博嗣

 本屋の平積みの中から、タイトルに惹かれてこの本を購入したのは3年ほど前のことで、その時は著者の森博嗣さんがたいそうな人気作家であることも、もの凄い勢いで作品を発表されていることも知りませんでした。

 美しい女王が統治する閉ざされた街に迎えられた僕=ミチルとパートナのロイディ。やがて「女王の塔」内の密室で王子が殺害され、ミチルは犯人を探し出そうとするが・・・。推理小説の体裁をとっているようですが、この小説の中で“推理”の部分は私にとってはあまり重要ではありませんでした。(おそらく他の多くの読者にとってもそうなのではないかと思えます。)

 その後、森博嗣氏の作品は「すべてがFになる」「冷たい密室と博士たち」「地球儀のスライス」「堕ちていく僕たち」を読んだのですが、その中には小説として好きになれるものはありませんでした。森作品は面倒くさい説明なしにある感覚を共有できる人たち、言い換えれば森氏が“わかる? あの感じ・・・”といえば、“ああ、あれね”とわかっちゃう素質を持った人に向けて書かれている、しかも森氏は意図的にそのようにされているのではないかと感じます。だから、わかる人は熱狂的にはまるし、それを感じられない人は疎外感と反感を持ってしまう場合もあるのではないでしょうか? ちなみに私自身は森博嗣作品の読者としては“選ばれなかった”方の部類だと思っています。

 そんな中でこの「女王の百年密室」だけはどうも気になる作品なのです。全編を通してどこか宙ぶらりんな・・・というか所在無い空気を持っていて、そのぽっかりと虚ろな感じが好きです。

 何か大きなものの欠落を感じさせる、物語の主体である僕=ミチル。ミチルのバックグラウンドが物語終盤まで明確にされないまま話が進んでいくことで、この所在無さはいよいよ強くなり、悟りでも諦念でもなく、埋められない違和感を抱えたまま“ぽん”と放り出されたようラストが忘れられません。

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