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2011-08-27

実は平家が好き。-目からウロコの「源平」、その真実

『実は平家が好き。―目からウロコの「源平」、その真実』

 昨年『平家物語』を読んだんだけども、清盛はじめ平家の人たちって、まぁ多少の奢りはあったにせよ、そんなに悪人とは思えないのよねぇ。色んな政治の局面ではなかなか大人な対応もしているし。それにひきかえ源氏の武将たちは、卑怯で残忍で野蛮なケダモノのよう。特に義経なんて、手柄に汚く、卑怯な手を使うのが得意で、正々堂々と戦うなんてはじめからアタマに無い。自分の思い通りにならないとすぐキレて、部下とマジ喧嘩。とても大将の器とは思えない実に残念な男。

 源氏方に悪評がたちこそすれ、平家が悪人に貶められるような内容ではなかったと思うんだけどなぁ~『平家物語』って。奢り昂ぶった極悪非道の悪人。貴族かぶれして猛々しさを失った情けない武士。そういうイメージってどこから出てきたんだろう。

 そういう悪評にさらされる平家の人々を弁護する。国際感覚に長け、合理的な精神と卓越した政治的センスと行動力を持った清盛の実績を再評価し、重盛、知盛、教経、敦盛、忠度、経正、惟盛ら魅力的な平家の男たちの死に様、生き様を見ることで、華麗なる一族・平家の姿を浮き上がらせる。

 内容は歴史雑学的な軽いものだけど、『平家物語』の名シーンを反芻しながら読むとちょっと感動。




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2011-07-16

伊東忠太動物園 : 藤森照信・増田彰久・伊東忠太

『伊東忠太動物園』 藤森照信・増田彰久・伊東忠太

 学生時代、何度か一橋大学の兼松講堂を利用させて頂く機会があった。ほぼ1日中を講堂内で過ごし、最初は何も感じなかったのだけど、ある時、建物内の階段で、ふと視界の隅に変な鳥がいる気がして“ギョッ”と振り返った。細部はもうかなり曖昧で、私の中で半ば以上ファンタジー化してしまっている記憶なのだが、あの“ギョッ”は忘れられない。それが、伊東忠太の怪物との出会いだった。

 一度気付いてみると、兼松講堂のあちこちには奇怪な姿の動物がとり付いている。“うぁっ クリーチャー! クリーチャーがおる。兼松講堂、スゲぇっ”・・・身近にこんな異次元があったことに、ふるふると異様な悦びと興奮を覚えてしまった。

 その後、兼松講堂やその怪物たちが伊東忠太の設計によるものだと知って(自分で調べた覚えは無く、どういう経緯で伊東忠太のことを知ったのか、我ながら謎なのだが)、歌舞伎見物に上京した折に、築地本願寺へも怪物探しに行ったのだけれど、その寺院としてはあまりに風変わりな姿にも、そこに棲む動物や幻獣にも、兼松講堂で感じたほどの衝撃と悦びは無かった。

 やはり“怪”には、無防備な日常の中で遭遇してこそ・・・。

 
 ところで、伊東忠太の怪物の写真を多数収めたこの『伊東忠太動物園』~著者の語り口が妙に可笑しい。靖国神社境内の遊就館について、伊東忠太が直接設計をしたものでない可能性を指摘しての言葉。

 そのせいか、伊東ならではの図像が見られないし、また、鬼面がついてはいるものの、こうしたこれ見よがせは彼の好みではないし、鬼面のタッチも伊東好みとはいいがたい。伊東はもっとクリクリモコモコした形が好きなのである。


 大の大人の発言にしては、妙に幼児的というか駄々っ子的というか(笑)。妄想家・伊東忠太に著者自身も多くの妄想を託している・・・というか、“この人は、伊東忠太を見ているとワクワクしてたまんないんだろうな”と思わせるフシが言葉の端々に見えて何だか可笑しい。

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2011-06-11

チーズと塩と豆と : 角田光代・井上荒野・森絵都・江國香織

『チーズと塩と豆と』 角田光代・井上荒野・森絵都・江國香織

 NHK・BSの紀行番組と連動したアンソロジーだということは、読む前にちらっと目にしていたのだけど、それにしても、収録された4篇のうち3つまでもがとても似かよったトーンの作品になっているのはどういう訳だろう。

 スペイン・イタリア・フランス・ポルトガルの田舎を舞台に、その地に根付いて暮らす人々、土地の風土とそこにしみ込んだ「食」を描いた4つの短篇。

 何かを考え始める前から周囲にあり、その中で育ち、口にしてきたもの。身体と心の根幹を養ってくれた食べ物。深く刻み込まれた生まれ故郷の刻印。

 私もまた、広島の郊外で生まれ育ち、東京に出てやっと息をついたような開放感を味わい、九州で暮らしてその風土の違いを実感し・・・自分の中に、数年前まで意識することのなかった「お好み焼き愛」が芽生えているのに気付いて驚いたりしている。

 しかし、まだ故郷の町の窮屈さや、田舎の頑迷さを恐れる気持ちの方が強い私は、作中の主人公たちが、強い強い何かにひかれるように都会から生まれ育った田舎に戻っていく姿には、かすかな失望と反発を感じる。

 私が共感を覚えるのは、「アレンテージョ」の中のこんな言葉の方だった。

 僕は思うのだけれど、おなじものを見るというのは大事なことだ。べつべつの思考がべつべつの肉体に閉じ込められている二人のべつべつな人間が、それでもおなじ時に同じ場所にいて、おなじものものを見るということは。

 僕は思うのだけれど、おなじものをたべるというのは意味のあることだ。どんなに身体を重ねても別の人格であることは変えられない二人の人間が、日々、それでもおなじものを身体に収めるということは。

(「アレンテージョ」江國香織)





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2011-03-26

シティ・マラソンズ : 三浦しをん・あさのあつこ・近藤史恵

『シティ・マラソンズ』 三浦しをん・あさのあつこ・近藤史恵

 ニューヨーク、東京、パリ・・・沢山の人々が暮らす街。大都会の風景の中を、それぞれに“走る”人。

 スポーツ用品メーカーのWEBサイトに掲載された作品ということで、事前にそういうオーダーがあったものか、三作品とも、『競技生活に見切りをつけ新たな生活をはじめたものの、何か消化・昇華しきれない思いと喪失感を抱えるかつてのアスリートが、“走る”という行為に改めて触れることで、これまで見えなかった世界を感じ、驚き、新たな息吹を吹き込まれる』~という判で押したような展開で、驚きには少々欠ける。

 しかし、“走る”肉体を、“走る”ことを介して生まれる人と人の繋がりを、シンプルに、純粋に“美しい”と感じさせてくれる点ではさすがなのだ。特に、(『風が強く吹いている』のイメージがまだ強く残っているからかもしれないが)三浦しをんの書く“走り”はのびやかで、美しく、感動的だ。

 ・・・とか何とか・・・“走る”どころか、電車のホームの階段を駆けあがっただけで、その日一日具合が悪くなってしまうような私がこんなことを言うのは、我ながら嘘臭いというか、白々しいというか、薄っぺらいというか・・・何とも後ろめたい気もする。

 でも、だからこそ私にとって、“走る”ことを愛し、“走る”ことが幸福とつながっている人類の存在というのは、畏敬の念を抱いて見上げる決して届くことの無い領域のお話で、夢と驚きと祈りと祝福と、それをすべて包み込む美しさに満ちているのだ。


 

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2011-02-16

女は変身する (ナイトメア叢書 6)

『女は変身する  ナイトメア叢書 6』

 女→異類・異類→女への変身、異性装、整形、少女から大人への成長、娘から妻そして母へ、あるいは王妃・女帝など権力者への社会的枠組みの中での立場の変化による変身、変身によって一時的に特殊な能力を身につけ戦う少女。「女の変身」~その背景、現象、意味、「変身」がもたらすものについて、物語や小説、映画、シェイクスピア劇、歌舞伎、宝塚歌劇、マンガ、アニメを素材に、様々な論考が寄せられている。

 「女の変身」という主題をどのように設定するかという部分に、書き手の興味の在り処や、視点の違いによる幅があり、本書に関して言えば、「女の変身」そのものよりも、「女の変身」に見出される論点の多様性の方が興味深い。




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2010-12-29

小川洋子の偏愛短篇箱 : 小川洋子編

『小川洋子の偏愛短篇箱』 小川洋子 編

 小川洋子氏の小説・・・何か得体の知れない気味悪いものとして遠ざけたいという気持ちがありながらも、つい目がひきよせられてしまうのは、その小説世界のアンバランスさが気にかかってしかたがないから。

 その小川洋子氏が、偏愛するものたちを収めた箱から取り出し、編んだ、アンバランスな空気と鉱物のような絶対性を持つ短篇のアンソロジー。内田百けん、江戸川乱歩、金井美恵子、牧野新一、川端康成、横光利一、森茉莉、宮本輝、田辺聖子、吉田知子、他・・・十六篇。


 日常の整然とした世界に隣接していながらも、全く独立して存在している、ひんやりと、ひっそりと、静かに何かが狂っているような世界。その短篇の中の住人らの目は、騒々しく、生命力に満ちた世界の人たちが見ているもの ~安全で、穏当で、整然としたもの~ それらの何処をも見ていない。ただ自分に見えるものを真っ直ぐにひっそりと見詰める目。

 収められたそれぞれの短篇の最後の1行を読み終え、乗り物酔いのような吐き気とふらふらと眩暈のする頭を上げる。元の、健全で安全な世界の平衡感覚を取り戻したくて、それぞれの作品に添えられた小川氏の解説エッセイにすがりつくが、その小川氏の視線の向かう先に目をやって、またとんでもなくうろたえさせられてしまう。

 乱歩の「押絵と旅する男」に添えられた解説エッセイ「押絵と機関車トーマス」で語られること~

 もしかするとトーマスがテレビ画面に押し付けられたのも、不運な手違いからだったのではないだろうか。本当はこの世界で、元気よく煙を吐き出しながら客車を引っ張りたかったのに、気付いた時にははぜか、テレビ画面の中を走っていた。


 こんな言葉が、読後感をさらに不安で怪しいものにする。



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2010-07-21

怪異学の技法 : 東アジア恠異学会

『怪異学の技法』  東アジア恠異学会

 京極夏彦氏が執筆者として名を連ねておられる・・・という興味で読んでみたのだが、ん~ 「怪異学」・・・未だ混沌としているというか、海のものとも山のものともわからないというか・・・。

 「怪異」というものをどう定義するのか、「怪異」という言葉をどのように使うのかというところから始めなくてはいけない状況の中で、ここに収められた論考は、領域すらはっきりしない「怪異」というものに記された小さな点のようなもので、今後それらがどのように繋がり広がっていくのかを楽しみに待つべきなのだろう。

 「怪」「怨」「祀」「象」「性」「顕」というキーワードに沿って17の論考が収められているが、内容によっては、学問的領域のものなのか、それとも通俗的な興味の範疇に飲み込まれかねないものなのか、“んんんん~~~~~”と思ってしまうところもある。

 その中で、怪物や化け物の絵ではなく、熊野曼荼羅に描かれる“太鼓を持つ執金剛”という尊格の図像としての異形を「怪」として考察した梅沢恵「熊野曼荼羅に顕れた雷電神」や、腹の中にあってまだそのありようが分からず限りなく「怪」に近いものとして把握されていた胎児観の変遷について論じた米津江里「近世書物にみる胎児観」は「怪異」というものの多様な切り口を感じさせて面白いなぁと思う。 



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2009-10-17

見えない世界の覗き方 - 文化としての怪異

 2003年佛教大学文学部主催で行われたシンポジウム「見えない世界の覗き方-文化としての怪異」を元に編集されたもの。

 執筆者の中に京極夏彦氏の名前があったので、エンターテイメント寄りな話を期待していたんだけども、内容はタイトル通り「見えない世界の『覗き方』」・・・人間が文化として持つ「怪異」~目には見えない世界を覗く=研究するための手法や、その為に必要だと思われる技術的な問題などについて、民俗学、人類学、宗教学、文学の各方面から色々な示唆がなされている。

 「異界体験」ということのとらえ方についての話が興味深い。「異界」「怪異」は必ずしも日常の外側にあるものではない。私たちが「ありのままの現実」だと思っているものでさえ、本当は雑多な音や色からなる混沌に或るフィルターをかけて便宜上の形を与えたものに過ぎない。「混沌」に規則性を与え「日常」に変えるフィルターの役割をするのが、人の持つ文化や言語であり、混沌に被せるフィルターがちょっと変化、変質しただけで、「異界」や「怪異」は思わぬところに出現する。

 「怪異」研究のためだけでなく、文芸作品を楽しむ上でも刺激となることが様々に書かれていたが、私にとって、この本を読んでの一番の収穫は、京極夏彦氏の作品はある種の「呪い」であるということがとても良く納得できたことだなぁ。

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2008-08-09

怪しの世界 : 橋本治・夢枕獏・いとうせいこう他

 平成12年8月に国立劇場で行われた公演「新しい伝統芸能-怪しの世界」の台本を収録。

 薩摩琵琶  白鷺譚 上之巻「天守夫人」 下之巻「白峯」
  友吉鶴心 他/橋本治 作

 講談  ものいふ髑髏
  宝井馬琴/夢枕獏 作

 狂言  鏡冠者  野村萬斎 他/いとうせいこう 作

 
 伝統芸能において「新作」を試みることの意味、価値、面白さとは? 明快な答えの見つかりにくい、なかなか結果の出にくい、簡単には報われないことなのかもしれない。その「伝統芸能の新作」に、薩摩琵琶、講談、狂言の芸能者と、現代の人気作家が挑んだ。
  
 各台本の後には、それぞれの演者と作者による対談も収録されている。対談での言葉から察するに(というより、対談の言葉から察するまでもなく)、新作を手がけた作家は伝統芸能に対する愛も敬意も見識も十分にお持ちの、しかもとびぬけてクレバーな方々なのだ。そういう方々が書かれる「新作」なら、無用な懸念も猜疑心も持つことなく、全幅の信頼をもって身を委ねることができる気がする。

 演者と作者の対談部分では、それぞれが伝統芸能に関して持っている考えや想いやノウハウを確認しあうようなやり取りが見えて(その先に、次のステップへとつながっている道もうっすら見えるような気がする)、その刺激的な会話にワクワクするような興奮を覚えると同時に、この公演でのそれぞれの幸せな出会いに、清々しい余韻を感じることができる。

 
 巻頭には、橋本治氏による伝統芸能考「あるいは『風』について」が付されている。

 見る者・聴く者にとって伝統芸能とは、鑑賞し理解するものではなく、自然の中にあるときのように、一体化し、感じるもの。花や月を眺めるように、風を感じるように。

 そして、芸能者は月であり、花であり、風でなければいけない。自ら表現するものではなく、そこに在ることによって、見る者の中にある感情・感覚を呼び起こすものであること・・・それが芸能者の役目。このくだりは、いとうせいこう氏が何かの折に語っておられた「卑しくない表現」ということにも関わってくるのかな、と思う。

 短くて平易な文章で、日本人の身体感覚、感情の流れというものに沿って伝統芸能の見方を示してくれる橋本氏のこの伝統芸能考・・・ついつい、がさつな日常生活の中で忘れている自分の身体感覚をとりもどすためにも、折に触れて読み返したい文章だ。

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2007-04-25

いとしさの王国へ-文学的少女漫画読本

 少女の夢、恋、悩み、恐れ、喜び・・・それはみんな少女漫画の中にあった。少女漫画と共に思春期を過ごした作家たちが、自分の血となり肉ともなっているそれらの少女漫画への想いを綴る。

 執筆陣は角田光代、狗飼恭子、三浦しをん、桜井亜美、嶽本野ばら・・・と人気の作家がずらり。’60年代半ばから’80年代前半生まれの方々であるが、やはり最も思い入れのある作品はそれぞれ10代の頃に出会った作品のようで、とり上げる作品にそれぞれの世代が窺えて面白い。

 人気作家たちが自らの漫画体験をつづったエッセイということで、非常に期待して読んだのだけど、正直なところ、その期待は完全には満たされなかった。思春期に読んだ漫画がそれぞれの作家の内面にどんな影響を残しているのか・・・そんなところに興味があったのだけど、期待に反して、好きな漫画からの引用や、「この漫画ではこんなことが書いてあった」~って思い出としてただ懐かしんでる記述が多くて・・・。私自身はあまり少女漫画を読んだことがなく、彼女らと共通する体験をしていないので、単に思い出話を語られただけでは共感できる部分がない。

 私の10代は「北斗の拳」「ジョジョの奇妙な冒険」他、ジャンプコミックスで埋め尽くされていたからなぁ・・・。少女漫画への思いいれは薄いのです。

 ただひとつ気になる少女漫画があるとしたら、高野文子の「おともだち」に収録されていた「春ノ波止場デウマレタ鳥ハ」。高校生の頃だったか、この漫画を読んだ友人達は揃って感銘を受け「すごくいい」と言っていたから、私も「いい!」と言いたかったんだけど、正直なところ私には今ひとつ解らなかったんですよね~。主人公の可憐な少女が、憧れと少しの痛みを持って見つめる、凛々しく、どこか影のある少女。ノスタルジックで美しい漫画だったけど、私の友人達の心をあんなにも鷲掴みにしたのは何だったのか? 今読めば少しは解るかしらん?

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