FC2ブログ
2007-03-10

サグラダ・ファミリア [聖家族] : 中山可穂

 2年前、家族が入院していた病院の売店で「猫背の王子」を手に取ったのが中山可穂さんの小説との出会いでした。

 「猫背の王子」とそれに続く「天使の骨」~芝居への業を背負った女性・王寺ミチルを主人公にした2作は、久しぶりにどっぷりとのめり込める、そしてその分読むのに体力を使う小説で、読後はくたくた、小説で泣くのも何年ぶりのことか・・・といった感じでした。

 さて、今回読んだのは「サグラダ・ファミリア〔聖家族〕」。主人公はピアニストの響子。一生を共にしようと思った恋人・透子は、子供を望み響子のもとを去った。数年の後、望どおりシングルマザーとなり子供を得て、響子のもとに透子が帰ってくるが、子供の存在をどう受け止めたら良いかわからない響子。突然の透子の事故死。残された響子と、親戚に疎まれた透子の赤ん坊・桐人の前にテルと名乗る青年が現れ・・・

 「猫背の王子」が主人公・ミチルという一人の人間の中で起こる愛・執着・業・恋・切なさ・狂おしさを描いたのに対し、本作では人と人との関係の中で生れる切なさや愛おしさが描かれています。

 母を失った赤ん坊・桐人が、響子の弾く透子の匂いの染み込んだピアノに耳をかたむける場面、そしてその桐人の様子を見てさらに透子を想う響子。死を間近にした響子のパトロン(最初の理解者であり、師であり愛人でもある)梅ばあが、響子の復活となるコンサートにタキシードの正装で現われる場面。胸をぎゅうっとつかまれるようなシーンが沢山ありました。こういった切なさを描く力は改めて凄いと思います。

 でも、作品全体を読んで何か物足らない気がします。響子の人物像がはっきり見えてこない。あまりに強烈な個性を持った「猫背の王子」の王寺ミチルと比べてしまうからかもしれませんが・・・。響子が一番望むものは何だったのか? 響子にとってピアニストであることは何だったのか? ミチルさんと比べてばかりで申し訳ないけど、演劇人であることは王寺ミチルにとってはなくてはならない属性でした。響子にとってピアノはそれほどのものだったか? 響子がピアニストであることは、「30代で独身で自由業の女性は社会的な信頼が得にくい」という現実につながるばかりに思えます。
 
 桐人を養子に迎えようとする響子は、独身であること、定職についていないことを理由に桐人の親族から難色を示され、結局、桐人の成り行き上の父親(行方不明)の元恋人・テルちゃんと結婚することを決意する。桐人を養子に迎え、理解ある人に祝福され、また愛する透子の視線を常に世界中に感じながら「聖家族」となっていくのですが、そういうものなのか? このコミュニティは家族なのか? 桐人を疎んだ親族、この情けない性根をもった人々と共に築く「家族」はなかったのか? 消化しきれない思いが最後まで残ります。

FC2 Blog Ranking

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

2006-11-18

ジゴロ : 中山可穂

 新宿2丁目の路地に立ち、フラメンコギターを抱えて歌うストリート・ミュージシャンのカイは気ままに女を誘い恋をする。甘ったれで遊びなれてて、この上なく魅力的なカイをめぐる女、少女、トランスジェンダーの男たちの恋を綴る短編連作。やるせない、そしてちょっと怖い人妻の恋。青葉のような少女の恋。身の破滅も厭わない奈落への恋路・・・。

 カイには恋しくて愛しくて仕方の無い彼女がいる。でもワーカホリック気味の彼女とは話をする時間すらまともに作れない状況が続いている。放っておかれる寂しさに、彼女を恨んでしまわない為に、カイは色んな女と恋をする。一番大切な女を、常にベストの状態で愛していることができるように・・・。

 そういう恋の仕方ってどうなのか? っていうのは置いといて、たくさん恋ができる人のエネルギーには驚嘆する。たくさん人に求めることができて、たくさん人に奪われることができる・・・そんなエネルギーは私には無いなぁ・・・。

 これまで読んだ中山可穂の小説といえば、あまりに切実で胸に迫ってきて、読んでて滂沱の涙が・・・っていうのが多かったんだけど、この作品ではそういう重さはあまりなく、女の間を恋をして泳ぐジゴロ然としたカイの姿がヒラヒラと描かれます。それでも、背景になっている本命の彼女との激しく、切なく、どうしようもない運命の恋がちらちらと透けて見えて、少し怖くなる・・・というかはっと身体が硬くなる瞬間があります。

FC2 Blog Ranking

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

2006-07-20

天使の骨 : 中山可穂

“薄汚れた羽を持ち、俯いた天使たちがつきまとう・・・”

 芝居に生きる激しい女性・王寺ミチルの物語「猫背の王子」の続編。

 芝居の為であれば何でもする。それが自分を損なうことであっても、人の気持ちを、体を踏みにじることであっても・・・。芝居はミチルが背負った業。その業の為に前作では信頼する仲間に去られ、恋する人も劇団も失い絶望の果てに魂まで疲弊しきってしまったミチルが“ぼろぼろの守護天使たち”に追われるように長い旅にでる。本作ではその長いヨーロッパ各地をさまよう旅の中でのミチルの再生が描かれます。

 旅の途中でミチルが出会う人達がどれも皆優しい、悪意のない、正直な人ばかり。ミチルさんが出会うのがそういう人達で良かった。彼らの言葉に導かれて、次第に自分を見つめる目を取り戻すミチル。前作「猫背の王子」では主人公ミチルの一人称で話が進みながらも、どこか物語の中に俯瞰の目線を感じていたのですが、本作ではミチルの目線がもっとストレートに書かれていて(それでもやはり前作同様、適度な抑制が効いているのですが)、その分つい感情移入してしまうようになり、読みながら何度かボロボロと涙してしまいました。

 もう一度芝居に戻ってくる力を得て、新たに得た大切な人と自分のあるべき場所に帰ろうとしているミチルを祝福せずにはおれない本書のラストですが、もしこの先物語が続いて彼女がまた茨の道を歩むのかと思うと、それを見るのは辛い気もする。

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

2006-07-15

猫背の王子 : 中山可穂

 中・高一貫の女子校という女の園のまっただ中で10代を過ごしていた頃、仲の良い友人が演劇部に誘われ、学園祭で上演する芝居にスタッフとして参加していたことがあります。学園祭の出し物といっても、当時演劇部でリーダー的な役割をしていた人は真剣に将来演劇の世界に入ることを考えていて(その彼女、大学卒業後は某有名劇団のスタッフとなっていました。)けっこう本格的な芝居作りを目指しており、学園祭前の何ヶ月間かは私の友人も制作にのめりこんで、あまり私にかまってくれず寂しい思いをしたものです。高校生の頃にそんな「おいてきぼり感」を味わったおかげで“芝居”という言葉に漠然と敵意を感じているのですが・・・。この小説の主人公・王寺ミチルは、この小説が発表された1993年にはきっと「アブナイ」という形容詞がついただろうと思われる小さいが熱狂的なファンを持つ劇団の主宰者で、芝居に命を賭ける少年のような女性。「芝居」というキーワードを持つこの本を手に取った時、今は青臭い思い出となっている10代の頃の小さな傷のことを思い出しました。

 淫蕩な同性愛者でもあるミチル・常軌を逸した芝居へののめりこみよう・・・非常にエキセントリックな個性を持った人物であるだろうし・・・そんな主人公の“突出した・独特な個性”を売りにして押し出した作品であったら嫌だなと危惧していたのですが、それは杞憂に終わりました。ミチルは自分の嗜好・欲望・言動すべてにおいて非常に自覚的であり、ちょっと特異ともいえるキャラクターを持った自分自身のことをことさら特別なものとして主張することも、もちろん卑下している風もなくフラットに受け止めているように見えます。この主人公ミチルのフラットな目線があるために、スキャンダラスで刺激的な要素で溢れていながらも適度な抑制が効いており、そういった抑制が効いているが故にミチルの芝居に対する、恋するものに対する、生に対する切実な気持ちがじんわりと感じられてきます。

 人間関係を築く上で人はそれぞれ自分なりの距離感というものを持っていると思うのですが、この小説は私には主人公とちょうどよい距離感を持って読める作品でした。著者によるあとがきには「これは私の青春への(芝居への)訣別の辞です。劇場という祝祭の現場から遠く離れて、五年以上もたってからはじめて、わたしは恥じ多き自らの青春の葬式をすることができたのです。」とあります。この小説が読者との間に持つある種優しい距離感は、著者が五年以上の時間をかけて自らの青春に別れを告げる間に生まれたものなのかもしれません。

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

プロフィール

やぶからねこ

Author:やぶからねこ

FC2ブログランキング

FC2Blog Ranking

ブログランキング
にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村 漫画ブログへ
カテゴリー
最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
検索フォーム
カレンダー
11 | 2019/12 | 01
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
魂に喰い込んでます
月別アーカイブ
Powered By FC2ブログ

Powered By FC2ブログ
ブログやるならFC2ブログ