FC2ブログ
2009-06-17

春のわかれ : 文 槇佐知子 ・絵 赤羽末吉

 20年くらい前にこの絵本のことを聞いて以来、ずっと探してた。


 村上帝の御世。主人である大臣が家宝とする硯を割ってしまった侍を庇い、自ら罪を被った大臣の若君。そのため、若君は父である大臣に憎み疎まれ、嘆きの中で寂しい死を迎える。


 自らを責めた侍は出家し、真実を知った大臣や奥方は「あの子は仏さまの生まれ変わりであったのだ。」と胸もはりさけんばかりに泣くのだった。


 元服する歳になっても、美しい稚児姿を愛でられ、童形のままにとめおかれていた若君。

 清らかな童子の死。人々は、死せる童子の美しさに胸を突かれ、いっそう悲しみを深める。

 自己犠牲、親子の慈しみ、侍の深い悔恨・・・すべてが、若君の美しい姿に集約されていく。

 美しいもの=善なるものの受難と、その受難によって人に与えられるもの・・・。宗教的でありながら、どこか倒錯的なゾクゾク感が皮膚を撫でる。

FC2 Blog Ranking

theme : 絵本
genre : 本・雑誌

2009-02-07

花宵道中 : 宮木あや子

  『間夫がなければ女郎は暗闇』だけど、間夫があってもやっぱり暗闇 ~ 吉原女郎の悲しい恋を描いた、第5回「女による女のためのR-18文学賞」大賞受賞作+それにつらなる短編連作。

 吉原が舞台になってはいるけど、花魁言葉や吉原のしきたり、花魁道中なんかはもうすたれてしまっている時代、しかも、あまり格式にうるさくない小見世の女郎たちの話ということで、所謂(幻想だとしても)吉原情緒をふりまくっていう趣の“ザ・吉原の遊女”の物語という感じではなくて、割と普通にいる市井の女の子 ~ 幸運とは言えない境遇の中で、身を売るしかない生活をしているとは言え ~ の恋物語。

 町の女の子と何も変わらないのに~女同士のおしゃべりも、恋する気持ちも~女郎という境遇が冷たく、ぎりぎりと彼女たちを縛る。それでも尚、燃え上がろうとする情。

 ・・・恋物語としては分かるんだけど、では官能的かというと、個人的にはちょっとツボ違い。私の場合はどこかで幸福感・充足感が感じられるものじゃないと辛い。愛しいと思う気持ちはあっても、不安や寂しさを抱えながらの情事はどうもイカン。

FC2 Blog Ranking

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

2008-11-19

煙か土か食い物 : 舞城王太郎

 何となく敬遠していた舞城王太郎初読み。

 これは・・・どう処理すればいいんだろうな? 「ミステリー」か? 「家族小説」か? 私には後者の印象しか残らなかったな。思わせぶりな法則性やメッセージを見せながら起こる連続主婦殴打事件。密室からの人間の消失。そういう事件やミステリーや事件は起きているし、その事件の解決へ向かって話は進んでいく。だけど、解決に向かう話の流れよりも、被害者の息子として事件に関わることになった奈津川家の四男・四郎の自分語り・家族語りの方が凄すぎて。

 事件をきっかけに、せっかく距離を置いていた「最悪の家族」のど真ん中にダイブせざるを得なくなった四郎。極端に句読点の少ない文章で四郎が語る自分と家族。それぞれに“何でそんなに?”っていうほどの暴力性を持った奈津川家の親子・兄弟。ひたすら暴力の連続、目を覆うばかりの惨劇! なのだけど、読み続けることができるのは、思うさま暴力を振るい続ける人間達が、同時に理性的でもあるから。暴力に溺れながらもしっかり醒めてて自覚的。それって凄く怖いんだけど、ぐっちゃぐちゃの混沌にはなってしまわないから、妙な感覚ではあるけど好感すら持って読める。
 

 確かにバリバリと撃ち出される言葉の勢いに圧倒される。でも、「凄い!」ってとこまでは思えない。「・・・で、何?」って言う気持ちが解決されずに胸の中でくすぶっちゃうから。

 強烈すぎる奈津川一家の人間達のキャラクターが、あたかもブラックホールのように作用して、すべての話の結末が、“奈津川家の問題”っていうところにぎゅ~んと落ち込んで行くような感じがするんですよねぇ。そんなこんなで・・・読み終わって、ページを閉じて・・・「・・・で、何?」って。

 う~ん、やっぱりどう処理したらいいのか分かんないな。一旦、保留・・・って感じ。

FC2 Blog Ranking

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

2008-03-26

甘い蜜の部屋 : 森茉莉

 藻羅という女には不思議な、心の中の部屋がある


 あまりに印象的な冒頭の一文。少女・モイラと父・林作の、何人も入り込めない精神的密室での交わりは香り高く、ねっとりと蠱惑的な肌触りを持つが、並の精神しか持たない人には少々毒気がきつく悪酔いしてしまう。


 魔的な美を持った少女・モイラと、思慮深く穏当な人柄の陰に悪魔の知性を持ったその父・林作。二人の悪魔が思うさまその力を振るい、善良な人々を引き裂き、踏みにじり、貪り尽くす。

 何ものにも傷つけられない、一点の曇りもなく無垢な悪魔・モイラの無邪気な眼差しが、心のままの言動が周囲の人間を苦悩に落としいれ、破滅させていく様。そうして一人の人間を屠る度にさらにその力を強大にしていく悪魔・モイラのおぞましくも抗い難い美しさをもった姿。悪魔の誘惑と薄々はわかっていながら身を差し出し、蹂躙されることに苦しみと共に倒錯した喜びを感じる男達。悪魔の絶対的な力に魅せられ、額づく僕たちの心理。

 繰り返し、執拗に描かれる、道徳や良心が何ほどの価値もなく悪魔の前に跪いてしまう世界は、ちょっとしたダーク・ファンタジーにも匹敵する。 


 ・・・実はアジアン・ダーク・ファンタジーコミック「新暗行御史」と同時進行で読んでいたため、感想がかなり影響受けてしまってます。恐るべし「新暗行御史」

FC2 Blog Ranking

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

2007-10-31

演技でいいから友達でいて : 松尾スズキ

 タイトルがね~ 何か良くって目についた本。「演技でいいから友達でいて」って、そこまで“自分に必要だ!”って思える人がいるっていいなぁと・・・。

 松尾スズキ氏が演劇界のすごい人たちと語り合うこの本・・・豪華顔合わせの面白対談というのではなく、かなり真面目な演技論が出てきたりするので、本当なら私のような演劇に興味の無い人間ではなく、演劇好きの人が読むべきものなんだと思うなぁ。

 で、なんで演劇に疎い私がこの本を読んだかというと、ひとえに中村勘三郎さん(当時は勘九郎)が対談相手として出ていらっしゃったからで・・・。コクーン歌舞伎(見たこと無いけど)や、野田秀樹氏に新作歌舞伎の執筆を依頼したりと、小劇場出身の演劇に近づいたりしている勘三郎さんがどういうことを考えているのか、歌舞伎とそういう芝居の違い、または互いに取り入れるべきところをどのように見ておられるのか。歌舞伎以外の演劇畑の人にとって歌舞伎はどういうものなのか。そういうのを読んでみたかったんですよ。・・・結局この対談読んだだけじゃ解らなかったけど。観る側もやる側もまだ結論を出しかねる試行錯誤の段階なんだろうなぁ。

 でもね、一つ面白い話はありました。「歌舞伎って何ですか?」ってきかれた時の勘三郎さんが考える答えの一つ・・・

 「禁制を犯しちゃってるんだけど、御上がきたら『ごめんなさい』って逃げちゃう。『これは正しい』とは言えずに、すぐ『どうもすいませんでした』って謝っちゃうのが、なんかカブキ者っていうか。」

 なんかこれいい! 歌舞伎の持ってる悲しさというか、余裕というか、ひねくれたとこというか、なんかそんな感じ・・・ちょっとわかる。 

FC2 Blog Ranking

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

2007-10-20

あやし : 宮部みゆき

 江戸の町人達の日々の暮らし、悲喜交々・・・それらに寄り添うように、また、ちょっとした心の綻びをつく通り魔のように姿を見せる怪しのものたち。

 身も凍るほどの怖ろしく、忌まわしい化け物が姿を現すこともあれば、どこかしみじみとさせる不思議なものたちに出会うこともある。全ての怪しのものたちは、人の心のなせる業と見ることもできるけど、不思議は不思議のままに“ああ、そういうこともあるのだなぁ”と、人外のものと境界を触れ合うように人々が暮らしていた江戸の街というのを想像してみるのも楽しい。


 お話しの背景となる人々のありふれた暮らし、あやかし出現の兆しとなる小さな事件や、人の心の中の秘密、わずかなしこり、そういうものを描写しながら、一見平穏に見える暮らしの中の小さな綻び目に近づいていく。読者の予感を煽りに煽る、演出効果を計算しつくした語り口には、“職人だなぁ”と感服します。


FC2 Blog Ranking

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

2007-05-30

鴨川ホルモー : 万城目学

 前回のエントリーで書いた森見登美彦「きつねのはなし」と同じく、舞台は京都、主人公は大学生。オニどもが京都の街を跋扈しますが、こちらは怖い話ではない。恥多くもさわやかな青春小説。

 まず気になるのはこの奇妙なタイトル-「鴨川ホルモー」。「ホルモー」って何?ってとこですが、まぁそれは深く気にせずとも、一風変わったサークル活動と考えておけば良い。と言っても、その一風変わり具合がこの小説のスパイスなんですが。


 このごろ都にはやるもの、勧誘、貧乏、一目ぼれ。
 このごろ都にはやるもの、協定、合戦、片思い。
 祇園祭の宵山に、待ち構えるは、いざ「ホルモー」。
 「ホルモン」ではない、是れ「ホルモー」。
 戦いのときは訪れて、大路小路にときの声。
 恋に、戦に、チョンマゲに、若者たちは闊歩して、魑魅魍魎は跋扈する。
 京都の街に巻き起こる、疾風怒涛の狂乱絵巻。



 この軽妙な文句の如く、馬鹿馬鹿しさ、情けなさ、恋に涙に笑いをちりばめて、俺の大学生活はグルグル回る。

 ダメ男の俺が、強くてカッコイイ男を打ち負かし、仲間の信頼も得て、ブスだと思ってた女の子はメガネをとってみると意外に可愛く、しかも知的で今では俺の彼女・・・なんて、ベタな匂いをホルモーという飛び道具で中和しつつ、一時の妄想を満たしてくれるお話。


 <レナウン娘><さだまさし><大木凡人>・・・こういうものどもが“ちょいと古めかしく、可笑し味を感じさせるアイテム”として登場してくる感覚はどうなんだろう? 著者より一昔前?の世代である私たちの学生時代においてさえ、すでに使い古された感のあるアイテムではあるんだけど・・・。その二重の古ささえ計算された上での起用なんだろうか?

FC2 Blog Ranking

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

2007-02-24

そこでゆっくりと死んでいきたい気持ちをそそる場所 : 松浦寿輝

 家族や恋人、友人、身のまわりの誰かと言葉を交わし、ふれあう生活や時間の中には似つかわしくない作品群。まわりに人がいてもいなくても、世界が自分だけの感覚-触覚、嗅覚、視覚、味覚、記憶、時間感覚-で満たされているような時に読みたいと思うし、そんな時にふっと頭の中に思い出されるような本だ。

 さっきまで歓声が溢れていた遊園地の観覧車が、メリーゴーラウンドが突然動きを止めてしまう幻の記憶なのか現実だったのかも覚束ない記憶。何事も無かったようにまた動き出す遊園地の中で味わう疎外感。

 “うつぶせに倒れる”ヴィジョンにとりつかれたような男。何かへの捧げものでもあるかのように仰向けに体を丸めた虻の死骸。

 手触りや、匂いの感覚だけがなまなましく、そのおさまるべき場所や時間が見つからない記憶。

 自分の内にあるのか外にあるのか境界がわからないほどでありながら、よそよそしくもあるまわりの世界。

 この作品にはまってしまえば、その言葉によって生み出される皮膚感覚のようなものに溺れてしまいそうだが、そこまで踏み込めないでいると、なんだかつかみどころのない曖昧な感覚が悪意のようにも感じられてくる。

 作品自体を読むのは少々神経が疲れる類のもので、この作品の中で一番好きなのは目次のページだった。モーリッツの銅版画の一部分を挿絵として配した上に綺麗に並んだ4つの章のタイトルと個々の作品名。見開きになったこのページ、荒涼としたなかにもずっと眺めていたいような落ち着きのよさがある。

FC2 Blog Ranking

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

2006-09-05

ノリ・メ・タンゲレ~私にふれるな~ : 道原かつみ

 初めて読んだのはキリスト教系の中学校に通っていた頃のこと。SFコミックとして面白かったのはもとより、キリストを素材として取り込んで「神」とは何かというテーマに触れられていることが興味深かった作品です。道原かつみ氏の絵も最近のものより、この当時のごつごつした質感のある絵の方が好き。


 舞台は第三次世界大戦後、西暦を改め銀河暦の時代(思えば西暦というキリストの誕生を基準にした暦を私達も使っているのですよね)。大脳工学の発達により自らの脳を余すところ無く使えるようになった人類は、記憶・分析・計算能力を飛躍的に増大させるとともに、精神活動に革命を起こした。そこでは宗教や「神」の概念は失われている。

 この時代、「脳より分離した意識を一種の波動として過去の人間の脳に送り、その宿主の体と脳を借りて活動する」という形で時間を越える技術が開発され、この航時の技術を使い活動を行う歴史調査局が設けられているが、銀河暦以前の「前時代」に至るには正体不明の「壁」が存在した。

 歴史の流動性を証明するため一人の航時学者が「壁」を越え、イエス・キリストの身体をかりて自らの計画を発動させる。キリストの計画を阻止するため、歴史調査官ヴェアダルはイエスの使徒・ペテロの身体へ・・・。「神」のいない時代の人間が「神」を守るために時間を越える。

 キリストの計画は阻止され・歴史は守られるのだが・・・どのようにヴェアダルが関わろうと、そこはすでに失われてしまっている過去、そしてそこで生きていたのはヴェアダルではないペテロ。それを思うヴェアダルが切ない。私はこういう喪失感にとても弱い。



 このコミックの中で違和感を持った部分が一点。ペテロの身体に入ったヴェアダルが初めてイエスを目にする場面で、「イエス・キリスト 阻止し なおかつ守らねばならない ―― 」と書かれていることなのですが・・・。話の中ではイエス=「神の子」「救世主」と位置づけられているはず。キリスト教の考え方ではどうなのでしたっけ? イエスはあくまでも「神の子」なのか? 神とイコールだと考えても良いのか?


 ま、上の疑問は余談として・・・

 「前時代」には存在し、自分達には失われている「神」について、ヴェアダルは以下のように思い至る。

 精神革命を起こし、膨大な能力をもつ人間の脳のエネルギー…思考を一固体内で完全に処理できるようになったヴェアダルの時代に対し、「前時代」では人の思考エネルギーは常に不完全燃焼し、過剰に溢れている。過剰に溢れたエネルギーが集積され「壁」を形成し、人は固体内で処理しきれなかった思考エネルギーを「壁」に吸収されることで、また「壁」はそのエネルギーを吸収することで互いに安定するという共存関係が成り立っている。そして、その「壁」こそが「神」であると。

 人間の思考というものが、はたしてそういったエネルギー体の性質を持つのかということには素朴な疑問を感じましたが、宗教の授業でシスターから聞くお話よりは、こういう精神の安定を求める人と神のリンクの仕方って「神様」の正体に近い気がして感化されました。「八百万の神々」のようにまた異なった立場(来歴?)を持つ神もいますが・・・。

 タイトルの「ノリ・メ・タンゲレ」は「私に触れてはならない」の意。聖書の中で十字架上での死後、復活したキリストが言う言葉ですが、このコミックのなかで、罪を犯したユダがペテロ(ヴェアダル)に向かって言う言葉としても使われています。それでもユダに触れるヴェアダルですが、触れたのはペテロであってヴェアダルには触れることはできない。そして「神」である「壁」は銀河暦の人間が「前時代」に触れることを拒む。

FC2 Blog Ranking

theme : マンガ
genre : 本・雑誌

プロフィール

やぶからねこ

Author:やぶからねこ

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

ブログランキング
にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村 漫画ブログへ
カテゴリー
最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
検索フォーム
カレンダー
09 | 2019/10 | 11
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
魂に喰い込んでます
月別アーカイブ
Powered By FC2ブログ

Powered By FC2ブログ
ブログやるならFC2ブログ