2006-07-15

猫背の王子 : 中山可穂

 中・高一貫の女子校という女の園のまっただ中で10代を過ごしていた頃、仲の良い友人が演劇部に誘われ、学園祭で上演する芝居にスタッフとして参加していたことがあります。学園祭の出し物といっても、当時演劇部でリーダー的な役割をしていた人は真剣に将来演劇の世界に入ることを考えていて(その彼女、大学卒業後は某有名劇団のスタッフとなっていました。)けっこう本格的な芝居作りを目指しており、学園祭前の何ヶ月間かは私の友人も制作にのめりこんで、あまり私にかまってくれず寂しい思いをしたものです。高校生の頃にそんな「おいてきぼり感」を味わったおかげで“芝居”という言葉に漠然と敵意を感じているのですが・・・。この小説の主人公・王寺ミチルは、この小説が発表された1993年にはきっと「アブナイ」という形容詞がついただろうと思われる小さいが熱狂的なファンを持つ劇団の主宰者で、芝居に命を賭ける少年のような女性。「芝居」というキーワードを持つこの本を手に取った時、今は青臭い思い出となっている10代の頃の小さな傷のことを思い出しました。

 淫蕩な同性愛者でもあるミチル・常軌を逸した芝居へののめりこみよう・・・非常にエキセントリックな個性を持った人物であるだろうし・・・そんな主人公の“突出した・独特な個性”を売りにして押し出した作品であったら嫌だなと危惧していたのですが、それは杞憂に終わりました。ミチルは自分の嗜好・欲望・言動すべてにおいて非常に自覚的であり、ちょっと特異ともいえるキャラクターを持った自分自身のことをことさら特別なものとして主張することも、もちろん卑下している風もなくフラットに受け止めているように見えます。この主人公ミチルのフラットな目線があるために、スキャンダラスで刺激的な要素で溢れていながらも適度な抑制が効いており、そういった抑制が効いているが故にミチルの芝居に対する、恋するものに対する、生に対する切実な気持ちがじんわりと感じられてきます。

 人間関係を築く上で人はそれぞれ自分なりの距離感というものを持っていると思うのですが、この小説は私には主人公とちょうどよい距離感を持って読める作品でした。著者によるあとがきには「これは私の青春への(芝居への)訣別の辞です。劇場という祝祭の現場から遠く離れて、五年以上もたってからはじめて、わたしは恥じ多き自らの青春の葬式をすることができたのです。」とあります。この小説が読者との間に持つある種優しい距離感は、著者が五年以上の時間をかけて自らの青春に別れを告げる間に生まれたものなのかもしれません。
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