2011-01-12

ちくま日本文学34 寺田寅彦

『ちくま日本文学 34 寺田寅彦』

 物理学者にして文学者寺田寅彦はとても目がいい。もちろん視力のことではなく。「見る」ことに長じている、という。

 科学的、又、文学的な事柄に、社会風俗そして日常の営みに、種種雑多に現れる事象の中からその本質を見顕す氏の理知と炯眼はもちろんのこととして、氏の書くものには「見る」「見える」という感覚が突出していること、そしてそれが読み手の視覚をも刺激することが感じられるのだ。

 ・・・というようなことを思いついて、小さく悦に入っていたのだが、巻末の解説にズバリ書かれていた。

 どうも物理学者寺田寅彦も文学者寺田寅彦も理論や意味や人情や思想の人ではなく視覚の人だったらしいのである。


 ・・・ちぇ。 ・・・ですよね。寺田寅彦の“視覚”が特殊であるということは、誰もが感じることでしたかね。・・・ちぇ。


 気をとりなおして・・・

 寺田寅彦にとっての認識の中心、そして天啓、ひらめきというものは、視覚~「見える」という形をとっていたのではないだろうか。氏の文章を読んでいると、匂い、音、温度、ミクロやマクロの世界の構造、時間の流れ・・・そういう、普通の意味では目に見えないものへの感覚、理解、記憶が悉く視覚へと変換され落とし込まれていくような感じを受ける。

 収録作のうち、「自画像」では氏における「見る」ということが最も現実的な形で書かれている。「病院の夜明けの音」は文字通り早暁の病院内に響く様々の音を描写しながら、それらが刺激するのは読者の聴覚ではなくむしろ視覚~ボイラーの蒸気が病室を暖めはじめ、廊下に薄い光が射すシンとした病院の早朝の風景を目の当たりにする感覚であり、又、朝の病院の音に呼応するのは、自分の体内の病巣の活動を目の前に見るが如き氏の視覚である。「映画時代」は「見る」という感覚に関して特殊な鋭さを持つする氏によって、「見せる」メディアである映画・映像の本質たるべき事がズバズバと指摘されていて刺激的だ。


 収められた随筆の内、主に物理学的興味、発想によって書かれたものの中には、私には理解不能であったり、退屈であったりしたものもあるが、「映画時代」で指摘される内容は、表現論として興味深く、映像だけでなくもっと幅広いメディアに適用されて良いものだろうといく気がするし、「芝刈」は保坂和志の小説『カンバセイション・ピース』のミニチュア版のようで、何事も無い時間の中から生まれる想念~収束し拡散する思考の渦が不思議に心地良い。

 しかしまあ、読後感の良さでいうと、瑞々しい発見に満ち、伸びやかさのある作品が多く収められた、大人の本棚シリーズ『懐手して宇宙見物』の方がおすすめではある。ちなみに、同シリーズでは『太宰治 滑稽小説集』も素敵に面白かった。


   

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