2006-07-03

くもはち 偽八雲妖怪記 : 大塚英志

 明治の終わり、売れない怪談作家の「くもはち」と、さらに売れないのっぺら坊の挿絵画家「むじな」のもとには、妖怪がらみの奇妙な事件が次々と舞い込んでくる。夏目漱石、柳田國男、田山花袋ら実在の文学者も登場し、虚実入り乱れて展開する妖怪話を「くもはち」「むじな」のコンビが捌く。

 のっぺらぼうの「むじな」は“顔を無くしてしまう程”世間との関わりも、自分というものの認識も、他人からの関心も薄い人物。世間から消えてしまいそうな、いるのかいないのかも判らないような「むじな」の前に、風変わりな男「くもはち」が突然現れた上、この影の薄い「むじな」を何かにつけ必要とし、引っ張りまわす。

 「むじな」の都合を全く無視したような「くもはち」の行動であるが、当の「むじな」にしてみれば「くもはち」と過ごした日々は『彼の影に隠れる形で程々に世界と関われた』・・・「むじな」なりの世界との蜜月だったようだ。

 してみれば、「くもはち」とは「むじな」にとっての“ライナスの毛布”であり、この物語も、大塚氏がその著作でしばしば語っておられる「通過儀礼の物語」の要素を持っているわけだ。

 しかし、私にとっては物語の内容や通過儀礼云々のことは割りとどうでも良いことで・・・この物語が私の心を捕らえた訳は別のところにある。

 語り手である「むじな」はこの物語を語り始める前に、今は顔を取り戻していること、そして「くもはち」はすでに自分のもとから去ったことを明かしている。「くもはち」を必要とした時間は終わって、今はおそらく「くもはち」が導いてくれた新しい世界にいる。その世界に到る道々、「むじな」が捨てたもの、「むじな」を去ったもの・・・。

 おそらく、新しい世界の中で「むじな」は不幸ではない。ここに来るまでに彼が捨てたものは、捨てるべくして捨てたもの。去ったものは去るべくして去ったもの。今更、過去の日々に戻りたい訳ではない。しかし、かつて共にあった愛しいものを想うときの懐かしさ・・・喪失感にも似た切ない懐かしさが私の心をどうしても捕らえてしまう。
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genre : 本・雑誌

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人身御供論-通過儀礼としての殺人

「人身御供論―通過儀礼としての殺人」 大塚英志著  初出は1994年とある。加筆・訂正の上、「補 <癒し>としてのクマ+行対象論」を加えて2002年に文庫化。  ムラ社会に伝えられた民話や、それと同様の構造を持つマンガ・・・「ホットロード」「タッチ」「めぞん一刻

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