2006-11-25

迷宮百年の睡魔 : 森博嗣

 周囲との関係を絶ち、小さな社会を形づくる島の街イル・サン・ジャック。永くマスコミを拒絶してきた街の取材を許されたミチルは、王宮モン・ロゼでかつて訪れたルナティック・シティの女王デボウ・スホに生き写しの女王メグツシュカに逢う。

 やがて王宮内で僧侶の死体が発見される。死体には首が無かった・・・。

 「女王」シリーズと名がついたらしいシリーズ第二作。前作「女王の百年密室」は森氏の著作の中でも好きな作品です。

 首なし死体の謎を解くミステリの体裁をとってはいますが、このシリーズの焦点はストーリーを語ることよりもミチルというキャラクタを描くことに絞られたようで、ミステリとしての話の流れは二の次といった感があります。ストーリーはミチルという存在を描く為のシナリオと舞台装置であり、その傾向は前作よりかなり強くなっているようです。(森ミステリには多かれ少なかれそういった要素があるように思いますが、本シリーズではそれが顕著に出ているような・・・。)


 読み始めてすぐに、ミチルの印象が変わっているのを感じました。前作のラストでミチルの身体的な秘密が明かされたからでしょうか?

 前作では、常に全てがどこか他人事であるかのような、目の前の事象との距離感を言動に纏っていたミチル。あえて説明的な文章で語られはしなかったけれど、行間に表れているというか、発する言葉のセンス・行動の様子から、何か生の根本に関わるところに違和感・・・欠け落ちたものがあると感じさせていました。

 今作でのミチルはその違和感をすべて言葉で語ります。何と言うか・・・主観的で感情的で饒舌になったミチル。自分が感じる生への疑問についてよく語る。

「僕は・・・・・・、本当に、いるのだろうか?」

「躰なんてものがあるから、あんなに重かったのだ。
 ~単なる器。
 それがないと、自分が存在できないと、錯覚していた。
 そもそも、存在って何だ。
 ~躰のない、もう意識しかない僕を、誰が呼ぶ?
 僕を認識できるのは、僕だけ。」

「どちらが現実で、どちらが夢で
 そして僕は、そのどちらを現実にして、
 そのどちらを夢にしたいのだろうか?」


 このように言葉で語られると、読んでいるこちらはむしろその疑問から遠ざかってしまう気がするのですが・・・。

 このシリーズ、どのように続くのか・・・。


 ところで、

 最近、小説、コミック、アニメ・・・を見ていると、この迷宮シリーズの中心人物・ミチルのように、肉体と意識の分離を感じさせるキャラクターや描写にしばしば出会うようになりました。

 きちんと検証した訳ではないので、単に印象としての話ですが、私が学生だった頃読んだものの中では、“人はその肉体から逃れることはできない。肉体と精神が共にあって、一個の人間として存在する。”といった論調が多かったように思います。

 いつ頃から変化は起きていたのでしょう?

 臓器移植が可能になったり、人工の技術で体の機能を補うこともできる現在だけど、やはりミチルのように身体に(現代の技術から考えれば)特殊な事情をもっている人はまだいないんじゃないかと思う。それでも肉体とは分離した人格だけが存在するという錯覚は、だんだんと馴染みのある感覚として広がりつつあるのでしょうか?・・・実際のところどうなんでしょう?

 ミチルにシンパシーを感じる人っていうのはどういう感覚なんでしょう? 肉体から分離した意識というものを実感している人って本当にいるの? それともフィクションの世界の想像力の部分を楽しんでるの?

 どうもそのあたりがつかみ切れない私・・・不器用ですから。

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