2008-02-23

柔らかい個人主義の誕生 : 山崎正和

 高校時代、橋本治の「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」とともに、国語の先生から薦められた本。今更遅いと思いながらも、高校時代の宿題を終わらせるつもりで読了。


 1960~70年代に起きた社会的変化、大衆社会の変質を観察・分析し、現代社会での大衆の個人としてのあり方とその可能性を考察した同時代文化論。

 読み終えての心の声・・・“ちゃんと高校時代に読んでおけば良かった~~!!”

 「自我」とか「『私』とは何か」っていう問題は、私が高校生の頃からずっと苦手としてきたところで、今では「人間一生糞袋」とうそぶいて人生をやりすごしたい・・・などと思い始めているが、この評論をもう少し若いうちに読んでいれば、その考えは少し変わっていたかもしれない。

 本論では、70年代以降の社会を、そこに兆した社会的変化から「脱産業化社会」と位置づけ、そこに現れる個人の「自我」が、それまでの「生産する自我」から「消費する自我」へと移っていくことが示されている。

 少し長くなるが、「生産」と「消費」について・・・

 ここで言う「生産」とは、ある「目的」を限定し、その「目的」を時間的にも手法的にも最も効率的に達成しようとするスタイルであり、「生産する自我」とは「自己を生産の目的として、また手段として限定した存在」・・・目的達成の為に全てを能動的に操作する完全な主体であり、「自らを完全に知る不可分の統一体」であるとされている。

 また、「消費」とは「ものの価値を消耗すること」ではなく、「目的」に到る時間、過程、手段を重視し、楽しむスタイルであり、だからこそ「消費」的なスタイルでの「生産」もあり得ると定義されている。

 この「消費」の概念を踏まえた上で、「消費する自我」とは「めざすべき目的としての自分の欲望、その目的実現のための手段としての自分を限定しない」自我であり、そこには「不可分の統一体」は存在せず、つねに分裂した存在として自我があるとされている。


 この分裂・拡散する自我を統一するスタイルが、現代における自己の「同一性」であり、そのスタイルを作る努力の中に、現代の個人主義が成り立つであろうことを山崎氏は示されている。

 高校生の頃、私が「自己同一性」という言葉に脅かされ、それを見つけられないままに、早々に逃げ出してしまったのは、本論でいう「生産する自我」のことしか頭になかったからで、当時、先生の薦めに従ってきちんとこと本を読んでいれば、もう少し違った精進の仕方があったかなぁ・・・と・・・

 歴史的には、個人主義→自己中心主義ととらえられ、そういった側面の肥大が危惧、悲観されたこともあるようだが、「消費する自我」が成熟していく先に、孔子の言う「心の欲するところに従いて矩をこえず」の境地-「個人の自由と平等を侵害することなく、社会の秩序と安定の仕掛けを守る」ことを可能にする道がひらけるかもしれないことが、山崎氏によって可能性として語られている。

 しかし、個人主義がそのように成熟する間もなく、この評論が発表された直後の80年代後半からはバブル景気-バブル崩壊-失われた10年-と大きな波に個人が翻弄されてしまった。

 この評論が書かれてから約20年・・・個人主義の在り様は、山崎氏が本論で分析されたものより退行しているようにも感じられる。ここから新たに成熟を目指していくことはできるのか? 本論以降20年間の変化についての良い同時代論があれば、読んでみたいと思う。

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柔らかい個人主義の誕生―消費社会の美学

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