2017-06-24

愛の国 : 中山可穂

『愛の国』 中山可穂

 舞台の上でだけ息をする美しい生き物・王寺ミチル。美しいもの、愛するもの、恋しいものを前にした彼女はあまりにも純粋で切実で激しくて、その激しすぎる情熱で自らの身も心も生きる力さえもぼろぼろに焼き尽くしてしまう。

 『猫背の王子』では、そうやって美しく激しく燃え尽きていくミチルの姿が描かれ、続く『天使の骨』で彼女は漂白の旅の末、運命の女に出会い、自らのあるべき場所へ戻ってゆく力を得た。

 その後・・・。王寺ミチルを主人公とした物語の完結篇となる本作が出ていることは知っていたのだけど、穏やかな幸せとは程遠く、また傷だらけで厳しい茨道を歩いているに違いないミチルさんの姿を見るのが恐くて、辛くて、なかなか読むことができないでいた。

 そして・・・。運命の女・久美子と極上の舞台を生み出していたのであろう数年間の後、ミチルは記憶を失って倒れていた。

 桜の花びらに埋もれ、墓石を掻き抱くようにして倒れているミチル。夢か幻か・・・というような儚くも鮮烈な冒頭の場面であるが、物語は夢や幻ではなく、否応なく現実の中で生かされるミチルを描く。そして少しずつ確実に悪くなっている日本の現状を思うと、ミチルが対峙する悪夢のような現実は、作者が危惧するようにこの国の将来の姿でないとは言い切れないのかもしれない。それでも作者は、いくつかの美しいものを物語の中に描き入れてくれている。

 ミチルさんの物語は本当にこれで終わりなんだろうか? いつかまた、私たちの前に帰ってきてくれるのではないか・・・と思ってしまうのだけど。

  

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2017-06-10

天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎 : 長谷部浩

『天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎』 長谷部浩

 劇評家として、また友人として十八代目勘三郎さん、十代目三津五郎さんと親交のあった著者が、お二人の遺した足跡、言葉、思い出を噛みしめるように語る。お二人を喪った著者の哀しみ、惜しむ気持ちがしみじみと胸に迫る。

 勘三郎さん、三津五郎さんの姿が目の前に蘇ってくるような文章を目で追いながら、頭の中には、ほんの少ししか観ることはできなかったけれども、忘れがたいお二人の舞台が浮かんでくる。

 歌舞伎というものを意識する前から勘三郎さんのことはTVで見ていた。勘九郎時代からTVではご一家を追った特番がしょっちゅう組まれていて、小さい勘太郎ちゃん、七之助ちゃんの可愛さもあって、私はこのTV特番を見るのを楽しみにしていた。私が歌舞伎を観るようになったのも、ひとつには勘三郎さんのおかげだ。

 勘三郎さんの舞台では忘れられない体験をした。平成二十一年歌舞伎座さよなら公演・八月納涼歌舞伎『怪談乳房榎』の上演中、震度4の地震が起きた。建替え前の歌舞伎座、私のいた三階は大きく揺れ、あちこちで悲鳴が起き、出口に向かって席を立つ人の姿も見られた。客席にわいた不安と恐怖、パニック寸前の緊張感に私も座席で身を固くしていたが、舞台の上で勘三郎さんは「久しぶりのお酒のせいで何やらユラユラ~」と笑ってくれた。その瞬間、客席を覆いかけていた黒いモノが雲散霧消した。不安と恐怖は祓い、鎮められて皆が平静と笑いを取り戻した。藝能者の力、その凄味を体感した一時だった。

 三津五郎さんを知ったのもTVから。八十助時代に司会をつとめておられた『ワーズワースの庭』『ワーズワースの冒険』。素敵な大人の紳士が進行する番組がとても心地よかった。当時は粋とか洒脱とかいう言葉を思いつかなかったけれども、多分言葉にならないなりに、そんな空気を感じていたんだろう。

 端正なイメージのある三津五郎さんだけど、平成二十年の納涼歌舞伎で観た『らくだ』遊び人の半次・・・バカバカしいことをやると底抜けに可笑しかった。翌平成二十一年の納涼『六歌仙容彩』では茶汲女・お梶の勘三郎さんとの火花散る踊りを観た。生の舞台ではないけれどシネマ歌舞伎『怪談牡丹燈籠』では円朝・三津五郎さんが高座にあがったところで思わずスクリーンに向かって拍手してしまった。

 私を幸せな気持ちにさせてくれた舞台の裏に、私の知らないたくさんの、たくさんの、たくさんの、ことがあったのだと思うと、小賢しいことを言ったりしたのが恥ずかしい。もうお二人の舞台を観ることができない寂しさはどうすることもできない。せめて、これから観ることのできる舞台は、小賢しいことなど考えず全身で全力で楽しみたい。



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