2015-08-29

ゼロからのサイエンス よくわかる物理 : 福江純

『ゼロからのサイエンス よくわかる物理』 福江純

 『よくわかる』って書いてあるのにちっともわからない!(号泣) ここまで私は理系に弱かったかと! 

 これは私の本の選択ミスでもあるのだけど、まず、扱っている分野の広さに比べて本のボリューム、書かれている情報の量がコンパクトすぎる。古典物理学から現代物理学まで~力学、波動学、熱力学、流体力学、電磁気学、相対論、量子力学、素粒子物理学、宇宙物理学、地球物理学、総体物理学~を語るのに、イラストたっぷり、文字大き目でページ数は200P足らず。

 このボリュームでは当然一つ一つの事がらに関して詳細な説明ができるわけがなく、論理を組み立てる過程とか、考え方や理屈なんてものを大きく端折って結論だけがポンと提示されるので、まったく「腑に落ちる」という感覚が得られない。

 難しい物理を「やさしい文章で」語るっていうのが本書のひとつの売りであるようだけども、複雑なことをやさしくかみ砕きすぎると何がおこってんだかイメージできなくて逆にわかりづらいんですけど・・・。

 ああ、でもわかってる。わかってるんだ・・・。問題なのは私の基礎力不足と物理に対する関心の薄さなのだ。

 物理の法則や性質を示すグラフや図が載せられているが、そもそもの基礎がないのだから、そのグラフや図の意味するところが直観できない。端折られている理屈や考え方の部分を自分なりにゆっくりじっくり推察、考察し、関連のありそうな事は前の項にもどって何度も読み返したりすれば、まだしも少しは得るもの、わかることがあるのだろうとは思うけど、そもそも関心が薄いのだからそんな面倒な読み方をする気になれない。

 とりあえず、「いつか何かわかることがあるかもしれない」と思って物理っぽい単語だけいろいろ頭につめこんどいた。

FC2 Blog Ranking
スポンサーサイト

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

2015-08-23

生物と無生物のあいだ : 福岡伸一

『生物と無生物のあいだ』 福岡伸一
 
 理系本3冊目も生物学から。

 『生命とは何か?』 『この世界を見て、そこに生物と無生物とを識別できる』私たちはそこに何を見ているのか?

 生命の営みについて、池田清彦氏の『生きているとはどういうことか』にも書かれていた「生きている」という現象~生物の細胞の中でのさまざまな物質のふるまいが語られる。

 語り口は非常に抒情的というか、むきだしの科学用語のようなものは使われず、生物学の研究が『生命とは何か?』へと迫る過程が、著者の少年時代や研究者として過ごした街の情景、著者の心象、生命の謎に挑んだ先行する研究者たちの挿話を織り込んだ美しい物語として語られる。いや、科学の本で泣いてしまうとは・・・。

 読みやすく、感動的である反面、理系的な感じ方、考え方の訓練をしたいと思う私としては「これじゃ訓練にならないんじゃないか?」と思う。ともあれ、「読みやすい」「イメージしやすい」ということは読者(特に文系の)にとってはありがたいことだ。

 肉体というものについて、私たちは自らの感覚として、外界と隔てられた個物としての実体があるように感じている。しかし、分子のレベルではその実感はまったく担保されていない。私たち生命体は、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかない。しかも、それは高速で入れ替わっている。

 生命とは高速で入れ替わる分子の「流れ」そのものであるという生物学が明らかにした事実は「生生流転」「諸行無常」「行く川のながれは絶えずして・・・」という古くからある言葉を思わせ、
 (物理法則の制約を受ける)生きている生命は絶えずエントロピー(ランダムさ)を増大させつつある。つまり、死の状態を意味するエントロピー最大という危険な状態に近づいていく傾向がある。生物がこのような状態に陥らないようにする、すなわち生き続けていくための唯一の方法は、周囲の環境から負のエントロピー=秩序を取り入れることである。

 という考察は、中沢新一の『精霊の王』に『秩序の中で安定しようとする世界を揺り動かす破壊的なまでの創造の力』として語られた「翁」「宿神」「後戸の神」などと呼ばれるものの姿や、それらを祀ってきた人々の営みを思い起こさせる。(物質の世界の話と、精神世界の話とでは「ランダムさ」「秩序」という言葉のとらえ方が逆であるようだけど)

 細胞内の分子のレベルと人間の精神的な思索のレベルでおなじようなことがおこっていることに、驚くというか、感動するというか・・・。

 ああ、何かものすごく文系な読み方をしてしまった気がする・・・。




FC2 Blog Ranking

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

2015-08-16

フランケンシュタイン : メアリー・シェリー

『フランケンシュタイン』 メアリー・シェリー

 暑い夏には怖い話。今年は『屍者の帝国』からのつながりで、メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』です、が・・・

 ・・・いかん、感想が全部ヴィクター・フランケンシュタインの悪口になってしまう。

 家族や身内、親しい人たちに対しては善良で誠実で愛情深いが、自分が愛する価値ナシと見なしたもの(貧しい人々や容貌の醜いもの)に対しては態度を一変させて恥じるところがない。自分が何か大きなことを成し遂げ、名誉を受けるにふさわしい人物であると無根拠に信じていて、自分が賞賛に値する何事かを成すことができないという現実を受け入れられない。自尊心と自己評価は高いが、問題解決能力はからっきし。しかし、自分のダメさ、不甲斐なさを、自己欺瞞でもってロマンティックな悲劇に仕立て美しく飾り立てる言葉力だけは持ってる。

 現代であれば10代半ばで卒業してなくちゃいけない精神状態の人であると思うんだが・・・。19世紀頃にはこういう男が紳士と呼ばれていたんだろうか? 

 副題には「あるいは現代のプロメテウス」とあり、ヴィクターを人間の幸福のために禁忌を犯し、罪を負い、罰を受けたプロメテウス(プロメテウスには「人間を創造した」という話もあるらしい)になぞらえているが、彼はプロメテウスというよりもむしろ、科学の力の誘惑に負けて自らの情熱のままに行動し、結果として災厄を招いたエピメテウスではないかと思うのだけど・・・。

 作者メアリー・シェリーの中で、ヴィクター・フランケンシュタインとはどういう男だったのかな。こんな酷い災厄、痛ましい運命に見舞われるのがまったく理不尽に思われるような立派な心ばえの男だったのか、それとも周囲の人々を不幸にしてしまうダメな男だったのか、それとも・・・。

 その醜さゆえにヴィクターが忌み嫌い見捨てた怪物に繊細な心と知性があったことを怪物自身が告白する言葉の哀切さには、ヴィクター(のような男)の傲慢さ、無情さを告発する作者の気持ちがうかがえるのだけど、同時に、故郷と家族と友人と恋人と自然の美しさを愛し、夢と情熱に溢れた若者に対する尊敬と愛情も作中にたっぷりと溢れてる気がするし・・・。

 そしてまた、彼女にとっての「怖ろしいこと」とは何だったのだろう。人の情熱がはらむ狂気。自分が生み出したものがおぞましい姿で動きだすこと。怪物をこの世に生み出してしまった罪の意識。醜い怪物という存在そのもの。その怪物がどこまでも追ってくること。憎しみ合う創造主と被造物。次々と愛する者を奪われる苦痛。誰にも愛されず、理解されることもない孤独。絶望のあまりの憎悪。人間の分限をこえた行いと、そのことがもたらす災厄。科学の行き着く先。等等等・・・。

 この物語を書いた彼女は、何を「怖ろしい」と思ったのだろう。




FC2 Blog Ranking

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

2015-08-09

生きているとはどういうことか : 池田清彦

『生きているとはどういうことか』 池田清彦

 理系本2冊目は、『新しい生物学の教科書』と同じく池田清彦氏の『生きているとはどういうことか』。タイトルからつい哲学的なものを想像してしまったが、生物学の先生が書く本であるからこれはもちろん「生きている」ことについての形而上の話ではなく、「生きている」という現象についての話。

 何がどうなって生物が生まれたのか。生物の個体発生はどのようなプロセスを経ているのか。生きている生物の中ではどんなことが起こっているのか。内容は『新しい生物学の教科書』と重なるものも多かったが、免疫のしくみなどについては、『新しい生物学の教科書』後にあきらかになったこともあるようだ。

 生物が生物であるためになされる気が遠くなるほどに複雑なあれこれを思うと、その奇跡的な実現、神がかり的な精密さにばかり目がいってしまって、「何と不思議な! 何と素晴らしい!」とばかり思ってしまう。その一方で、色んなことが起こってはみたけれど、うまくつながらなかった~「生きている」という状態には至らないということも山ほどあるのだということを知らされ、「そりゃそうだろうな」とは思いながらも、目からウロコの気分である。「生きている」ということは必然ではなくて、たまたますべてが上手くいった状態ってことなんだろうな。


 第九章「生きているとはどういうことか」での『生命とは特殊な高分子の配置・布置のことではないか』という物言いに、「理系ってかっこいいな」と思う。文系の私はそういう身も蓋もないこと言われるとちょっと傷ついちゃう部分もあるんだけど、目の前の現象をクールに分析する理系の潔さには圧倒される。

FC2 Blog Ranking

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

2015-08-01

新しい生物学の教科書 : 池田清彦

『新しい生物学の教科書』 池田清彦

 この夏は理系本を読もうと思う。と、いうのも、先日読んだ『屍者の帝国』について、「私には読めなかった部分がある」という感覚が拭えないでいるからなのだが・・・。ひととおり読み通して内容も楽しんだ・・・にもかかわらず、「読めなかった」~私が理解できる言語に翻訳できなかった部分があるような気がしてならない。

 この感覚・・・昔、職にあぶれて文系出身のなんちゃってプログラマをやってた頃に味わったアレと似ている。同じ機械語を使っているにもかかわらず、私の書いた日本語の文章に直訳可能なプログラムとは記述の仕方がまったく違う先輩の書いたプログラムが私には読めなかったっていう、あの感覚・・・。

 『屍者の帝国』は日本語で書かれた小説だったし、記されている文章は全部読んだ。それでもどうしても「充分に読めた」という気しないのは、あの小説、私が使っているのと同じ日本語で書かれていながら、どっか決定的に記述法が違うからなんじゃないか・・・? 作中に登場する『ヴィクターの手記』ほど極端なものでないにしても、読み方によって書物から取り出される情報が様々に変化するということがあるのなら、私が普段している日本語の読み方とは別の読み方をしなくちゃいけない。そのために必要なのは、ひとつには理系的なセンス、知識、考え方なんじゃないかと・・・。

 ・・・というわけで、この夏チャレンジする理系本1冊目は、齋藤孝『文系のための理系読書術』を読んだときから興味のあった池田清彦『新しい生物学の教科書』。もう10年以上前に発行されたものだから、決して新しくはないのだろうけど。

 『これ一冊読めば現代生物学の諸領域がほぼわかる』・・・とは言え、雑誌連載時のタイトルが『教科書にない「生物学」』であったということは、読者は高校の教科書レベルの知識は持っているということが前提となっており、文章は平易であるものの教科書レベルの常識である用語や事柄についての説明は省かれているため、「遺伝子」「染色体」「DNA」という言葉の定義さえ覚束ない私にはかなり難しい。

 著者は構造主義生物学を主張する立場から現時点(発行時時点)での生物学の領域で明らかになっていること、議論されていること、不明なことについて書いている。本書から学問的な刺激を受けられるほど私の知識や興味は熟していなかったけれども、「今いる人間はネアンデルタール人から進化したわけじゃないんだ!」っていうレベルで、私のすごく曖昧で古い聞きかじりの知識を訂正するくらいのことはできたのかも・・・。(それにしても現生人類とは別系統の人類っていうのは何で生き残らなかったんだろう?)

 その他、遺伝子は遺伝という現象のごく一部を占めるものでしかない、とか、自然選択とは進化の原因ではなくむしろ結果であるかもしれないとか、「死」を運命づけられているのは地球上の生物のごく一部だけだとか・・・驚くべき話は色々とあった。

 『死は進化の過程によって生じたと思われますか』という『屍者の帝国』でのアレクセイ・カラマーゾフの台詞は突飛な妄想でも、ロマンティックな感傷でもなかったのか・・・。




FC2 Blog Ranking

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

プロフィール

やぶからねこ

Author:やぶからねこ

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

ブログランキング
にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村 漫画ブログへ
カテゴリー
最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
検索フォーム
カレンダー
07 | 2015/08 | 09
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
魂に喰い込んでます
月別アーカイブ
Powered By FC2ブログ

Powered By FC2ブログ
ブログやるならFC2ブログ