2013-08-31

第一阿房列車 : 内田百けん

『第一阿房列車』 内田百けん

 この夏、青春18きっぷで行った山陰旅行の旅の友。のんびり走る列車の中で、車窓の海、山、田圃を眺めたり、居眠りしたりの合間に読んだ。


 早起きはしないから出発は昼過ぎが良い。席は一等が良いが、三等でもかまわない。旅の見送りに来てもらっては困る。皆がこぞって行くような観光名所には行ってやるものかと思う。山のような理屈と我儘を並べ上げ、御供に「ヒマラヤ山系」君を連れ、人に借りたお金で悠々と目的も用事もない阿房列車の旅に出る百けん先生。

 何をしても良い、何をしなくても良い、別に着いた先で観光なんかしなくたって良い、ただ列車に乗っているだけの時間を楽しむことなら、私だって負けちゃいないぜ!と思いながら読む。

 我儘の限りを尽くしているように見えて、同行の山系君の腹具合を考えてやったり、自分の長年の愛読者である山系君にゆかりの百間土手を見てもらおうと思ったりと、先生、可愛いところがある。

 「おい山系君」と呼んだが曖昧な返事しかしない。
 「眠くて駄目かな」
 「何です。眠かありませんよ」
 「すぐ百間川の鉄橋なんだけれどね」
 「はあ」
 「そら、ここなんだよ」
 「はあ」

 
 見送り無用と言っておいても、毎回丁寧な見送りを受ける。各駅では駅長さんや助役さんがあれこれと世話を焼いてくれる、着いた先では各地の名士のお出迎えを受ける。「ヒマラヤ山系」君はどこまでも御供してくれる。何か知らんが愛されていて、そういう好意を鷹揚に受けることができる上等な人だったのだなぁ。

 そして百けん先生、無目的な列車の旅の合間にシュールな話で読者を煙に巻くのである。

 山系が隣からこんな事を云いだした。
 「三人で宿屋へ泊りましてね」


 三十円の代金を三人で十円ずつ出して支払った。サービスで五円まけてくれたうちの二円を女中がごまかして、三円だけ返してきた。一人に一円ずつ戻ってきた計算だから、一人分の負担は九円。

 「九円ずつ三人出したから三九、二十七円に女中が二円棒先を切ったので〆て二十九円、一円足りないじゃあありませんか」





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2013-08-24

私の中の男の子 : 山崎ナオコーラ

『私の中の男の子』 山崎ナオコーラ

『浮世でランチ』を読んだときにも、出会頭の一言で鳩尾にパンチをくらったような気がしたのだけど、今回も冒頭の『雪村には十九歳まで性別がなかった。』という一言に「うぐっ!」とたじろいだ。

 私は・・・いまだに自分が女性であるとか、男性であるとか・・・そういうことがピンとこない。

 主人公・雪村は、十九歳で作家デビューして初めて、周囲が自分を女性として扱うことを知り、自分が世間からは女性に見えることに気づき、戸惑う。

 女性であることを知った雪村は、自分の中にいる異性=男性を強く意識する。生活には違和感がついてまわる。女であるという意識がぼんやりした私の中には、「異性」というほどにはっきりしたものではないけれど、「女」と呼ばれるものでもないような気がする、よくわからないものがいる。

 もしかしたら雪村は、性別の意識が曖昧な私に、何か優しい答えを出してくれるのではないだろうか・・・勝手な期待を寄せて読む。

 しかし、雪村の行く先にあるのは、自分の頭の中の居心地の良い世界から外に出る~違和感だらけの自分という存在を外に向かって開く~ということだった。

私、今まではみんなそれぞれ世界の見え方が違うから、ひとりひとりの頭の中に世界があるんだと思っていたの。


 私にも身に覚えのある「世界は頭の中にある」「精神として生きている自分」という思いに潜む自己欺瞞から身を引き剥がそうと雪村はもがく。私の不甲斐なさを糾弾されているようで痛い。

 たくさんの違和感を抱えた自分というものを意識し、貫きつつ、同時に自分の外に広がる世界を感じる。『世界の中に物理的に存在している自分』から逃げず、様々な関係の中に自分を置いて生きていこうとする雪村の覚悟は凛として清々しい。しかし、そうやって生きていくことがもたらす痛みは雪村についてまわるのだろう。

 頭の中を流れはじめた『・・・だのに、なぜ、歯を食いしばり、君は行くのか、そんなにしてまで』という歌とともに、雪村の姿を見送った。

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2013-08-17

猟奇歌 : 夢野久作 赤澤ムック編

『猟奇歌』 夢野久作 赤澤ムック編

 この夏、知人よりお誘いをいただいて、ある短歌の大会に歌を出してみることにした。といっても、まったくの素人であるので、まずは何か入門書を探そうと出かけたのだが、帰りに手にしていたのは、この『猟奇歌』だったという・・・

 編者の赤澤ムック氏により八つの章がたてられ、その分類に沿って百十六首が収められている。読んでいるうちに、十代の頃に抱いていた、何に向けてよいかわからぬ憎悪、ここではない世界への憧れ、痛すぎる自意識などを思い出し、「おお! そういえば私にも十代の暗黒はあったのだ!」と懐かしい。

 地平線になめくぢのような雲が出て
 見まいとしても
 何だか気になる


 殺人狂が
 針の無い時計を持つてゐた
 殺すたんびにネヂをかけてゐた


 このような一首が熱病のようだった「十代の暗黒」を刺激するのは確かなのだが、多くの十代が抱く、出口もなく、形もなく、ただモヤモヤと蟠る非生産的な闇と異なり、「猟奇歌」に詠まれるのは、人の後暗いところに生まれ、言葉によってドラマとイメージをあやしく花開かせる、大人の嗜む猟奇である。

 誰か一人
 殺してみたいと思ふ時
 君一人かい…………
 ………と友達が来る


 という一首など、口の端に思わず暗い笑いが浮かぶ。なんだか、もう、上等な「猟奇芸」とでも呼びたいような気がする。





よけいなことながら・・・

 あとがきに綴られる編者の「猟奇歌」への共感には、ちょっと同調しづらいところがある。編者は時代や社会情勢とからめて「猟奇」を語るが、猟奇を愛好する心は、時代や社会云々ということではなく、もっと個人的な領域に潜在しているのではないかと思うが・・・。

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2013-08-10

冥談 : 京極夏彦

『冥談』 京極夏彦

 幽霊でも、化物でも、妖怪でもなく、「こわいもの」のお話し。例えばそれは、「あるはずがない」「あってはいけない」場所に何ものかがある怖さ。

 収められた話のいくつかに「家」というものが印象深く登場する。「冬」という話の語り手は、匂いや音、皮膚に残った感覚を頼りに、子供の頃に訪れていた豪農であった祖母の生家の記憶を辿る・・・。


 私の父方の祖母の家も農家だった。「冬」に書かれているような豪農ではもちろんなかったが、襖で仕切られた部屋がいくつもあり、盆や正月に親戚たちがあつまると、私も兄や従兄弟、従姉妹たちと家中を走り回り、あちこち探検して回ったものだ。

 松のある庭に面した仏間、その裏の曾祖母が寝起きしていた薄暗い部屋、妙な匂いのする黒光りする水屋、ヤツデとドクダミの生えた狭い裏庭、玄関の三和土は苔でも生えていたのか深緑色で、やはり三和土になっていた台所には薪で炊く竈があり、風呂は五右衛門風呂だったなぁ。部屋の周りはぐるりと縁側がめぐらされていて、なんだか入り組んだ廊下の行き止まりには波しぶきとその上に浮かぶ月が漆喰で描かれていたように思う。

 私たち家族が寝るのは納屋の二階の空き部屋で、階段をはさんだ隣りは当時独身でまだ実家で暮らしていた父の末の妹である叔母の部屋だった。

 
 年頃の女性の部屋というものが気になって叔母の留守中にこっそりその部屋に入ってみたことがある。すると、床には何やら鮮やかな色で描かれた花札のようなものが散らばっており、その中に幽霊のような青ざめた女の人の絵があるのを見た   ・・・というのは、おそらく夢との境が曖昧になってしまっている記憶。




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2013-08-03

狂言サイボーグ : 野村萬斎

『狂言サイボーグ』 野村萬斎

 「狂言サイボーグ」・・・完璧にプログラミングされ、自分のイメージ、意図するものを完全に実現できる身体。

 思えば、私など、絵を描きたいと思っても、目で見て、頭にイメージする通りのものを手は描いてくれず、楽器を弾くにも、軽やかに速弾きをしているつもりが、我が指は指板の上で芋虫がもんどりうっているのか・・・という有様だ。いや、それ以前に・・・自分のウエストを理想のサイズにコントロールすることすらできていない。

 自分がイメージし、また意図したことを自分の身体で完璧に実現する、できる、というのは一体どういう感覚・・・、どんな感じがするものなんだろうか? 何かを身体で実現する・・・ということを、私もやってみたいと思った。(まずは理想のウエストサイズに仕上げること・・・か。)


 狂言には「型」がある。「型」とは舞台をつとめる狂言師にとっての「教養」=「生きていくために身につけるべき機能」であると著者は言い、「型」について様々なことが語られている。

 中でも面白いなと思ったのは「電光掲示狂言」のくだり。舞台上に並べた電光掲示板に色々な文字情報を表示して観客に働きかける。掲示板に表示されたオレンジ色や緑色の「柿」という文字(その「文字」を縁者が食べるという演出)に観客が反応する。無機的な情報として観客の目に映った「文字」が観客の心や身体から呼び起こす反応 ~ そこには、ある意味デジタルな情報である「型」がもたらす作用に通じるものがある。生な感情をぶつけることなく、それでいて人の心身を動かしてしまう仕組み、力・・・それが古典に備わった「型」なのか。

 非常に興味深い話であった。




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