2011-01-29

シネマ歌舞伎 『わが心の歌舞伎座』

 役者、お囃子、附け打ち、大道具、小道具、衣装、床山、狂言作者、楽屋裏の人々・・・ それぞれの人が、それぞれの場所で、それぞれの仕事を、日々怠りなく勤める ~そうして動き出す「歌舞伎座」は、建物というよりも生命を持った大きな生き物のようであり、そんな人々の日々の営みを内に抱いた一つの町のようでもあり・・・。そうした場所に観客として足を運ぶことのできた幸せを感じます。

 繰り返し、それでいて日々新しく、滞ることなく流れ、連綿と受け継がれる・・・歌舞伎に携わる人たちの長い長い営みを思わせる映像。それぞれの場所で静かに、熱く、真摯に自分の職掌を全うする人たちの姿が印象的でした。


 この劇場でお芝居を観たのはほんの数えるほどの回数でしかないし、この場所に格別の思い入れを持っているというわけではないけれど・・・ いつか、この歌舞伎座でお芝居を観たということを、何らかの感慨をもって思い出す日が来るのかなぁ。




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2011-01-26

歪み真珠 : 山尾悠子

『歪み真珠』 山尾悠子

 蜃気楼というのは巨大な蛤が吐き出した気が形を成した楼閣だというけれども、ここに収められた掌編の数々も、まるで巨大な貝の見る夢があふれ出して生まれた世界のよう。

 石の台座に乗り荒野を通過する美神。人魚を殺す娼婦。水源地への途上の橋に佇む橋姫。視界の隅を侵す天使。禍々しい受胎告知。夜の宮殿で豪華な食事を食い散らかし、大理石の糞をする女王。「悪魔の誘惑を受けた聖者、というひとことで止め処もなく妄想が膨らむ者たち」・・・ははは・・・私もその一人かも。

 神々しく、怖ろしく、しかしどこか可笑し味~すべてをつきはなして笑うユーモアを含んで。

 巨大な貝の夢が産んだ歪んだ真珠。そこに封じられた世界はあまりに純潔で、汚れた指で触ろうとすると途端に変色してどろどろに崩れてしまう。少し力を加えるとパリンと砕けて散ってしまう。

 侵し難く純潔な世界。しかし、その世界を囲む結界は、背後にど~んと威容を誇るこの真珠を派生させた原典のゆるぎなく重厚な気配の前では、時に少々頼りなく、あまりに繊細・・・とも映る。




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2011-01-22

海贄考 : 赤江瀑

『海贄考』 赤江瀑

 『門を出ると、外はなにやら騒然たる月のひかり』  (「月下殺生」)

 これぞ赤江瀑が見せる妖し。

 柝が入る。幕が切って落とされる。足もとがぐらりと揺れる。世界が…歪む。眩んだ目を開くと、そこには凄艶な青い月の光に照らされた舞台が出現している。

 「厭な晩だ」・・・父を亡くし新盆を迎える友のもとを訪ねたものの、何か気の滅入る落ち着かなさを感じる哲夫。連れ立って歩き出した月光の中、哲夫が耳にした友の言葉、目にした友の姿・・・

 目の前の光景が途切れ、呪縛が解ける。放心の後、ほっと息をついて気付く。騒然たる青い月の光がさした瞬間、この世ではない場所に連れ去られていたことに。そこで繰り広げられる、悪夢のように逃れ難く異様な出来事を見つめる間、息をすることも忘れていたことに。

 その他、表題作「海贄考」含む全七篇の短編集。 

 終わりに向かう旅の途中で私と妻が行きついたある漁村。入り組んだ路地に阻まれすぐそこに見える海に辿り着けない、何か幻覚を誘うようなこの地には、水死者を神として祀る慣わしがあった。(「海贄考」)

 四十代半ばにして真っ白な嬉子の頭髪。老婆のように生き、死までの時間を静かに暮らす彼女の心に棲み付いた硝子のライオン。(「硝子のライオン」)

 鳥も通わぬ遥か海上・王島に、五年も姿を見せぬ鯨を追う男達(「幻鯨」)

 ・・・他

 悲しみと諦めに覆われて静かに密かに、しかし激しく残酷にその身の内を焼き尽くす、またあるいは、抗い難く甘美で無慈悲な力を振るい人の心と世界を覆い尽くす狂気。

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2011-01-19

ステーシーズ ― 少女再殺全談 : 大槻ケンヂ

『ステーシーズ ― 少女再殺全談』 大槻ケンヂ

 いったい何の回路が開いてしまったんだか? 何に繋がってんだかわからないスイッチをやたらと押されちゃったみたいで・・・ 色んなモノが、感情が激流になって流れ込んで、逆巻く アア、制御不能。たまらないたまらないたまらないたまらない・・・・・・・・・


 あァああああああァああァあああああああああァ~~~!

 奇声を発してしまいそうだ。


 
 ステーシー化する前の少女たちは、全能感と多幸感に包まれた笑みを浮かべる。その笑顔は“もうすぐお別れ”の徴。

『お別れしても、また会えたら、それでチャラよ』

 世界中で、15歳から17歳の少女たちが突然の死を迎え、人肉を喰らう屍・ステーシーとなって蘇る異常現象が起きていた。ステーシーたちは156以上の肉片になってしまうまで、銃で撃たれ、チェーンソーで切り刻まれ、石で潰されなければいけない。兄の、恋人の、再殺部隊の手によって。

 おぞましく姿を変えた愛しいものを、再び動きだすことがないように、ぐちゃぐちゃに完全に再殺する。

 見ず知らずの少女・詠子から押し付けられた“再殺の権利”を受け入れてしまう渋川の寄る辺なさも、狂いながら、泣きながら、笑いながら、ステーシーたちを肉片にしていく再殺部隊と、べちゃべちゃと肉片になっても動き回る少女のグロテスクなありさまも、ただ切なく、懐かしい。

 
 ああ、また会えたね。


 友達に貸したハムスターが「似てるけどよく見たら違うハムスターに変身して帰って来た」みたいに、かつて手にかけて、お別れをしたものとはやっぱり違うものだったけど。それでも、また会えた。


それでもいつか
カーニバルが来て
僕と君がいて
黒い猫もいて
また会えたらいいね
また会えたらいいね
また会えたらいいね
また会えたら

筋肉少女帯「また会えたらいいね」





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2011-01-15

レミング : 近藤史恵

「レミング」 近藤史恵(『Story Seller 2』収録)

『他人に無関心な王というのは存在しえるのだろうか』

 未だ王としては若い。暴君ではなく、又、人徳の王でもなく。

 チーム・オッジの単独エースとなった石尾豪。他の思惑を意に介さず超然としている石尾と、石尾を計りかね微妙な空気を醸すチームメンバーの間をとりもつべく動くうち、“石尾係”という役割に収まりつつある赤城の目を通して語られるチームの新しい王・石尾。

 新人時代には『ヒルクライム以外は興味ないんです。集団とうまくやっていく自信もないし、アシストするのも向いていない』(「プロトンの中の孤独」)と口にしていた石尾・・・だが、サイクルロードレースという競技を本能的に理解し、その競技自体と身体のどこかで繋がっているような。

 エースもアシストも同じ一つの役割と捉え、そこに感情を介在させることなく、場合によっては惜しげもなくエースの座を他の選手に譲り・・・しかし、自分が関わる場面では密かに、意のままに集団をコントロールする。

 『ちょっとアタックしてくる』・・・何かが一つ狂えば集団で海に身を投げてしまうレミングの群れのようなプロトンを率いて走っていく。石尾自身自覚しているのか、いないのか・・・暴君でもなく、人徳の王でもなく、それは「魔性の王」の片鱗を見るようで・・・。

 『サクリファイス』ではチーム・オッジの絶対的な王として、『エデン』ではかつてのチームメイト白石誓にかけられた重い呪縛として、周囲を圧する存在感を放ち続けた男・石尾豪。

 その圧倒的な存在感の濃さについ忘れていたけれども・・・そうだった、石尾豪は華奢といってもいいほど小柄な選手なのだった。その小柄な身体から立ち上り始めた魔性の気配。


 結局、何だかんだと石尾の為に立ち働いてしまう赤城に向かって、前髪をかき乱して笑いながら「そんなことするから、石尾係だって言われる」なんて台詞を口にできるところなんて、競技者としてだけではなく、人としてもやはり天然の魔性。

  

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2011-01-12

ちくま日本文学34 寺田寅彦

『ちくま日本文学 34 寺田寅彦』

 物理学者にして文学者寺田寅彦はとても目がいい。もちろん視力のことではなく。「見る」ことに長じている、という。

 科学的、又、文学的な事柄に、社会風俗そして日常の営みに、種種雑多に現れる事象の中からその本質を見顕す氏の理知と炯眼はもちろんのこととして、氏の書くものには「見る」「見える」という感覚が突出していること、そしてそれが読み手の視覚をも刺激することが感じられるのだ。

 ・・・というようなことを思いついて、小さく悦に入っていたのだが、巻末の解説にズバリ書かれていた。

 どうも物理学者寺田寅彦も文学者寺田寅彦も理論や意味や人情や思想の人ではなく視覚の人だったらしいのである。


 ・・・ちぇ。 ・・・ですよね。寺田寅彦の“視覚”が特殊であるということは、誰もが感じることでしたかね。・・・ちぇ。


 気をとりなおして・・・

 寺田寅彦にとっての認識の中心、そして天啓、ひらめきというものは、視覚~「見える」という形をとっていたのではないだろうか。氏の文章を読んでいると、匂い、音、温度、ミクロやマクロの世界の構造、時間の流れ・・・そういう、普通の意味では目に見えないものへの感覚、理解、記憶が悉く視覚へと変換され落とし込まれていくような感じを受ける。

 収録作のうち、「自画像」では氏における「見る」ということが最も現実的な形で書かれている。「病院の夜明けの音」は文字通り早暁の病院内に響く様々の音を描写しながら、それらが刺激するのは読者の聴覚ではなくむしろ視覚~ボイラーの蒸気が病室を暖めはじめ、廊下に薄い光が射すシンとした病院の早朝の風景を目の当たりにする感覚であり、又、朝の病院の音に呼応するのは、自分の体内の病巣の活動を目の前に見るが如き氏の視覚である。「映画時代」は「見る」という感覚に関して特殊な鋭さを持つする氏によって、「見せる」メディアである映画・映像の本質たるべき事がズバズバと指摘されていて刺激的だ。


 収められた随筆の内、主に物理学的興味、発想によって書かれたものの中には、私には理解不能であったり、退屈であったりしたものもあるが、「映画時代」で指摘される内容は、表現論として興味深く、映像だけでなくもっと幅広いメディアに適用されて良いものだろうといく気がするし、「芝刈」は保坂和志の小説『カンバセイション・ピース』のミニチュア版のようで、何事も無い時間の中から生まれる想念~収束し拡散する思考の渦が不思議に心地良い。

 しかしまあ、読後感の良さでいうと、瑞々しい発見に満ち、伸びやかさのある作品が多く収められた、大人の本棚シリーズ『懐手して宇宙見物』の方がおすすめではある。ちなみに、同シリーズでは『太宰治 滑稽小説集』も素敵に面白かった。


   

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2011-01-08

美男の立身、ブ男の逆襲 : 大塚ひかり

『美男の立身、ブ男の逆襲』 大塚ひかり

 「男の美醜」の問題に焦点を当てて日本文学を読み、その時代背景・思想を読み解く。歴史の中での男の持つ美しさの価値の変遷、仏教思想と美醜の問題、美男の限界、ブ男が秘めるパワー、美男の悪人「色悪」の生まれる背景・・・など等。

 美しい姿形でもって女性を魅了し、彼女らのもつ神通力や財力・政治力を我が物としていた神代の英雄や平安貴族。自らの美しさを武器に女装して(女性としての力を得て)戦うヤマトタケル。個性の一つであった人の美醜を「善悪」の価値観に結び付けてしまった仏教の功罪。むくつけき武力の時代の前に、平家の公達の美の敗北が涙を誘う「平家物語」。中世の美少年といえば避けて通れぬ男色の道。才覚のあるブ男が天下を取る時代を経て、俊徳丸に安珍・清姫・・・美男受難の日々がくる。「色男 金と力はなかりけり」・・・いいことのなかった美男がついにキレて「色悪」の誕生?!・・・と、雑学的興味を刺激する数々のネタと見解が次々と展開される。

 語り口は、ひとつのテーマを深く掘り下げるというより、とりあえず面白い・興味深いと思う対象にひっかかる度に何か一言書かずにはいられない・・・といった具合で、雑学的な興味を満たしてくれるという点では楽しいのだが、読んでいて今どこに論点があるのか解らなくなったりもする。

 素材となる原典からのテクストの紹介、その他文献からの引用や孫引きによって占められる分量がかなりあり、そういう点でもの足りなさはあるが、日本文学史を眺める上で面白い視点を与えてくれていると思う。

 こういう視点でもって自ら改めて文学にあたってみると、また穿った楽しみ方ができるのかもしれない。




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2011-01-05

明治キワモノ歌舞伎 空飛ぶ五代目菊五郎 : 矢内賢二

『明治キワモノ歌舞伎 空飛ぶ五代目菊五郎』 矢内賢二

 キワモノ ~ 特定の時節・流行・出来事を当て込んで売り出されるもの。自然、その価値はごく短命に終わる。

 散切り頭、毒婦のゴシップ、異国人のサーカスに風船乗り、そして戦争・・・目まぐるしく変わる明治の世の出来事・事物を次から次へと取り込み、“本物そっくり”な、そして驚きにあふれた芝居に仕立てて観客の目に供す。

 ストーリーとしてはそれほど練られているわけでもなく、深いドラマ性があるわけでもない、そんなキワモノを、五代目菊五郎という天才役者の勘と身体は、事実の中に巧妙に嘘をすべり込ませ、嘘の中にふっと真実を立ち上がらせ、とびきり魅惑的な世界として完成させてしまう。

 嬉々としてキワモノ歌舞伎に取り組む五代目の姿を生き生きと描き出し、その天才的な芸の素晴らしさに思いをやる著者の筆に心地良く引き込まれ、見た事もない五代目への興味・憧れ・思慕をかきたてられる。

 歌舞伎は見世物の親玉として ~略~ 派手なキワモノを次々に送り出し、同時代の世間のありさまを鮮やかな手つきで切り取ってきた。

 「時代を超えられない」といってクサすのは、ちとお門違いではあるまいか。多くのお客に足を運ばせ、財布の中から木戸銭を払わせ、夢見心地で家に帰した。芸能としてはそれでひとまず大成功だ。


 下世話なエンターテイメントとしての歌舞伎を肯定するこのような言葉を、嬉しく、頼もしく読んだが、それが現代の歌舞伎に贈られる言葉ではなく、あまりにも浮かばれないまま忘れ去られている明治のキワモノ歌舞伎の成仏を願って手向けられた言葉であることは、悲しく、残念でもある。

 できることなら、キワモノとしての歌舞伎に、もう一度息を吹き返してほしい。伝統芸能でありながらキワモノであることは矛盾しないと思う。ぜひ、ぜひ、キワモノで私をワクワクさせてほしい。

 しかし、團菊の死後、明治のキワモノ歌舞伎が絶えてしまったように、歌舞伎という芸能は役者の身体、その個性に生き死にを握られているようなもので・・・キワモノの復活には、相当な力技を可能にする役者の存在が不可欠なんだろうなぁ。




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