2010-08-28

宵山万華鏡 : 森見登美彦

 古の百鬼夜行の都だもの。祇園祭の宵山だもの。何が起きたって変じゃない。通りにひしめく露店。山鉾を飾り、露地を照らす駒形提灯。祭りの賑わいの中から、ふと異次元の不思議な「宵山」に足を踏み入れた人たち。

 京都の町を摩訶不思議な妄想空間に変えてしまうことにおいては当代随一ではないかと思われる森見氏の手によって溢れ出す奇天烈な「宵山空間」。めくるめく色彩、化け物めいたモノども、もがいても抜け出せない、美しくも怖ろしい夢を見ているような光景が眼前に繰り広げられる。ストーリーはさておき、この溢れ出るイメージに身を浸すのが良かろう。
 
 信楽焼の狸。招き猫。金太郎の張りぼて。空を泳ぐ巨大な鯉。生きた金魚を封じた金魚玉。羽子板を振り回す舞妓に髭もじゃの大坊主。雑居ビルや町屋の屋上を回廊がめぐり、「超金魚」を奉った「金魚鉾」が町を睥睨する「偽祇園祭」と、この世のどこかでいつまでもいつまでも“永遠に繰り返す宵山”。

 色とりどりに賑やかな祭りの喧騒の中の、どこか物悲しく怖ろしい薄闇。大切な人の手を放さないように、気をつけてお行きなさい。

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2010-08-25

妖術使いの物語 : 佐藤至子

 人外の術で敵達を翻弄し煙に巻く妖しのもの。盗賊、怪僧、陰陽師、怨霊、若衆にお姫様、異形の動物たち。主に江戸時代の文芸・娯楽作品に登場する、おどろおどろしくも魅力的な妖術使い・・・“「その筋のもの」が気にかかる”という人にとっては、これからさらなる深みにハマっていくための水先案内になるであろう一冊。

 隠形・飛行・分身・反魂、蝦蟇・鼠・蜘蛛・蝶々・・・それぞれに個性的な妖術使いたちと、その術が続々と紹介されているけれど、欲を言うなら、もう少しそれぞれの人物像等について掘り下げた解説が欲しいところ。限られた分量の中でなるべく多くのキャラクターを紹介するためだとは思うけれど、若干、キャラクターと技の羅列っぽくなっているのが残念。(最後に、妖術使いの物語が貴種流離譚の側面を持っていることや、妖術使いたちの異性装について等・・・妖術使いの人物造形にみられる特徴や、読者を魅了する諸要素について考察した一章が設けられてはいる。こういうトコ、もっと詳しく読みたかった。) 原典のあらすじ紹介や、せっかくの妖術発動の場面描写も、あまりにザックリ要約されていて味気ない。原典はきっと、因縁・怨念絡みあう過剰なまでにこってり濃厚なお話なんだろうけどなぁ。

 とは言え、豊富に収録された図版が、そのもの足りなさを十分に補ってくれる。ぎょろりと目を剥き、屋敷を押し潰す大蝦蟇。生首を咥えた大蜘蛛。振袖姿も艶やかな若衆を背に飛行する巨大な蝶。いやぁ~ こういう不気味なもの(もしくは禍々しいものと美しいものの組み合わせ)を見るとワクワクしてしまう生理ってどこからくるんだろう?

 大蝦蟇や巨大蝶って、歌舞伎の舞台でも見たことあるけど、絵で見る方が極彩色の悪夢のような“あり得ない感”満載でドキドキする。(昨年の「亀治郎の会」で上演された『忍夜恋曲者』の蝦蟇は見事だったがなぁ~)


 それにしても・・・ 画面を彩る美形キャラ。読者を魅了する不気味で愛嬌のある化け物や、ヒーローたちの超絶技。読み手のニーズ・嗜好に応えるために工夫を凝らす作者。熱狂する婦女子。人気に応えてどんどんと長大化する物語。絵草子と歌舞伎のメディアミックス。・・・現代の、あのマンガ雑誌をめぐる状況と、何やらよく似てる。

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2010-08-21

蕭々館日録 : 久世光彦

 小説を書いている父さま・児島蕭々の書斎には、いつもおかしな大人たちが集まってきては、他愛もない遊びや議論に興じている。私~五歳の少女である麗子は、書斎に侍ってそんな大人たちの姿を見つめている。

 美学者の迷々さん、精神病院のお医者様並川さん、金貸しの中馬さん、かけだし編集者の雪平さん、文士の蒲池さん、そして九鬼さん。もしかしたら、「蕭々館」に集まってくる大人たちは、もうどこにも見当たらなくなった「高等遊民」たちの真似をして、過ぎていこうとする時を、間もなく失われてしまうであろうもの(もう失ってしまったかもしれないもの)を惜しみ、愛し、その惜別の情を他愛のない喧嘩や悪ふざけに紛らしているのかもしれない。

 馬鹿騒ぎの最中も、「蕭々館」の大人たちは、時に“悲しいことも無きに泣き”そうな顔をしている。そんな大人たちの中で、麗子を堪らない気持ちにさせるのは九鬼さんである。麗子も、「蕭々館」の大人たちも身体のどこかで、九鬼さんもまた“間もなく自分たちの前を去っていくもの”であることをわかっている。

 長い髪を無造作にかき上げる九鬼さん。インバネスを風に弄らせた鴉のような九鬼さん。肋の浮いた九鬼さんの胸。心から笑ったときにだけ浮かぶ笑窪。迷子のように怯える姿。時に見せるぞっとするほど冷たい目。九鬼さんのことを想うと麗子は下腹のあたりがもぞもぞする。沢山の智恵も才能も持っているのに幸せそうでない九鬼さんがあんまり可哀相で、麗子は声を上げて叫びそうになる。


 九鬼=芥川龍之介、蒲池=菊池寛、児島蕭々=小島政二郎

 一種のかわいた明るさを持ったせつなさ ~ “悲しいことも無きに泣きたい”気持ちを抱えた、愛(かな)しくて哀しい大人たちの世界を、遠くへ行ってしまうものたちの後ろ姿を、久世光彦の目を持った五歳の童女・麗子がじっと見つめ、見送っている。

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2010-08-18

仏教が好き! : 河合隼雄・中沢新一

 このやわらか~いタイトルが以前から気になっていたのである。いつの頃からかうっすらと仏教への興味を持つようになり(古く?は岡野玲子の『ファンシィダンス』、最近ではみうらじゅんの影響が大きい)、いつか読もうと思っていた一冊なのである。

 しかし・・・「仏教が好き、仏教が好き、仏教が好き・・・」わくわくしながら読み始めるも、あまり読み進めないうちに半ばお手上げ状態になる。 

 「仏教とは何か」、ひいては現代において仏教に期待される可能性、仏教が担うべきものについて河合隼雄氏が生徒役になり中沢新一氏と語りあっておられるのだが、東西の思想、哲学、心理学、科学の分野までを網羅した知識の上で語られる内容はやわらかく見えてかなり難解。

 仏教との比較対象として取り上げられる様々な思想や現象、または例えとして語られる事柄の内容がどういうものなのか・・・そこんとこの知識を持たない私は、お二人が語ることを噛みしめながら考えるというレベルに達しておらず、とりあえず鵜呑みにすることから始めるしかない。これから長い時間かけて少しでも消化できるのか・・・まぁ、気長に行こう。

 一神教の宗教の“神 対 人間”のように、“仏 対 人間”とはならない仏教。一神教の宗教とは全く異なる成立ち、構造、思想、を持つ仏教は、“宗教”というより“智恵”、生命の荒野を進むための地図といった方がしっくりくるようである。お二人の対話のなかで“語らない大日如来”や「ブッダは自分が悟った内容について長い間沈黙していた」ということが語られるが、仏教とはとても個人的なものなのではないかとも思う。

 ああ、それにしても広大すぎる仏教の宇宙・・・ そこに入っていくことはできるのか? すべてはこれから、これから・・・ 

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2010-08-14

僕にはわからない : 中島らも

 前回のエントリーで感想を書いた京極夏彦氏の『幽談』と並行して、中島らも氏のエッセイ『僕にはわからない』を読んでいたんである。ランダムに手にした2冊の本を、偶々同時進行で読んでいただけなのだが、ジャンルも、書かれた時期も全く違うこの2冊の本の内容が所々で見事にシンクロしていて驚いたのである。

我々は自分の大きさに即したスケールで物を見るように作られている。アリにはアリの視界のスケールがあり、恐竜には恐竜の、ヒトにはヒトのスケールがある。そのスケールをはずれてミクロスケールにはいってもマクロスケールにはいっても、その生物は生きていくことができない。  「なぜ人間は無知なのか」(『僕にはわからない』)

例えば、限りなく俺たち人間に近い宇宙人がいたとしよう。でも、大きさが千倍だったらどうだ。逆に千分の一だったらどうだ? ~中略~ 千年が一秒程度のスケール感の相手だったら、俺たちは目の前に出た途端に死んでるよ。     「十万年」(『幽談』)

 

一匹のアリが人間と言うものの全体像を理解したとすると、そのアリはどうなるだろうか。恐らくは恐怖のあまりに瞬時にして死んでしまうのではないだろうか。  「なぜ人間は無知なのか」(『僕にはわからない』

人間は、世界の半分見ていれば足ります。~略~」
「半分、でいいのです」
  こんなにこわいものは。  「こわいもの」(『幽談』)



 部分的なとこで奇妙に一致しているだけじゃなく、全体に何か通じ合うものが流れているような気がする。書かれた時期は随分違うのだが、多分、それぞれの時点でのらも氏と京極氏には、“世界”のとらえ方や“怪しいもの”との関り方において似たところがあったのだろう。

 時間感覚、スケール感、文化的な枠組、外部からの刺激を受け取る器官の違い・・・ “世界”と接する部分が少し変化するだけで、世界はぐるりと裏返ってしまう。“よく知っているもの”が“知らないもの”になり、見えなかったものが見え、あるはずのものが消え、生きていることは絶え間ない死の連続になり、死は生きていることと変わりがない。

 人の認識の頼りなさを知っているからこそ、「僕にはわからない」。

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2010-08-11

幽談 : 京極夏彦

 「現実」と二重写しに、幽かにそこに「ある」もの。生きている女の手首、私を眺めている死んだ友人、どこまでも追いかけてくるとても嫌なものの気配。十万年に一度ほんの数秒間だけ空を泳ぐ巨大な魚。「現実」とは異質であるけれども「そういうもの」として「ある」ものたちを語る「現実」と「異界」の間の話。

 「現実」を形づくる網目をひとつひとつ解していくと世界は少しずつその本来の姿である混沌へと帰っていく。「現実」とは、混沌に与えられた仮の姿の一つでしかない。

 私たちの現実認識の仕組みを揺るがすことで出現する異界。


 京極氏も執筆者として加わり、怪異研究の手法に関ることや、人が「ありのままの現実」と思っているものが何であるかということなどが語られている『見えない世界の覗き方―文化としての怪異』とあわせて読むと面白さが増すかもしれない。

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2010-08-07

二つの月の記憶 : 岸田今日子

 可愛らしくて、少し危険で、エロティックで・・・
 
 大人が秘密の物語を隠した小部屋にそっと招き入れられ、濃く匂う美しい色をした果実を供されているような・・・ 
  
 しかし、最後の秘密までは見せてくれない。

 うふふふふふ…… という密やかな笑い声とともに扉は閉じられる。

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2010-08-04

さよなら私 : みうらじゅん

 仏教の教えはよく分からないけれど、多分「空」ということを現代の生き方に実践的に取り入れるとしたらこういうこと。

 “すべてはない”・・・“ある”と思っているものだって、みんな脳が作り出したものであって、実態なんてない。幸せも不幸も愛も悩みも夢も“自分”というものすらも、“そもそもはない”。

自分なんて見つけてるひまがあるのなら、少しはボンノウを消そうとする「自分なくし」のほうが大切じゃないでしょうか?

 
 みうらさんは“何もない”と悟って楽になろうと言っているんじゃない。“何もない”と「あきらめることから始めよう」~ 「なにもない、なにもない」と唱えながら面倒ごとにまみれようとしてる。そもそも何も無いのであれば、何があったっていいじゃないか。面倒なことに巻き込まれたって「そこがいいんじゃない!」って呪文を唱えながら行こうと言っているのだ。


 でもねぇ、“あきらめることから始める”、“「自分探し」より「自分なくし」”って、魅惑的なだけにちょっと危ない言葉じゃないかなぁと思ってしまう。

 そんなことを思っている私の頭の中に、「BLEACH 17巻」での恋次と一護の台詞が響く。

 誓ったんだよ・・・

 ・・・誓い・・・だと? 誰にだ

 誰でもねえよ… ただ 俺の… 魂にだ!!!!


 この台詞を読んで、“いつか俺も自分の魂に誓える男になりてぇ~”と憧れるのはいいけど、安易に自分の魂に誓っちゃったりするといけない。ほとんどの凡夫にとって自分自身なんて一番簡単に裏切れちゃうものだったりするから。

 誓うに足る自分が出来る前に、自分になんか誓っちゃいけない。
 何もないと知る前に、「何もない」という言葉を知っちゃいけない。

 だからやっぱり、始める前からあきらめない方がいいんじゃないかと思うし、「自分探し」もしないうちから「自分なくし」なんて言葉知らない方がいい・・・と思う。

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