2009-02-28

似せ者 : 松井今朝子

 芝居に関わって生きる人たちの生~その切なさ、やるせなさ、清々しさを、さらりと吹き抜ける風のように描いた短編四編。

『似せ者』
 坂田藤十郎を真似た芸で人気をとっていた小芝居の役者を、二代目藤十郎として担いだ男と担がれた役者。

『狛犬』
 何かと器用な助五郎と、色白でおっとりとした広治。「てめえたちはまるで狛犬だなあ」と言われた二人の役者の胸の内。

『鶴亀』
 大坂で人気の名優・鶴助と、彼に振り回されながらもそばで見続けてきた興行師・亀八。

『心残して』
 江戸の最期が近づくなかで出会った、囃子方の三味線弾きと一人の武士。
 

 運・不運、幸せ・不幸せ、好きだとか嫌いだとか、簡単に割り切れない人生の機微。そこに注がれる著者の目が温かい。芸の世界に生きてはいるが、桧舞台の真ん中に立てるわけではない。それでも自分の芸をしっかりと胸に抱いて、顔を上げて生きようとする人たちの姿に泣かされる。

 小さな人たちの人生は、大きな世間、大きな時代の前には激しい川の流れに翻弄される一枚の葉っぱのようだ。流れにまかれる木の葉であるなら、せめて上手にくるくると回って見せようと、ほんの少しの諦めのまざった、小さな人たちが見せる意地が切なくも気持ち良い。

・・・

 『心残して』には、三代目田之助丈が登場する。南條範夫氏や皆川博子氏の小説では、美しくて、わがままで、情念と執念の人であった田之助。松井今朝子氏のこの短編では、自分の芸を自分の持てる力すべてで表現しようとした、芸に真摯な若者という印象なのだ。

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2009-02-25

泣き虫弱虫諸葛孔明 第弐部 : 酒見賢一

 劉備一家最大の見せ場?! 新野からの逃走劇と長坂坡の戦い。

 過激な「春秋左氏伝」原理主義者・物騒な独善イデオロギスト・関羽。新野での平和すぎる生活に、すでに精神のバランスが崩壊気味の悪獣・張飛。劉備一家の中でただ一人、まっとうな武将なんじゃないかとかすかな期待を寄せていた趙雲までが、赤い閃光を曳きながら戦場を飛ぶ人外のものに変異する。

 もう、これが本当にこの地上での物語なのかなんてどうでもいい、桁外れなダークファンタジーとなってしまった「三国志」。

 緊迫してくる事態に、“それを人前で言えるようになったら、人間として終わりだろう”というレベルの思い切ったエロ・トークで場を和ませる?簡雍。『敵の追撃を受け、脱糞しながら馬の鞍にしがみつくような目に遭う』覚悟をキメつつも、どこかを燃やしたくてウズウズしてるPyromaniac・諸葛亮。

 そんな中、親分・劉備の行動は一点の曇りもなく支離滅裂であり、『嘘偽りのない偽善』~その魔性は全開である。

 孔明「曹公の大軍の前に立ち塞がったかのように人の耳に聞こえ、華々しく一戦して命より名を惜しんだ感じが漂い、惨敗して逃げているにもかかわらずなんとなく勝ったように見え、なおかつ民衆の人望も失わず、希望の新天地に思いを馳せる・・・という、~略~ おそるべき策がわが方寸にあります」

 劉備「まさか! このわしですらもう諦めて、そんな都合のいい話はなく、うまい汁は吸えないと反省しておったのに。そんな痴人の妄夢が叶うとおっしゃるのか」



 こんな人たちに付き合い続けた曹操は偉いと思う。

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2009-02-21

泣き虫弱虫諸葛孔明 : 酒見賢一

 昨年後半数ヶ月をかけて吉川「三国志」を読んだのは、この「泣き虫弱虫諸葛孔明」が読みたかったからなのよ。外道な「三国志」を読むためには、事前に正統を押さえとかないといけないと思ったのでね。

 でも、“ちゃんとした”戦国の英雄物語だと思いこんでた「三国志」が、ちっとも“ちゃんとしてない”、常軌を逸した悪魔の所業!みたいな物語で、私、脳震盪を起こしておりました。

 吉川「三国志」の感想はこちら
 http://neconohitai.blog71.fc2.com/blog-entry-262.html


 乱世の英雄たちのやることは私の予想を超えすぎてる。しかも、背筋も凍るようなできごとの数々が、「英雄と敬う人に、自分の妻を殺してその人肉料理振舞うくらい当たり前です。」とか「地雷仕込んで南の蛮族を丘一つごと殲滅しましたけど、何か?」くらいの“平然”さ加減で書かれてるのが、ものすごく怖い。

 どう読んでも、誇大妄想狂のニートだとしか思えない劉備が、仁君ともてはやされるなんて、何がどう倒錯しているんだか、不気味きわまりない。

 そんな気持ち悪さが、吉川「三国志」読了後ずっと胸にわだかまっていたので、ふざけ倒した「三国志」だと思ってた「泣き虫弱虫~」が、すご~くまともに思えて仕方ない。「だよね、だよね~、何かこの人たち、得体が知れなくて怖いよね~」と激しく頷きながら読む。

 昨年来、私の中の劉備&孔明は、突然、“神”が降りてしまった新興宗教の教祖 & その教祖を陰で操り、自分が頭の中に描いてきた悪魔的な計画を、すべて現実の上で試してみようとしている軍事オタクにしてマッド・サイエンティストというイメージだったのだが、酒見氏の描く二人は、もう宇宙レベルにムチャクチャな男達だ。

 劉備は、関羽・張飛という義兄弟を得て、地方で暴れまわった元不良少年。そして今では、高い志というよりも妄想めいた男のロマンを抱いた、「劉備一家」の親分。その野望は随分と妄想的でありながら、幾多の修羅場をくぐって(敗走して)きた親分は、実はリアリストである。が、肝心な局面ではまともに考えがまとまらない為、つい勘に頼ってしまい痛い目を見ている。しかし、その魔性の勘に危機一髪(自分だけは)救われてきたのも事実である。

 “異様に感情的すぎる人”劉備親分は、感情の昂ぶりにまかせて、野郎どもをアツくさせてしまうクサいセリフを吐きながら、なんともいえぬ「いい顔」をしてみせるのが得意である(得意というか、オートマチックに「いい顔」「熱いセリフ」が発動してしまう体のようだ)。そんな男らしくがらっぱちな親分だが、ちょっと「カッコいいなぁ」と思う相手や、自分の得になりそうな相手に出会うと、これまたオートマチックで涙(泣き落とし用)が溢れ出し、異常なまでにへりくだった態度をとってしまう。男らしさと女々しさ、野望の大きさと能力の低さが渾然一体というか、支離滅裂というか・・・。

 親分は任侠の世界の人であり、中国社会における「侠」の何たるかなんてのも語られるのだが、それがまた、理屈無用の血も凍る怖ろしさ。 


 一方、孔明・・・その知識量、明晰な頭脳は誰もが認めるところ。しかし、人間の域を遥かに超えて明晰すぎる頭脳が思い描くのは常に「宇宙」サイズのことであり、「天下万民」などというスケールの小さいことなど、大宇宙の意志を我が物とする彼にとってはハナクソほどの価値も無い。

 孔明の行く道を邪魔する者達を次々と襲う不運。常に心は「火計上等!」(あくまでも陰湿に)。臥龍岡に蠢く不気味な自動機械。意味不明・予測不能な奇行で近隣住民を恐怖に震え上がらせ、弟・均君を神経衰弱に追い込む、イカれたサイコパス野郎ギリギリってとこだ。

 劉備 vs.孔明・・・互いに一歩も譲らぬ変奇郎ぶり。ものすごく愉快でたまらなかったんだが・・・さすがに其処まで書かれてしまうと、逆に、「いやいや、劉備も孔明もそんなにヒドくはないよ。人間誰しも、一つや二つ欠点があるよね。」・・・くらいに思えてしまうのである。

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2009-02-18

ケッヘル : 中山可穂

 海に向かって一心不乱に指揮棒を振る男。

 印象的かつ、どこかアンバランスで、こちらの胸に不穏な黒雲が広がるのを感じさせる冒頭のシーンに摑まれてからは、前につんのめるようにして、長いストーリーを読み終えた。

 生きる上での全てをモーツァルトに支配された男・遠松鍵人。心の壊れてしまった恋人を捨て、逃亡の旅を続ける木村伽椰。英仏国境の町での二人の出会いから、遠松の過去、伽椰の現在を交互に描いてストーリーは進む。

 遠松との出会い以来、伽椰の目の前で次々と死んでいく男たち。男たちの死の前後に必ず開かれているオールモーツアルトプログラムのピアノコンサート。美しい獣のようなピアニストに伽椰は激しく恋をする。

 すべての出来事の裏に働いているのは、誰の意思なのか?

 
 モーツァルト狂の遠松。恋愛のケモノ道に、一切の冷静さを失って踏み込んでいく伽椰。その他にも過剰な情熱で一線を越えてしまた者たちの異様さが際立って、読んでいて少々、人あたり・・・というか、狂気と熱気と毒気にあてられてフラフラになってしまった。

 中山可穂の小説を全部読んでいるわけではないけど、作中で描かれる人物が変化してきているのかな・・・と感じる。

 例えば、「猫背の王子」の王寺ミチルは、ぐるぐると猛スピードで渦巻く、生死に関わるほどの情熱を、何とか自分の薄い皮膚一枚の内に留めて、孤独に耐えていた。ギリギリの一線上を物凄い精神力で歩こうとしているミチルの、ヒリヒリとした切実さには何度も泣かされた。

 『ケッヘル』の登場人物たちは、皮膚にいくつもの綻びがあって、渦巻く情熱はその綻びから外へと漏れ出してしまう。意識的にしろ、無意識にしろ、身体の内に留められなくなった狂気のような情熱は、自分だけでなく周囲の人たちを巻き込み、傷つけ、損なってしまう。

 激しすぎる情熱に、自分以外の者とともに巻かれたことのある彼らは、犯罪者であったり、社会的な規範に照らして、“ど~よ?”と思わせる人物であったりするのだけど、少なくともミチルさんのように孤独ではない。

 ・・・もしかして、その、「孤独ではない」ってことが、「愛」っていうもんだったりするんだろうか?

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2009-02-14

風が強く吹いている : 三浦しをん

 一人の人間の内にあるものは、決して誰かと共有されることはない。一人一人の人間はたったひとつの孤独な固体として沢山の人の間に存在している。 ~ 「私が語りはじめた彼は」「むかしのはなし」「きみはポラリス」などの作品を読む中で感じられた、しをんさんのそういう思いが、本作にも濃く表れている。・・・というよりも、「本来孤独な存在である人間」と「それでも生まれ得る“つながり”」を描くために、「駅伝」という素材が選ばれたのではないか。


 銭湯帰りの清瀬灰ニ(ハイジ)の目の前を駆け抜けた万引き犯・蔵原走。逃走する走(カケル)の走りはハイジの行くべき道を示し照らす光となった。箱根への想いを秘めたハイジと、走ることを結晶にしたかのような走。二人の出会いから動き始めた運命の一年 ~ 王子、ムサ、ジョータ、ジョージ、神童、ユキ、ニコチャン、キング・・・ほぼ陸上素人の8名とハイジ、走 ~ ボロアパート竹青荘に住む寛政大学の10人が箱根を目指した一年。


だれかと一緒に走るのは、ずいぶんひさしぶりだ。だけど結局、一人になってしまう。速度とリズムはだれとも共有できない、自分だけのものだからだ。



 同じ戦いをする仲間であっても、竹青荘の住人たちは決して馴れ合わない。自分の孤独、自分の問題と向き合い、「自分は独りだ」という意識をもってきちんと立つ彼らは清々しい。

 長距離選手へ贈られる最大の賛辞、『強い』ということはどういうことか。『強く』なるための苦闘 ~ たった独りの人間として世界と相対するとき、それぞれの者の目の前をよぎる「美しいもの」、胸焦がすあこがれ、切ない幸福。


 「人は皆一人だ」と確信する潔さと、それでも“誰かと共に”美しいものを目指そうとする思い。プロローグ・・・ハイジと走の出会いに凝縮された、自分にとっての真実、善なるもの、美しいものに出逢ったときの震えるような興奮と幸福と少しの苦さ。何だか泣けてしょうがなかった。

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2009-02-11

水に似た感情 : 中島らも

 タイトルが印象的 ~ 「水に似た感情」。怒りの涙、もどかしさの涙、哀しさの涙が流れきった後に、ただ流れ続ける、透明な水のような涙。

 これは、小説というよりも、一種の装置、あるいは儀式のようだ。


 鬱気質をアルコールで持ち上げつつ、芝居の台本を口述筆記で仕上げたその朝、取材旅行の為にバリへと旅立ったモンク。

 バリ到着後から、モンクに波状攻撃で襲い掛かる数々の体験。不甲斐ない取材スタッフ ~ トラブルだらけの取材 ~ 躁転して上がり続けるモンクのテンション ~ 不思議体験 ~ 水のように流れる透明な涙 ~ 地獄のミーティング ~ バリの夜と、その夜を彩る光 ~ マリファナの煙 ~ 真実を告げる夢  

 そこに書かれていることが本当なのか、嘘なのか。そんなことは、とりあえず考えなくて良い。

 モンクが見た風景を、モンクが見た光景を、モンクが見た幻を、モンクが聴いた音を、モンクが感じた怒りを、モンクが流した涙を、モンクが口にした言葉を、ただ、ただ、なぞるように読めば良い。その時、私に訪れる感情。それをただ、ただ、味わえば良い。


 ある心の状態を、ある感情をもたらすための、これは装置、もしくは儀式なのだ。

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2009-02-07

花宵道中 : 宮木あや子

  『間夫がなければ女郎は暗闇』だけど、間夫があってもやっぱり暗闇 ~ 吉原女郎の悲しい恋を描いた、第5回「女による女のためのR-18文学賞」大賞受賞作+それにつらなる短編連作。

 吉原が舞台になってはいるけど、花魁言葉や吉原のしきたり、花魁道中なんかはもうすたれてしまっている時代、しかも、あまり格式にうるさくない小見世の女郎たちの話ということで、所謂(幻想だとしても)吉原情緒をふりまくっていう趣の“ザ・吉原の遊女”の物語という感じではなくて、割と普通にいる市井の女の子 ~ 幸運とは言えない境遇の中で、身を売るしかない生活をしているとは言え ~ の恋物語。

 町の女の子と何も変わらないのに~女同士のおしゃべりも、恋する気持ちも~女郎という境遇が冷たく、ぎりぎりと彼女たちを縛る。それでも尚、燃え上がろうとする情。

 ・・・恋物語としては分かるんだけど、では官能的かというと、個人的にはちょっとツボ違い。私の場合はどこかで幸福感・充足感が感じられるものじゃないと辛い。愛しいと思う気持ちはあっても、不安や寂しさを抱えながらの情事はどうもイカン。

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2009-02-04

アルカロイド・ラヴァーズ : 星野智幸

 暗黒「ボタニカル・ライフ」・・・いや、暗黒と呼ぶにはあまりに濃い極彩色のイメージ・・・、悪魔的「ボタニカル・ライフ」と言うべきか。


 種から芽吹き、成長し、葉を茂らせ、花をつけて実を成す ~ 常に変化する植物の生。季節が巡り、葉を落として沈黙する植物の死。その死の中に準備される次の生 ~ 植物の再生。

 かつて、誕生~変化~死~再生を繰り返す植物としての生の中で生きてきた記憶と感覚を持つ咲子。


 余談であるが・・・以前読んだ、いとうせいこう氏の植物生活エッセイ「ボタニカル・ライフ」 ~ “ベランダー”いとう氏が植物を育て、植物と生活を共にすることで発見し、そこに記した「植物的生命サイクル」「植物的時間の流れ方」の感覚が、咲子が記憶している「植物の生」を感じる上で、思いがけない助けになった。


 かつて、咲子が繰り返したその生と死の中には、同じく植物の生を生きるものたちとの激しく奔放な恋があった。

 何度も生き、何度も恋をし、何度も死に、生まれ変わる ~ ランプの花が咲き、ステンドグラスの草の茂り、嬰児が実る楽園 ~ そこが私の場所だった。

 循環する「植物の生」を生きる楽園を追われ、一度しかない生から死へと一方向に時間の流れる「人間の生」へと落とされた咲子。罰としての「人間の生」を生きながら、ひりつくように楽園を夢想する咲子。

 自分は「バチがあたっている」という男・陽一と結婚した咲子は、夫に植物の毒を盛り続ける。妻の盛る毒を飲み続ける陽一。二人を1本のベンジャミンの木が見つづけている。

 二人の男女と一本の木は何処を目指したのか。罰を受けながら、楽園に立つ「骸骨の木」になろうとして失敗しつづけた咲子。「人間の生」の呪縛から咲子は逃れることができたのか。

 楽園に生き直すことを強く強く渇望する、楽園を追われた「人」の記。

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