2008-11-29

江戸にフランス革命を!(中)-江戸はなぜ難解か : 橋本治

 この江戸論、文庫本で三冊にわたっているのですが・・・かなり迂闊でユルい私は、この二巻目の中程を読んでいる頃に、タイトルの意味がやっとぼんやりと解ってきたのでした。

 「江戸」は結局、外国の力によって無理やりこじ開けられるように終わってしまった。260年にわたって蓄積され臨界点まで達していながら、結局、内側からの文化の・人々の意識の爆発として終わったのではない「江戸」を、もう一度きちんと爆発させて「今」という時点にたどり着き直そう・・・ということなのかな。

 そうは言っても、世界史の中で「フランス革命」がどういう意味のものなのか、これがまたよく解ってないので、今ひとつフィーリングを掴みかねているのですが・・・。

 52のトピックに分けて江戸の細部を解きほぐしながら、“じゃあ、その先にある現代は?”ってところをちらつかせていく。論理的に検証されていく江戸・・・読んでいるだけで、解ったような気にはなってくるんだけど、多分意図的に空けてある言葉の隙間は自分で考えろってことなんだよね・・・。

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2008-11-26

江戸にフランス革命を!(上)-江戸という哲学 : 橋本治

 約二世紀半の間、独特な時間・空間感覚の中で熟して行った過去の化け物『江戸』の正体を明かさんとする、橋本治の江戸論。
 
 『江戸』の論理、精神性、時間・時制 ~ 快刀乱麻を断つ筆運びで、ばっさばっさと『江戸』という大怪物を腑分けしていく。あまりに鮮やかな太刀さばきに、“え? 今のどうやったの?”とページを繰って読み直すことしきり。

 『江戸』に生きた人の感覚を語る上で、やはりこれも『江戸』の怪物・歌舞伎にも当然話は及ぶ。<愛嬌-または幻想する肉体><怪-歌舞伎の論理>の2章は江戸歌舞伎論としてすご~く沢山の示唆を与えてくれているような気がする。橋本氏の言葉からは、頭をガツン!とやられたような衝撃を受ける。そんな言葉に出会う度にページの端を折り曲げていたら、ほとんど全てのページに折り目がついてしまった。

 私が『歌舞伎』というものを思おうとするとき、目の前にど~んと立ちはだかってる気がする見えない壁。その壁にゴンッ ゴンッと穴をあけてくれたような橋本氏の言葉。

 以下は引用ばかりになるが、見るべき方向に向かって私の頭蓋に風穴を開けてくれたような気さえするこの言葉たち・・・読んでいてやたらと脳が興奮するのを感じる。

 『主義とか理想とか政治とか、そういうものとは全然関係がなくて、自分の生活現実でしか生きていない江戸の町人は、だから勿論、幻想とかロマンチシズムとかいうものとも無縁に生きている。でもそのくせ、江戸の町人は平気で現実を無視して生きていたりもする。』
 
 『キンキラ御殿の革命劇が終わって「あれよ、あれよ」と言う間もなく、舞台は雪の隅田川に転換し ~略~ 観客は ~略~ 瞬間の判断放棄に陥る、その瞬間を狙って岩井半四郎は平然と姿を現すのだ。姿を現した挨拶として、ほんの一瞬の流し目を観客に投げつけて。それで一切は終わる。もう“今まで”もへったくれもない。そこから先は、最早公然と許された“無関係”の世界だ。幻想とは、こんなことを可能にする肉体の別名でしかない。』

 『“色気をもった肉体”というものは、平気で現実社会の単一なる原則を逸脱してしまうものなのである。愛嬌とはそういうものなのだ。町人というものが“現実”から疎外されて、しかしそして生活現実から一歩も離れることができないままに存在しているという、そういう現実の上で“リアリズム”を演じられる“役者”というものは、そういう“根本”を持ったものなのだ。』

 (歌舞伎の時制について)『《時代》とは過去である。《世話》とは現在である。この二分法が歌舞伎の時制のもとになっている。勿論この区分に“未来”という時間は含まれない。何故ならば、未来とは“生きよう”とする人間の意志に関わりを持つものであって ~略~ 江戸の封建時代とは、ある意味で変革の意思をもつことを許されなかった時間である。 ~略~ 徳川三百年の平和の間、時間は“平和な現在”というところに固定されていたのだから、ここには意思によって生まれる“未来”などという時間が存在する筈もない』

 『歌舞伎というのは、何をやっても“所詮娯楽”というところへ平気で逃げ込んでしまう』

 『歌舞伎というものは《時代世話》という時間概念を導入することによって、すべての結末を曖昧の中に断ち切ってしまった。終着はあっても結論はない。“娯楽”というものは、実はそういうものなのだけれども、歌舞伎という娯楽は、時代世話という、最も効率よく磨き上げられた“曖昧な時制”を導入することによって、すべての構築された論理を解消してしまうことを可能にした、とんでもない平然なのである。』



 本当に引用ばかりだが、これでも随分削ったのだ。鋭く、しかも圧力のある言葉のパンチの連続に、頭がグラグラしている。脳震盪状態なので、まともな感想が書けていないのもわかっちゃいるのだがやめられない。


 『江戸』という武士が牛耳る封建社会にあって、批判精神を持つことが許されない町人の生きる日常には、何も変化・ドラマは起こり得ない。時間すら流れない。そしてドラマの起こらない日常は自明のこととして“善”である。ドラマが起こること=“悪”であり、“悪”=非日常である。

 江戸町人に向かってドラマを演じる役者には、それだから“日常”がない。ドラマ=“悪”をすべて自分の側に引き受け、観客である江戸町人の日常=“善”に頭を下げる。

 「(観客達が生きている)日常は本当に善なのか?」という問いかけは、始めから歌舞伎には欠けているのだが、いつでも“所詮娯楽”というところへ逃げてしまえる歌舞伎は、それを逆手にとってこっそりと毒を盛る。「お客様方のお姿は、まったく正しく、美しゅうございます。」などと言いながら、その“正しさ”の持つ奇怪さをお客様方に突き付けだしたのだ。“娯楽”という名に隠れて。

 橋本氏の鋭い指摘によって、歌舞伎という怪物は、ちらりとその狡猾で、怖ろしく、強かな姿の一端を見せる。

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2008-11-22

梅原猛「神と仏」対論集第三巻 神仏のまねき : 梅原猛・市川亀治郎

 師弟と呼べる関係というのは羨ましいものだなぁ、と思う。プライドの高そうな亀治郎が梅原氏を師と慕い敬う様は、ほとんどインプリンティングされたヒヨコのようで、微笑ましいと同時に少し妬けたりする。梅原氏も自分の思想と魂を理解し、継承するに足る、才気溢れる若者の存在が嬉しくてたまらないご様子。

 お二方とも、ご自分の仕事、思想、そして自分自身というものへの自負は相当のもので、隠すことなくその自負を表明する。自分の価値を裏打ちする素養と実績を持った二人の口から発せられる自負の言葉は潔く、気迫に満ちて、しかも清々しい。

 そんなお二人が語り合う、芸能について、劇について~神と交感し神を降ろす芸能の呪力、劇・語りに含まれる仏の思想。

 鋭い理性でコントロールされていながら、“神がかる”~“憑依される”素質も強く持ったお二人の対論は、クールさと熱狂がミックスされてビリビリとする。

 お二人の接点でもあるスーパー歌舞伎・「ヤマトタケル」「オグリ」などについて触れられた部分も多く、そこでやはり気になるのは亀治郎の中にある歌舞伎というものが、どういうものなのか?ということ。このインテリジェンスと憑依体質を併せ持った役者がとらえている歌舞伎の姿ってどんなものなのか?

 その亀治郎が、歌舞伎には新しい理論が必要だと感じているらしい。

 「古い殻を破り、新しい歌舞伎を作る。」という意気込み溢れる言葉を聞くと、歌舞伎が既に持っている宝まで、傷つけるようなことにならないかと、つい不安になって身構えてしまう私だが、亀治郎の中で形作られつつあるもの ~ 新しい理論の下に生み出される歌舞伎 ~ は信じられる気がする。これまでの歌舞伎とは全く違うものでありながら、歌舞伎でしかありえないものが生まれ出てくる~その誕生の場には是非居合わせたいものだ。

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2008-11-19

煙か土か食い物 : 舞城王太郎

 何となく敬遠していた舞城王太郎初読み。

 これは・・・どう処理すればいいんだろうな? 「ミステリー」か? 「家族小説」か? 私には後者の印象しか残らなかったな。思わせぶりな法則性やメッセージを見せながら起こる連続主婦殴打事件。密室からの人間の消失。そういう事件やミステリーや事件は起きているし、その事件の解決へ向かって話は進んでいく。だけど、解決に向かう話の流れよりも、被害者の息子として事件に関わることになった奈津川家の四男・四郎の自分語り・家族語りの方が凄すぎて。

 事件をきっかけに、せっかく距離を置いていた「最悪の家族」のど真ん中にダイブせざるを得なくなった四郎。極端に句読点の少ない文章で四郎が語る自分と家族。それぞれに“何でそんなに?”っていうほどの暴力性を持った奈津川家の親子・兄弟。ひたすら暴力の連続、目を覆うばかりの惨劇! なのだけど、読み続けることができるのは、思うさま暴力を振るい続ける人間達が、同時に理性的でもあるから。暴力に溺れながらもしっかり醒めてて自覚的。それって凄く怖いんだけど、ぐっちゃぐちゃの混沌にはなってしまわないから、妙な感覚ではあるけど好感すら持って読める。
 

 確かにバリバリと撃ち出される言葉の勢いに圧倒される。でも、「凄い!」ってとこまでは思えない。「・・・で、何?」って言う気持ちが解決されずに胸の中でくすぶっちゃうから。

 強烈すぎる奈津川一家の人間達のキャラクターが、あたかもブラックホールのように作用して、すべての話の結末が、“奈津川家の問題”っていうところにぎゅ~んと落ち込んで行くような感じがするんですよねぇ。そんなこんなで・・・読み終わって、ページを閉じて・・・「・・・で、何?」って。

 う~ん、やっぱりどう処理したらいいのか分かんないな。一旦、保留・・・って感じ。

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2008-11-15

黒鳥の囁き : 中井英夫

黒鳥の囁き / 中井英夫

 「鏡のなかへの旅」「空き瓶ブルース」「死者の誘い」「炎色反応」「黒鳥の囁き」


 ・・・いたたまれない。

 壮麗で背徳的で、深い闇のような幻想の世界・・・というのではない。闇の色をした幻想の底の物語であることは間違いないのだが、何というか、もっとこう・・・しょぼくれた・・・情けなさ、やるせなさを、どうしようもなく感じさせる。

 底なしに広がり、誰彼となく飲み込んでいく夢幻ではなく、一人の男の、一人の女の胸に閉ざされた妄想、夢、執着、そこに連なる現実。

 幻想と言えども妖しく美しいばかりではない。苦く、みっともなく、しょぼしょぼとしていながらも、しかしこちらを怯えさせるような度を過ぎた熱狂を秘めた五篇の短編。

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2008-11-12

歌舞伎百年百話 : 上村以和於

 團菊の死を起点として以降の歌舞伎百年を眺めていく ~ 一年毎にトピックを立て、その年の社会での出来事と歌舞伎界の動きをリンクさせながら語るというスタイルで書かれた本書。「いまある歌舞伎が、なぜ、どういう風にして、いまある姿と形で、いま私たちの前にあるのか、そのことをはっきりさせたい」という著者の言葉に背中を押された。

 昭和の初頭までのことは、「未知のおはなし」として興味深く、面白く読ませて頂いた。昭和の終わり頃は私が初めて歌舞伎を見た頃でもあり、懐かしく、また、自分が見たのが歌舞伎のどういう部分だったのか確認できる点もあり、そういう意味で面白く読んだ。

 太平洋戦争が激化するあたりから終戦までは読むのが辛い。歌舞伎界の方々も戦地に赴いたり、戦災で命を落とされたりしている。戦争という非常時、自分の身さえどうなるかわからないのにこんな事を言うのも何だかだけど・・・私の恋する役者たちが戦争に巻き込まる姿を見なきゃいけないとしたらなんて、仮にも考えたくない。

 さて、本書を通じて印象に残ったこと・・・それは、江戸歌舞伎が終わって以来、重要無形文化財となるまで、歌舞伎は常に「現代演劇」の一角(または同時代の演劇をリードするもの)であろうとしたのだということ。これは、私の意識からぽっこり抜けてることだった。

 今現在の歌舞伎が、今の人に楽しんでもらえる演劇たらんとして新しい試みや挑戦をしているのも、何も急に起きた動きではなくて、これまで常になされていたことなんだなぁ、と。

 ・・・それでも、こんなことを言うのはすごく浅墓なことなのではないかとビクビクしながら言うのだが・・・ やはり歌舞伎は、根本的なところで近代の所謂演劇とは異質なものではないかと思う。

 現代の目で見ても、役者の白塗り・大仰な出立ちが前衛でもギャクでもなく、途轍もなく格好良く見える瞬間がある(残念ながら、それが滑稽に見える瞬間がなくもない・・・ということも否めない)。そこにかけられた魔法。役者が、生身の人間でありながら、人間でない何かのようにも感じられる秘密。おそらく歌舞伎だけが持つ方法論。その正体は、私なぞにはとてもとても計り知ることなどできないが・・・。

 現代の演劇であろうとするために、その魔法を損なう・・・なんてことには・・・ならないよね? ね? ね? と、気を揉んでみたりすることもあるのである。

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2008-11-08

孤島の鬼 : 江戸川乱歩

 不可能殺人、美しい善玉と醜怪な悪玉、暗号、鬼の棲む島、地下洞窟での宝探し、悲しい恋情と煮えたぎる悪意。

 乱歩お得意の猟奇と人外の美が、旺盛なサービス精神でたっぷり盛り込まれた長編。次から次へと色々なお楽しみ要素が投入されるのだけど、乱歩作品に時々感じられる描写の過剰さはなくて、純粋にストーリーを追って先へ先へと読み進んでいける。

 そして、読後感を決定づけるのは・・・やはり諸戸道雄の哀れな恋。


 蓑浦青年が、恋人の不可解な死に始まった奇怪な事件 ~ 一夜にして彼の髪を真っ白にしてしまったという恐怖の体験を語るという体裁だけど、暗い陶酔を秘めた怖ろしくも哀しいこの物語の主人公は諸戸道雄でしょ?! 蓑浦君は単なる語り手! 呪われた生い立ち、親子の情、叶わぬ恋に苦しみながら、すべてを背負って精神力の限り闘ったのは諸戸道雄じゃないか! 蓑浦君なんて、彼に守られながらあっちにふらふら、こっちにふらふらしていただけ。

 それなのに、蓑浦はあまりに悪魔的な手管で諸戸を利用し、そして最後には手酷く拒絶するのだ。蓑浦、お前なんか地獄へ落ちろ!!!

 ああ、どうして諸戸道雄の恋した相手が、快楽の誘惑に弱い甘ちゃんで、顔はきれいでも頭の方は・・・ってな蓑浦でなくちゃいけなかったんだろう? 聡明な男であるはずなのに、蓑浦がぶらさげるエサにあらがうことのできない諸戸。過酷な生い立ちからか、とことん甘い蓑浦に魅かれずにはいられなかった諸戸道雄の姿が哀れで切な過ぎる。

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2008-11-05

夢見る少年の昼と夜 : 福永武彦

 11の短編。静かに、じっと、夢を、記憶を、空想を、心にあるヴィジョンを見つめ続ける少年、娘、男、女。

 「夢見る」「空想に耽る」・・・そんな生易しいものではない。ひたすら自分の内に目を凝らし、自ら遊ぶ、または囚われている幻想の世界を、もう一つの冷たい目が見続けている。自らを凝視する目は、ついにもう一人の自分を生み出して・・・。


 何人とも共有することができない、自らの存在のエッセンスでもある、自分だけが見ている「この世」という「夢」。その孤独を知っているということは、一つの強さとなると思うのだが、あまりにはっきりとそれを見てしまうことは、やはり耐え難いことなのだろうか。

 自分を見つめる目が自分を危うくするとは皮肉なことだと思う。それでも尚、自分を凝視し続ける目。痛々しく、研ぎ澄まされて、怖ろしい。

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2008-11-01

風流江戸雀 : 杉浦日向子

 頭と最期に江戸川柳を配して、日向子さんが点描する泰平の江戸の風景。

 かい巻を被って火鉢を抱えてたり、裾を端折って春雨の中を走ったり、浴衣の袖をまくって団扇を使ったり、一人所帯の長屋に転がって“ぷー”と屁をひってみたり。暑い日、寒い日、温い日の人々の暮らしが、ほんの数コマの中に微笑ましく描かれる。

 ちっちゃな波風を立てながらも、だいたい幸せ。わびしい、やるせない時もあるけど、まぁ何とか苦笑いでやり過ごす。

 何かその“苦笑い”な感じがいい。私もそんな、苦笑いな感じで世の中渡っていきたいもの。

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