2008-09-27

くっすん大黒 : 町田康

 面白い!って言うのはひねりがなさ過ぎるなぁ。 軽妙な? 違う・・・ 珍妙な? ん~何かそんな感じ? 町田氏独特の語り口、その迫力・押しの強さにぐんぐん持っていかれて読みきっちゃう感じ。

 「くっすん大黒」「河原のアパラ」・・・いずれの主人公もいつのまにやら定職を離れ、何をしようというのでもなく、毎日酒を飲んでぐだぐだな生活をする男。だからと言って性格破綻した、または破滅にひた走るノーフューチャーな奴というわけではなく、いよいよお金に困ってくれば嫌な仕事だってしないわけじゃないし、嫌々ながらも引き受けた仕事はきちんとこなそうと頑張りもするし、世間の機微には通じているし、ケンタッキーでチキンを買うのに「フォーク並び」をしなかったり、常識はずれな言動で職場の和をみだすような社会正義に反する輩を正そうというくらいの気概のある人物だったりする。

 傲慢で、不条理で、理不尽な世間をさらりとやりすごし(世間から距離おかれてるだけだけど・・・)、吹く風に流される雲のように何物にもとらわれず生きる無頼な男達。これぞパンク! カッコイヒィィ! それに比べてこのちっちゃくまとまっちゃってる自分のつまんなさ。

 ・・・なんて思ったりはしない。だって昼間から酒飲んで、風呂にもろくに入ってないようじゃきっと臭いし・・・そんなのは絶対イヤだも~ん!

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2008-09-24

星のひと : 水森サトリ

 ある日、ある時、ある町の、ある家族の家に、屋根を突き破って落ちてきた一つの隕石。隕石落下事件の周辺で、一瞬交差する人の想い。

 「本当の自分」の生きる場所を探してあがく女子中学生(「ルナ」)。生まれることを望まれなかった息子、愛しているわけじゃない妻を守りきろうと、優しさの限りを尽くして頑張る男(「夏空オリオン」)。自分の心を偽らず、真っ直ぐに生きていこうとするく少年・耕平=ニューハーフ・ビビアン(「流れ星はぐれ星」)。

 それぞれ真摯に、一生懸命に生きている人たち・・・なのに、この“イラッ”とさせられる感じは何だろう? と、彼らの言動に触れて、何だか愉快でない気持ちになってしまう訳を考える。そして、あまり考えるまでもなく思い当たる~「何だ、この人たち結局みんな自分のことしか目に入っていないんだ。」

 考えてみれば、それは当たり前のことだ。どんなに大きな、どんなに沢山の人がいる世界に生きていたって、生きていく主体=世界の中心は何時だって自分なのだ。それは、広大な宇宙の中で、「自分」という星の上にたった一人で生きているなんていう状態に似ているのかもしれない。「自分」星の周りにちらばる他の人の星も視界に入れて、ちゃんと解ってるつもりにはなってるけど、所詮「他人」星からの眺めなんて、見たことも無ければ、解る訳も無い。


 時折、地球に隕石が落ちてくるように、遠く離れた星と星の間に小さなコンタクトが起きた時、ほんの一瞬実感するのだ。「他人」星にも「他人」星の眺めがあること。「他人」星から眺めれば、「自分」星も遠くに瞬く星の一つだということ。そして遠い距離を隔てていても、互いに互いを眺めていたこと。

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2008-09-20

雪屋のロッスさん : いしいしんじ

 ひとりひとりがそれぞれの生を営む小さな宇宙。自分だけの喜びを、自分だけの温もりを、自分だけの悲しみを、自分だけの答えを抱いて。 

 苦い現実、残酷な出来事にさらされながらも、何にも傷つけられない、何にも侵されない硬質な小宇宙。

 きれいに閉じて、それぞれに完結する小宇宙。一見、私には関わりの無い物語。しかし、私の周りにも確かにふるふると震える小さな宇宙があるのを感じる物語。

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2008-09-17

無意味なものと不気味なもの : 春日武彦

 読後に何ともおさまりの悪い、落ち着かない思いが残る書物がある。読者にそのような感覚を与えることを意図して書かれたものもあるが、著者の意図しないところで、また作品の本質とはずれたところで、割り切れない気持ち悪さ・正体不明の違和感を醸してしまう作品・・・そういう作品・書物に出会ったことのある方は多いと思う。そして後者の方が読者にとっては、よりぼんやりとした不安を掻き立てる、気になる作品になるんじゃないだろうか? どこかグロテスクなものにひっかかってしまう人の心理とはどうしたものなのか?

 本書はそういう「不気味な」ものとして著者に記憶されている15の小説についての、論評というか、覚書。それぞれの作品について想起される極々個人的な体験・記憶が付記されている。記されるエピソードは、題材となる小説とキーワードを共有するものもあれば、にわかには関連性がわからないようなものもある。


 書物を読むというのは個人的な体験なんだなぁ、と改めて思う。作中の「無意味なもの」は読み手の体験や感受性、気分その他諸々と反応して「不気味なもの」に姿を変えるわけだ。もし読み手の中に反応するものがなければ、書物は『紙に印刷されたインクのしみの集積』(奥泉光・いとうせいこう両氏による「文芸漫談―笑うブンガク入門」にそんな表現があったと思う。)以上のものにならない。

 そう思ってみると、ある書物・読書体験と共に想起される個人的な記憶・体験が、第三者から見るとどこでどう結びついているのかわからないものであればあるほど、そこに読み手の個人的世界の豊かさ(または計り知れなさ)を見せつけられるようで興味深い。

 本書や、久世光彦氏の「花迷宮 」「怖い絵」を読むと、“何と豊かに本を読み、絵を見ることが出来る人たちのいることよ”と、自分がしている不毛な読書に肩を落とさずにいられない。

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2008-09-13

ハル、ハル、ハル : 古川日出男

 『この物語はきみが読んできた全部の物語の続編だ。』

 「物語」が終わった後だって、「物語」が始まる前にだって、主人公は生きている。物語には「続編」がある。もちろんその「続編」にも同様に・・・。

 人は物語を生きているわけじゃない。ただ、生きているだけだ。

 世界が変わる瞬間。「自分を中心に世界が回っている」と、力強く、または回る世界の中心で自らも目を回しながら宣言する。

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2008-09-10

青空の卵 : 坂木司

 ひきこもり探偵が謎を解く! 一時期本屋の平積みでやたらと目に付いたこのシリーズ。どんな知的ゲームが展開されるかと期待したけど、ミステリとしては完全に期待ハズレ。謎の設定自体無理やり感があるし、謎解きの過程を楽しむってタイプの話でもない(論理的に謎を解くっていうより、直感がたまたま当たってるだけって気がする)。

 という訳で、早々にミステリとして読むのはやめた。そうすると、もうこれBLとしか思えない。男同士の恋愛云々っていうんじゃなくて、持ってる機能がある種のBL小説と同じ。(但し私の言うBLって一昔前のものですよ。最近のは読んでないんで・・・)

 普通であることにコンプレックスを持ち、風変わりな友人を持つことで心のバランスを保つ坂木と、そんな坂木の変わり者の友人、頭脳は大人心は子供なひきこもり探偵・鳥井。

 自分の欲しいものが鳥井の中にあるのを見つけ、ひたすら彼を求めちゃう坂木。友情・執着といったものと同時に坂木が鳥井に対して抱く罪悪感。

 誰にも必要とされなかった孤独の中で、唯一自分を求めてくれた坂木に完全に心をゆだねてしまう鳥井。ちょっと長めの鳥井の前髪。

 あまりに類型的・BL的なキャラクター造形。この二人を見ているだけで、軽くげんなりしてしまうのだけど、謎の主たる面々も心にどこか傷や弱さや幼さを持った人たちで・・・。

 そんで、その坂木、鳥井をはじめとした登場人物たちがよくしゃべる、実に饒舌に。しゃべらないと何も伝わらないっていう強迫観念に脅かされているかのように。「しゃべる」っていうハードルをクリアしさえすれば安心と理解と安定が得られると思っているかのように。

 自分の心の内を、不安を不満を想いを願いを、辛い辛い思いと葛藤と共に吐き出す。そしてこのお話の中では、吐き出された内容は必ず肯定される。限りなく優しいお話なのだ。

 心や身体が弱っている時は誰だって優しくしてほしい。一時、ハードな世間から守ってくれる繭が欲しい。そんな気持ちに応えてくれる優しいお話。そんな意味で、ある種のBLと同様に機能するお話・・・と思ったんだけど、誤読でしょうか?

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2008-09-06

写楽 : 大竹直子・皆川博子

 謎の浮世絵師・東洲斎写楽の正体を、役者に憧れ続けた稲荷町あがりの男として描いたドラマ。皆川博子のシナリオによる同名映画(’95公開)とのタイアップでの漫画版。

 歌麿、鉄蔵(後の北斎)、京伝、蔦重、団十郎に後の鶴屋南北、十返舎一九、馬琴・・・錚々たるキャラクター総出演!という感じで賑々しい。

 濃いめの良い男たちが次々と画面を彩り、かすかに胸焼けを覚えるほどだが、ちょんまげは嫌いじゃないので正直嬉しい。そんでまた、男も女も髷が非常に丁寧に書き込まれているのですよ、“髪フェチなの?”って思うくらい。

 登場人物の髷について、あとがきで、原作の皆川博子氏に「本多髷と描写してある人物の髷を太く描かれたのはなぜ?」とつっこまれたことが書いてある。「少女漫画の読者は、細い髷よりも時代劇なんかで見る太い髷の方が馴染みがあると思って・・・」と答えたとあるけど、杉浦日向子さんのエッセイ等で、「粋な町人は細い髷を結っていた」なんてことを読んだ後ではむしろ、のっさりと太い髷に違和感を感じてしまう。

 髷のことばかり書いてますけど・・・写楽の正体・とんぼをきるのが見事だった元歌舞伎の下立役・通称とんぼ。この男がいじらしくて可愛くて、放っておけない。彼を見出す版元・蔦重も良い男です。

 さて、キャラクターはしっかり堪能させていただいたのだけど、作品としてはほんの少し不満が残る。止め絵としての絵は綺麗なんだけど、表情や動きにどこか硬いところがあって、活き活きとした躍動感に少々欠ける。エピソードや場面を整理しきれなかったのか、ところどころ描写や展開が中途半端だったり、思うように描ききれなかったんだろうなぁと感じられる部分がある。とんぼを取り巻く人たち、もっともっと描きたかったんじゃないかなぁ・・・と思うのだけど・・・。

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2008-09-03

マンガに人生を学んで何が悪い? : 夏目房之介

 60~70年代に、それ自身の「思春期」といえる時代を経て人生を語りうる媒体になった日本のマンガ。

 作者と読者の間の共感意識を生む事になった60~70年代の漫画の変化、そこから育っていく「読者・作者共同体」(幻想であるとしても)・・・著者が実体験として感じているこれらのことを、私は実感として理解することができないし、やはりここでも語られる「24年組」の少女漫画家たちの「内面を語る言葉」なんてのも、少女漫画を体験していない私には実はピンとこない。

 ただ、私が、そうやって人生を語りうる大衆娯楽として発展・拡張していった漫画の恩恵をどっぷり浴びて育ったことだけは良くわかる。

 私自身のマンガ体験を振り返ってみて・・・マンガに人生を学んだ覚えなんてちっともないのだけど、「この漫画が あなたを構成する ほんのひとかけらに なれますように」(道原かつみ ジョーカー・シリーズ8 「ファイナル・ミッション」あとがきより)なんて言葉に「ああ・・・」と溜息をついてしまうのは、やはり漫画に側にいてもらいながら大きくなった証拠。

 「教わる」「学ぶ」なんて他人行儀なことじゃなくて、あるときはぴったり寄り添い手に手をとって進む友として、青臭い議論をぶつけ合う仲間として、またあるときはポイポイっと読み捨てられる慰みモノとして、文句も言わず側に居続けてくれた漫画・・・これが夏目氏言うところの、「マンガが大衆娯楽媒体であることの意味」~どんなに凄い影響・感動を読者に与えようとも「『たかがマンガ』といえることの『凄さ』」なんだろう。

 マンガがどういう葛藤、過程を経て読者との関係を築いてきたか、何を描くようになったのかを概論的に語った本書。ここから先もっと深い小道(作家論や作品論など)に踏み込んでいきたくなる。

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