2008-07-30

博士の愛した数式 : 小川洋子

 小川氏の小説はしん・・・としている。光、色彩、匂いはふんだんに描かれ、鮮やかに感じることができる。もちろん街の音や人の生活音もあるはずなんだけど、なぜか生々しい音が耳に聞こえてこない。無声映画を見ているように、耳ではなく目で音を感じているような・・・。

 これまで読んだ作品では、その静かさが何か冷たく怖ろしいものに感じられたのだけど、本作の静かさは、明るさと暗さが混ざりながらも、決して冷たくはない。大きな声を出すと消えてしまうものを見つめる眼差しのような、真摯な静かさ。

 事故の後遺症のため80分間しか記憶が保てない数学者。彼が住む離れを訪れる家政婦とその幼い息子。ひっそりと存在するこの世の真実を書きとめた数式をちりばめながら描かれる三人の交流。

 
 純粋なものに触れたとき、どうして心はこんなにも柔らかく、無防備になるのか?

 これまで見えていなかったものを発見する驚きと喜び、それによって生まれた新しく、豊かな意味に浸されるという祝福。

 発見されていなくても、記憶されていなくても、間違いなくこの世界に在るものの存在を想うことの、祈るような美しさ。

 博士と義姉が築いてきた想いは今、どこにあるのか?

 博士は何故、記憶を保てない人として物語に登場してきたのか?


 次から次に色んな想いがわいてきて、とてもひとつの言葉でまとめることが出来ない。すばらしい頭脳を持つ数学者なら、この想いも一つの数式で表してしまうだろうか?

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2008-07-26

物語消費論-「ビックリマン」の神話学- : 大塚英志

物語消費論-「ビックリマン」の神話学- / 大塚英志

 「物」の持つ使用価値を消費し尽した社会にあって、人は「物」の背後にある「物語」を消費し始めた。

 『複製される物語』『消費される物語』『再生する物語』の各章にまとめられた、「物語消費」の周辺を語るエッセイ集。

 ここに収録されたエッセイが発表されたのは、今から20年程前のことで、現在はもう「物語消費」っていう事態を超えているんだろうとは思いながら(「物語消滅論―キャラクター化する『私』、イデオロギー化する『物語』」というのも出てるし)、これを読んでいないことは何だか心残りだったので、今更ながら読んでみた。

  
 人が自分の為の「物語」を求め、創作し、消費していくという事態・・・
 
 「ビックリマンチョコレート」を買い、シールを手にすることで、それが背後に持つ神話的世界にアクセスしようとする子供たちと、お布施を払い教祖の言葉、霊験を得ることで神の世界に触れようとする宗教が、同じ構図を持つこと。

 「死」のイメージに過剰反応する子供たちと、病床の昭和天皇に心を寄せる少女たちについて。

 人気コミックから基本プログラムのみを抜き取り、そのプログラムの下、自分の物語を書き始めてしまった同人少女たちのこと。又、抜き取られた基本プログラム(=世界観)の下、原作コミックとアマチュア作家たちによる二次創作が、「ありうべき物語」として等価となってしまうこと(それぞれの作者の力量の差はあるとしても)。

 ・・・

 そして・・・本書には「少年ジャンプ」について言及した箇所がある。その中に、最近の私の気がかり

『私が夢中になって読んだ「少年ジャンプ」って、私にとって何だったのか? または、「ジャンプ」に夢中だった(今もちょっと夢中な)私って何?』

 という問題に一部ヒットする記述があったので、「さすが大塚先生! ついていきますぅ~」とか、思いそうになってしまった、ちょっとね。

 曰く、

 「少年ジャンプ」の作品は、それまでの<少年まんが>をより単純化して複製したものである。<少年まんが>の本質のみを抜き出し、デフォルメした奇妙な複製である「ジャンプ」作品は、当然のことながらすでに存在した<少年まんが>よりも<少年まんが>的である。


 「ジャンプ」が後発のブランドであるということは、つまりそういうことなのである、と。

 「複製」がオリジナルよりも本物らしいという逆説が成立する周辺事情については、本書の中にちりばめてある。

 「本物」よりも「本物」らしいマンガの「似姿」~私を含め多くのマンガ読者が「サンデー」でも「マガジン」でもなく「ジャンプ」を選んだ理由の一端がここにあるのは間違いないように思われる。

 もう一つ、私が是非見てみたかった数字~一般書店での「週刊少年ジャンプ」購買層の年代別、性別データが載せられているのも嬉しい。載せられているのはあくまで、一書店のある一時期のデータだが、参考にはなると思う。

 「少年ジャンプ」購入者のうち、小学生以下が20.6%、中学生が16.5%、高校・大学・専門学生が22.7%、それ以上の所謂大人が40.2%。男女比では92.8%が男、7.2%が女。

 この本の発行年からして、このデータはちょうど私がど真ん中で「ジャンプ」読者だった頃、そして「翼」「星矢」同人誌華やかなりし頃のものだと思われる。当時の私の位置がほんの少しわかった気がする。

 それにしても、大塚氏がまるごと一冊「ジャンプ」論を書いてくれたなら、私の気がかりはほとんど解決するような気がするのだが・・・。

 大塚氏の書くものは、どうにもこうにも私の嗜好を満足させる、又は抗い難く興味をそそるポイントを突いてくる上に、それが詭弁なのか、屁理屈なのか、それとも鋭い直感と綿密な検証によって裏付けられたものなのか考えさせない程、弁舌鮮やかに語られるので、ついつい私は無批判に、面白く、興奮気味に読み終えてしまうのだ。読む前はいつも警戒心を持って臨んでいるというのに・・・。

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2008-07-23

なぜ子どもは「少年ジャンプ」が好きなのか : 馬居政幸

 我ながら不思議でならないのだ。 「なぜ少女時代の私は『少年ジャンプ』が好きだったのか? そして、なぜ今も『少年ジャンプ』がちょっと好きなのか?」

 最近気になっているこの疑問の答えを見つけるべく、マンガ論やアニメ論にちょこちょこと手をだしている。タイトルがズバリだったので読んでみたのだが、本書は子どもの教育現場にある方々を主なターゲットとしているようで、私の興味のあるところとは少しずれた内容だった。

 「週刊少年ジャンプ」の600万部超という驚異的な発行部数に目をとめることから始まり、「ジャンプ」が発行部数を伸ばしていった背景、理由、そしてその膨大な発行部数が意味するものを探り明かす「少年ジャンプ」論。

 創刊より一貫して、読者である子どもたちの現実に寄り添い続けた「少年ジャンプ」。現実の枠や規範を破壊し超越する、子どもたちの為の解放区としてスタートした「ジャンプ」は、時代の変化と発行部数の伸びにしたがって、少年達が現実を生きるスキルを身につけていくための“もう一つの現実”へと変化していった。

 徹底した読者本位、徹底的に読者である子どもたち(子どもじゃない場合もあるが)のニーズを探り、応えていく姿勢が、子どもの現在をあぶりだし、結果的に「ジャンプ」を変化させていくことになる。その中で維持され続けた「友情、努力、勝利」の基本コンセプト。「ジャンプ」における不易流行。本書は、あの「読者アンケート」のイメージを少し変えてくれましたね。(私の中でジャンプの「読者アンケート」は、強引な打ち切りや、無理やりな連載引き伸ばしで作品を台無しにしてしまう諸悪の根源でしかなかったから。)


 さて結局、興味深く読んだものの、本書では私の疑問は晴れなかったので、自分なりに少し考えてみて、思い当たったことが一つ。私が「少年ジャンプ」好きだった訳、一つには私が女の子だったからではないかと・・・。

 私も一女子であるので、格好良い男子は好きだ。もちろん少女漫画にも“素敵な男性”“好ましい男の子”は登場するが、彼らの殆どは主人公の女の子のために用意されたもの。

 私は少女漫画を読んでいて、うまく主人公の女の子と同一化できたためしがなかったので、そんな私にとって少女漫画の男子たちはつまりみんな“他人のモノ”ということになる。“他人のモノ”を指をくわえて見ているなんて面白かろうはずがない。

 だから、他の女の子のものではない(と感じられる)、輝ける少年たちがうじゃうじゃといる「少年ジャンプ」にハマっていった・・・っていうのもあるのかなぁ。 

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2008-07-19

アニメと思春期のこころ : 西村則昭

 10代の頃、漫画やアニメが大好きだった。そして、今でもちょっと好きだ。お笑い芸人や、男前な俳優達が出るTV番組よりも、アニメを見たり、漫画を読んでいる時間の方が圧倒的に多いし、楽しい。

 でも、なぜ私は漫画やアニメに夢中になったのか。そして、なぜ大人になった今でも、数あるエンターテインメントの中で殊に漫画やアニメを好むのか・・・気になって仕方がない。いい大人が、アニメや漫画に夢中になってしまうことには、「べつにいいじゃないか、面白いんだから」という思いとともに、拭いきれない罪悪感と恥ずかしさがつきまとう。だから、漫画やアニメが私にとって何であったのかを理解して、少しでも楽になりたいのだ、私は。

 そんな訳で読んでみたアニメ論。

 映像メディアが大量に消費される現代、それらが人々の心に振るう影響力も大きくなっているのではないか?

 ’90年代に放映され思春期前後の一部少年少女たちを熱狂させた、「セーラームーン」「スレイヤーズ」「エヴァンゲリオン」「機動戦艦ナデシコ」「少女革命ウテナ」といったアニメ作品を読み解きながら、その中でのアニメヒロインたちのあり方~葛藤・成長と思春期の女子の心のありようを重ねて論じたもの。

 他者の欲望をうつして形づくられたお人形であったアニメのヒロインたちが、数々の試練を経験し、自らの心を獲得し、存在を主張するものへと変わっていった’90年代のアニメ。そういった「心」を獲得しようとするアニメヒロインたちは、成長過程の苦しみの中にある思春期の少女たちが、自らを投影する対象となり得た。

 ふむふむと読ませていただいた。といっても、すべての思春期の女の子が自分を投影する対象としてアニメの女の子を必要とするわけでもなく、感想としては、「まぁ、アニメをそういうふうに見ることもできるよね。」といったところか。気になるのは、少女たちが何のためにアニメのヒロインを必要としたか、ではなくて、少女たちが選んだのがなぜアニメのヒロインだったのか・・・というところなんだよなぁ。

 本書では「少女漫画的なものを背景にもつアニメと、それを好む女性」の心理的な関係が主に論じられていたが、ここに書かれたような関係はどうも私にはあてはまらない。私が子供の頃から好んで読んだのは少年漫画であり、少女漫画は私には全くしっくりこなかった。お断りしておくが、10代の頃の私は腐女子目線で少年漫画を読んでいたわけではない。概ね、世の純粋な子供としてキャラクターたちの大活躍をワクワクしながら読んでいたのだ。

 もっと他の角度から眺めたアニメ・漫画論も読んでみないとなぁ・・・と思う。

 男子の心理的成長とアニメの関係とか、心を持たないお人形(見る側の欲望をぶちこむ容器)としてのキャラクターの魅力についてとか、娯楽性を追及したアニメの様式美についてだとか・・・。

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2008-07-16

あやつられ文楽鑑賞 : 三浦しをん

 『桃色の本能オーラだだ漏れ』(「まえがき」より)の言葉どおり、しをんさんが文楽を見る、楽しむ、楽屋訪問で興奮する、人形にご対面でさらに大興奮する、楽屋での男性同士のやりとりに妄想脳を蠢めかせ鼻息を荒くする・・・といった内容のエッセイ。

 文楽の魅力を未だ知らない読者に、その楽しみ方をレクチャーするなんて気はあまり無さそう。ひたすら己の趣味と興味を全うし、その楽しみに溺れるしをんさんは、読者など置き去りだ。「文楽を見る」ことが「漫画を読む」に次ぐ娯楽だと言うのだから、そこで発揮されるパワーは推して知るべし。

 文楽を見る為に京都へ、大阪へ、四国へと足をのばし、(いつも東京で見ているのに、その上に!だ)10時間座りっぱなしで通し上演を見る。たまに、上演中極上の睡眠を貪る。文楽の台本を書いた戯作者たちの姿を妄想する。その文楽堪能っぷりは微笑ましいと同時に妬ましくもなるほど。

 しをんさんは文楽の魅力にどっぷり溺れているけれども、決してそれに飲まれてはいないっていうか・・・醒めるべきところはきっちり醒めてらっしゃるんですよね。例えばそれは、舞台に登場する狐や猪の人形が、彼女の目にはちゃんとぬいぐるみに見えているっていうところに覗えたりするんだけど・・・。名作「仮名手本忠臣蔵」を観ての的確すぎるツッコミ、登場人物たちの心情への鋭い洞察は、彼女がしっかりと自分の視点で文楽を観ていることの証。


 本書は読者を文楽鑑賞へと誘う本では無いかもしれない。何しろ著者の独走態勢が凄すぎる。でも、少しでもしをんさんの浮かれっぷりに何か感じたなら、走り去る彼女の背中を追いかけてみるのも良いかもしれない。

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2008-07-12

雪沼とその周辺 : 堀江敏幸

 冬には上質の雪が降り、その雪を愛するスキーヤーが訪れる他には、ひっそりと閉ざされた雪沼とその周辺。

 元々この土地に暮らしていた者、どこからか流れついてここに暮らす者・・・それぞれが静かにそれぞれの生活を営む。雪沼の土地と、人とゆるやかに結びつきながら。

 低く静かに語られる、それぞれの喜怒哀楽、胸に抱いた記憶と想い。近すぎも遠すぎもしない場所から、雪沼の人々の生活を見つめる視線は、深い傷、願い、悔恨、諦め、希望を秘めて穏やかにすぎる彼らの日々を、不思議な距離を保ちながらさらさらと語る。

 雪沼には、自分の心の中を見つめながらゆったりと暮らせる静けさがある。まだ、街の喧騒にまぎれていたいと思う私には、こんなふうに人の想いが濃く漂っている町に暮らすことは、少し怖ろしくも思われる。

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2008-07-09

夜は短し歩けよ乙女 : 森見登美彦

 ふはふはした存在への憧憬で頁が桃色に染まってしまいそう。

 白状すると、読み始める前は、“また、脳内世界に現実がついてこない男の妄想が書き連ねられるのだろう。”と侮っていたところがある。ところが、読んでみると、ほかほか可愛く、わくわく楽しいお話であったよ。はぁ~、はふはふ、はふはふ・・・

 黒髪の乙女が、己の心の欲するところに従ってふわふわと歩き回り、乙女を慕う男がそれを追いかけると、それに従って彼らの背景もくるくると動いていく~夜の街路を、古本の森を、奇妙な物体や団体が出現する学園祭最中の大学構内を、風邪の神がのし歩く師走の町を、彼らは歩く。現実と幻想(妄想?)をごちゃまぜにしながら、移り変わっていくその背景を眺めているのがなんとも楽しい。

 森見氏の小説については、ストーリー云々というよりも、登場人物たちの背景に舞台としてある街や路地の描写・・・そっちの方にどうも私は惹かれているんだなぁと気付いた。

 特に夜。人々は眠りにつき、わずかな人間だけが街を徘徊する夜。路地の先にぽつんと自動販売機の電気が点り、雑居ビルや民家がしん・・・と連なる町並の所々にネオンや街灯の明りが見えるリアルな風景の中を、すうっと気味悪いケモノや摩訶不思議な電車が走り抜ける、「きつねのはなし」や「太陽の塔」で描かれた夜。読んでいると、“ほぅっ”と胸に風が吹いて、ざわざわっと皮膚が興奮する。

 森見氏の描く風景には詩情が漂っている。ともするとそれは滑稽さに覆い隠されてしまうのだけど・・・。

 詩情を隠してしまおうとする滑稽、そこに男の含羞が見え隠れするのも好ましい。

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2008-07-05

同級生 : 中村明日美子

 や、や・や・や・・・これは良い漫画に出会ってしまった。

 長きにわたって、amazonから「オススメ商品」としてPUSHされ続けたこのコミック(私が“そういう”作品ばっかりクリックしてるからねぇ・・・)。根負けした形で購入したのだけど、これがなかなか良い作品で・・・。

 読後、ほんのりした幸福感と、心が飛んでいってしまいそうなノスタルジーと、痛気持ちいい苦さを思うさま味わいましたよ。今まさに、ここに登場する少年達と同世代の読者ならいざ知らず、私はもう、遠い昔にはじけた日々を懐かしむ目で読むトシですからねぇ。

  ピュア・・・なんだよなぁ。表紙の男子二人(ふわふわの茶髪がおバカで社交的な草壁君。黒髪+眼鏡が優等生の佐条君。)が恋をするんですが・・・二人とも「何かお前のこと好き~」っていう気持ちだけでいっぱいで、地面から足浮いちゃってて、手練手管なんてのにはまだまだ無縁なもんだから、ストレートに「どうすりゃいいの~???」ってなっちゃって時に暴発しちゃって。

 二人の恋と一緒に、きっと何年も経った後に彼らも思い出すに違いない「あの頃にあった事」「あの頃の気持ち」が丁寧に描かれているんです。

 高校生の彼らは、ちょっとずつ開けていく前途に「あと何回 一緒に帰ったり できんのかな」とか、ちらっと思ったりしながらも、やっぱり「お前が そばにいるから それだけでいい」って言えちゃうんだよなぁ。

 『そばにいる それだけでいい 
     そう言って君が くちづけた
             二度目の夏が来た』

 昔は私もそんなこと思ったことあるかもしれない。「いつまでこうやっていられるんだろう?」って、ふっと思ったこともあったかもしれない。でも、今となっては「そばにいるだけでいい」なんて絶っ対に言う気にもなれない自分の汚れっぷりが・・・沁みる。

 さらに言うなら・・・草壁くんの肘や手首の骨のぐりぐりや、腕の筋肉のつき加減が良いと思ってしまう自分の汚れ具合にもへこむ。

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2008-07-02

フラッタ・リンツ・ライフ : 森博嗣

 イメージは鮮明に焼きつけられているのに、ディティールはいつの間にかぼんやりして思い出すことができない。

 空を飛び、バイクを走らせ、タバコを吸い、コーヒーやソーダを飲む、クサナギ、カンナミ、トキノ、クリタ、ササクラたちの姿は、写真かビデオの映像を見るように、この目にはっきり見ることができる。彼らの美しさ、痛々しさ、清々しさ、空へと上がっていく軽さは、忘れられない印象となって胸にある。

 それなのに、その姿が、彼らの見せた表情が、いつ、どこで、誰と居る時の、何をしているときのものだったのか・・・それを思い出そうとすると途端に目の前に靄がかかったようになってしまう。

 シリーズの新作を読む度に、それまでの作品も繰り返して読んでいるのに、生身の彼らが体験した現実のディティールをうまく憶えておくことができない。

 「スカイ・クロラ」では、理解されることを拒絶し、最小の抵抗・摩擦の中で軽々と空へと飛び上がっていったカンナミの姿が、「ナ・バ・テア」「ダウン・ツ・ヘヴン」では、空で生きることを強く望みながら、地上へ地上へと落ちていくクサナギの姿だけが、ただ一つの印象として強く強く刻まれている。

 シリーズ4作目の本作はクリタ・ジンロウとクサナギ・スイトの物語。例によって、ページを閉じるとクリタが口にしたこと、彼がとった行動、そのディティールは、早くもぼんやりと遠くにいってしまう。ただ、クサナギの存在によって、「憧れ」(空への、自由への、美しさへの・・)を自分の中に灯していたクリタと、クリタにとって「憧れ」を呼び起こす存在そのものであったクサナギの姿が、また強く私の中に焼き付けられる。

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