2008-02-27

グラン・ヴァカンス-廃園の天使Ⅰ : 飛浩隆

 現実世界の人間をゲストとして招く為に、ネットワーク上に創り出された仮想リゾート<数値海岸>の一区画・<夏の区界>。しかし、<夏の区界>へのゲストの訪問は途絶えて久しく、区界の住人であるAIたちだけで過ごす夏の日がもう1000年も続いている。

 突然、<夏の区界>を蝕む力・・・「蜘蛛」が区界の空に「無」の穴を開けて降り注いで来る。餓えにみちた「蜘蛛」は住人を襲い、街を飲み込み、すべてを無惨に無化していく。わずかに生き残ったAIたちは「東の入り江」の「鉱泉ホテル」に立て籠もり、能力の限りを尽くした最後の抵抗を試みる。

 例えば、ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」で世界を襲う「無」は、主人公の少年の勇気と希望によって退けられるものだったが、その存在が予めプログラムされたものであるAIたちの戦いは、初めから絶望的なものであることが予感される。

 歴史と美しい風景を持つ<夏の区界>に、個々の記憶と個性と魂を持って生きるAIたちの生存をかけた悲壮な戦い・・・プログラムされた存在でありながら、上位のプログラムに抵抗を試みた美しいAIたち。彼らには何故“体験されていない記憶”が刻印されているのか? 彼らの戦いは何の為なのか?

 驚くべきヴィジュアル・イメージで描かれる「プログラム」の戦いは、感情と存在感を持つ彼らにふさわしく、残酷でグロテスクで苦しみに満ちている。その悲惨さと苦しみの先に、まだ終わりではない「何か」を含んで物語は進む。

 ここで語られた一つの区界での攻防は、大きな物語の一部でしかない。全体像が現れるのはいつか・・・。

 
 “存在し始める以前の”歴史や記憶を付与され、深みのあるバックボーンとディティールを備えた世界として、仮想リゾート<数値海岸>がネットワーク上に現れたように、紙の上に見たことも無い世界を出現させる著者のイメージと筆の力に驚嘆する。

 区界の事象に影響を及ぼす石・「硝子体」を唯一の武器に戦う少年・ジュール、少女・ジュリー、青年・ジョゼら特別なAIたち・・・ 

 先を読みたくて、気持ちとページをめくる指は逸るのだけど、そんなに急いで読み飛ばさせてくれない文章の力に、しっかりと手綱をひかれ、留められているような不思議な感覚を味わった。

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2008-02-23

柔らかい個人主義の誕生 : 山崎正和

 高校時代、橋本治の「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」とともに、国語の先生から薦められた本。今更遅いと思いながらも、高校時代の宿題を終わらせるつもりで読了。


 1960~70年代に起きた社会的変化、大衆社会の変質を観察・分析し、現代社会での大衆の個人としてのあり方とその可能性を考察した同時代文化論。

 読み終えての心の声・・・“ちゃんと高校時代に読んでおけば良かった~~!!”

 「自我」とか「『私』とは何か」っていう問題は、私が高校生の頃からずっと苦手としてきたところで、今では「人間一生糞袋」とうそぶいて人生をやりすごしたい・・・などと思い始めているが、この評論をもう少し若いうちに読んでいれば、その考えは少し変わっていたかもしれない。

 本論では、70年代以降の社会を、そこに兆した社会的変化から「脱産業化社会」と位置づけ、そこに現れる個人の「自我」が、それまでの「生産する自我」から「消費する自我」へと移っていくことが示されている。

 少し長くなるが、「生産」と「消費」について・・・

 ここで言う「生産」とは、ある「目的」を限定し、その「目的」を時間的にも手法的にも最も効率的に達成しようとするスタイルであり、「生産する自我」とは「自己を生産の目的として、また手段として限定した存在」・・・目的達成の為に全てを能動的に操作する完全な主体であり、「自らを完全に知る不可分の統一体」であるとされている。

 また、「消費」とは「ものの価値を消耗すること」ではなく、「目的」に到る時間、過程、手段を重視し、楽しむスタイルであり、だからこそ「消費」的なスタイルでの「生産」もあり得ると定義されている。

 この「消費」の概念を踏まえた上で、「消費する自我」とは「めざすべき目的としての自分の欲望、その目的実現のための手段としての自分を限定しない」自我であり、そこには「不可分の統一体」は存在せず、つねに分裂した存在として自我があるとされている。


 この分裂・拡散する自我を統一するスタイルが、現代における自己の「同一性」であり、そのスタイルを作る努力の中に、現代の個人主義が成り立つであろうことを山崎氏は示されている。

 高校生の頃、私が「自己同一性」という言葉に脅かされ、それを見つけられないままに、早々に逃げ出してしまったのは、本論でいう「生産する自我」のことしか頭になかったからで、当時、先生の薦めに従ってきちんとこと本を読んでいれば、もう少し違った精進の仕方があったかなぁ・・・と・・・

 歴史的には、個人主義→自己中心主義ととらえられ、そういった側面の肥大が危惧、悲観されたこともあるようだが、「消費する自我」が成熟していく先に、孔子の言う「心の欲するところに従いて矩をこえず」の境地-「個人の自由と平等を侵害することなく、社会の秩序と安定の仕掛けを守る」ことを可能にする道がひらけるかもしれないことが、山崎氏によって可能性として語られている。

 しかし、個人主義がそのように成熟する間もなく、この評論が発表された直後の80年代後半からはバブル景気-バブル崩壊-失われた10年-と大きな波に個人が翻弄されてしまった。

 この評論が書かれてから約20年・・・個人主義の在り様は、山崎氏が本論で分析されたものより退行しているようにも感じられる。ここから新たに成熟を目指していくことはできるのか? 本論以降20年間の変化についての良い同時代論があれば、読んでみたいと思う。

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2008-02-20

飲食男女(おんじきなんにょ) : 久世光彦

 「怖い絵」、「花迷宮」など、久世光彦氏の文章を読んで感じるのは、西向きの部屋、濃い色をした夕陽、ねちっとした汗、花や果実の匂い、うしろめたさ、湿り気・・・。

 食べ物の記憶、感触とともに浮かび上がってくる女たちの姿・・・味覚・嗅覚・聴覚・視覚そして皮膚感覚すべてで感じる、現実と夢と妄想の間で描かれる19の掌編。

 私がこの本を読んだのは、うららかな春のことだったが、春の爽やかな風を感じながら読むのは相応しくなかったかもしれない。読むなら、春以外の季節(春に読むなら桜満開の中に限る)、夕暮れから夜中にかけてをおすすめする。

 これまで読んだ久世作品の湿度のもとは、じっとりと皮膚にぬめる汗だったように思うが、この19の掌編の中では汗とともに色々な雨が作品を濡らしている。うしろめたさの中に寂しさと悲しさ、少しのやさしさが感じられるのは、この雨の湿度のせいかもしれない。

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2008-02-16

弱法師 : 中山可穂

 難病に冒された美しい少年と、何ものにも代え難く少年を愛した義父の姿を描く・・・『弱法師』

 どこか知性と美しさを漂わせるホームレスの老女が語る-女しか愛さない美しい編集者と、彼女に破滅的な恋をして、身を削るように九十九の小説を捧げた若き小説家の物語・・・『卒塔婆小町』

 母・文音は二人の人から深く愛され、二人の人を同じように愛していた。一人は同性の恋人・薫子、もうひとりは薫子の弟である夫・香丞。母の死後、少女・碧生が知る秘められた激しい愛・・・『浮船』

 
 中山可穂さんの描く恋って、切実で、どうしようもなくて、涙も鼻水も唾液も血も流れるだけ流れて、身体が破れる痛みを味わいながらも伸ばした手を、その人を掴もうとする手を引っ込めることができない・・・そんな怖ろしさと陶酔と切羽詰った苦しさが満ちていて、激しい恋を経験したことのない私でも、くずれおちてしまいそうな感覚に囚われてしまう。

 ここに収められた三編も深い、深い恋の物語だが、それぞれ能の演目の中の印象的なエピソードがモチーフとして織り込まれたこれらの話は、どこか夢幻の物語・・・生々しい感情・関係を濾過して、蒸留して、物語として美しく精製した感じがある。

 そうして精製された物語の中からも、しかしまだ血の滴るような言葉がはっとこちらの胸を衝く。

 「不思議だなあ。柳原さんと一緒にいると、自分にも食欲があるんだってことを思い出すんです。そして世の中にはおいしい食べ物がいっぱいあるっていうこともね」(『卒塔婆小町』)


 孤独のために肺の中が透きとおり、あばら骨のあいだからこらえきれずに漏れるためいきのような曲だ。(『浮舟』)


 その人がいなければ、何も感じることができない自分。身を捩って恋する人を求める言葉。私は経験したことがない想いなのに、なぜこの言葉を読むと勝手に涙が溢れてくるんだろう。

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2008-02-13

狂王の庭 : 小池真理子

 「この庭は、あなたのために造っている。あなたに捧げる庭なんです。絶対に忘れないでほしい」


 昭和27年、莫大な財産を投じて、西洋庭園を完璧に模した美しく、かつ不吉な庭を造った、陣内家の若き「狂王」・青爾。彼は旧公爵家・久我家の美しき人妻・杳子に激しい恋を告げる。

 細く美しい指、やわらかい髪、炎の宿る黒い瞳、気高く孤独で脆弱な魂を持つ青爾・・・妹の婚約者である彼に、杳子は狂おしく惹かれていく。


 理性も自制心も無力化してしまう激しい感情。その先へ行けば破滅に到ることを予感していながら、あえて盲目となって進まずにはいられない狂おしい衝動。その衝動に身を任せる時の恍惚、現実感の麻痺を伴う至福を、私もわずかに知っている。

 ・・・なんていうと、まるで恋愛のこの世の果てを見たことがあるようだけど、まったくそんなことは無くて・・・

 私の場合、そのような破滅的な衝動が発動するのは、お気に入りのバンド・役者・マンガが関係するときに限られる。(いや、かつて本当に破滅寸前まで行ったの! 気付くと貯金ゼロだったんだから!)

 一番最近その衝動と恍惚を感じたのは約1年前、「BLEACH」を全巻揃えようと決意した時だったなぁ・・・。

 若い頃、バンドの追っかけと、マンガの収集で貯金を使い果たし、ひどい苦労をした私は、それ以後連載漫画のコミックスを買うことを自らに禁じていたのだけど・・・。

 当時の私の日記・・・

 

 やっばい! 「BLEACH」面白い! ちょこちょこ見てるだけだからストーリー全くわかんないけど。 でも、やめらんね~~!

 何で絵空事の男ってぐっとくるんだろう? 何で絵に描いた女って完璧に見えるんだ? 久しぶりに完全に浮き足立ってる私・・・
 今ならコミック全巻揃えられそうだ。何たって“買ってしまいなさ~い”という天の声が聞えるから。これは私の意志じゃない、天の意志だからさ~~~♪
 いや、まて・・・ コミックよりアニメの方が良くないか? 同じ平面でも動くんだぞ?! DVDか? DVDも買うのか?

“買ってしまいなさ~い”(天の声)

この浮き足立った状況・・・平常心がどこかへいっちゃう瞬間・・・嫌いじゃない♪



 ・・・自分で書いていながら、あまりの次元の違いに軽くひくなぁ。小説の感想書いてるんじゃないのか、私?

 話しをもどして・・・ こと恋愛に関しては全く不甲斐ない私。恋のコーコツなんてなかなか実体験はできないからこそ、せめて小説の中では昭和ロマンたちこめる限りなく耽美な世界に浸りたかったのだけど・・・。杳子の手記として語られる物語は、その表現がどこか現代的・現実的で、完全にこの美しい虚構の世界に溺れさせてくれない。その点では少し不満が残った。

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2008-02-09

現実入門 ほんとにみんなこんなことを? : 穂村弘

 自称「人生の経験値」が極端に低い大人・穂村弘。「現実」が恐くてしかたがないほむらさんの前に、聡明で凛々しく美しい女性編集者・サクマさんが現れ、姉のように恋人のように、立ち竦むほむらさんの手を引いて、「現実」の世界へと旅をする。「現実」って言っても献血とか、合コンとか、モデルルーム見学、とか、占いとか、健康ランドとか、子供と遊ぶとか・・・。

 サクマさんと旅した「現実」は、やっぱりちょっと恐かったけど、何とかクリア出来て・・・。「現実」の中にいるサクマさんはキラキラしていて・・・。ほむらさんは、あんなに恐かった「現実」に、ほんの少しさわれるようになりました。

 って! なんだこれ? まるで良く出来た大塚英志のお話しみたいじゃないか? 「くもはち」の構図とそっくりじゃないか? ふ~ん、それで「現実」にさわれるようになったほむらさんは、ライナスの毛布・サクマさんを手放して、数年前には逃げ出してしまった「生活」を、ぎこちないながらもついに始めることになるんだ。ふ~ん・・・。

 「人生の経験値が低い」「現実が恐い」なんて言いながら、穂村さんは現実が嫌いなわけでも、現実に無関心なわけでもでもなくて、ホントのところは現実世界に興味津々じゃないですか! それなら「人生の経験値」なんていとも容易く上げられるじゃないですか? これからはどんどん浮世の垢のついたおじさんになってください。もう「経験値の低さ」はネタにできませんよ~ ふふふン。


 かつて、大槻ケンヂは「『現実』の恐怖に抗うには何が必要か? それは『テンション』だ。 無理から自分のテンションを上げ、人生を戦え!」と説いた。私は、「経験値の低さ」をちらつかせ、女性に手をひいてもらう穂村氏よりも、このオーケンの態度を断固支持する! (穂村さんも、おもしろいし、何となくしたたかそうで好きですけどね。)

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2008-02-06

ダウン・ツ・ヘヴン : 森博嗣

 「ナ・バ・テア」に続く、戦闘機乗り・草薙水素(クサナギ・スイト)の物語。

 空でしか笑えない子供-キルドレであり、飛ぶことを何よりも望んでいるクサナギなのに、皮肉にもその優れた飛ぶ-戦闘機を操る能力の為に、地上へとどんどん引き摺り下ろされていく姿が痛々しい。前線で飛ぶことよりも地上で指揮官となることを迫られ、意に反してクサナギの身体は空からどんどん離れ・・・。

 クサナギには酷なことかもしれないけれど・・・前作・本作と読んでみて、その飛ぶ能力、空への思いとは裏腹に、クサナギは本来『地上の人』なのではないかと・・・。シリーズの一作目「スカイ・クロラ」でのカンナミの、周囲との抵抗がとても少なく、軽々と空に上がっていく姿~空で生きるべくして生きているような姿と、どこか常に重力を感じさせるクサナギの姿はかなり違っているように見える。空は、クサナギが生きる場所ではなくて、地上では生きたくない彼女の逃げ場なのではないかなぁ。

 本作ではクサナギとカンナミが空を飛ぶ者同士として接触する場面が何回かある。もう少し“何か”が浮き彫りになるのではないか?と思ったのだけど、今のところこの2人についてははっきりと明言されることはない。(ん? ここに出てくるカンナミと「スカイ・クロラ」のカンナミは同一人物でいいのかな?)

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2008-02-02

魔王 : 伊坂幸太郎

 アメリカ・中国という大国に対する日本国民の心理的な鬱積や、明るい要素もなくくすぶり続ける日本社会への不満が高まる中、有能でカリスマ性もある一方、ファシズムに通じる匂いも感じさせる政治家・犬養が世間の注目を集めていた。

 『自分の考えた言葉を他人に語らせることができる能力』を身につけた男・安藤の視点で、そんな社会の状況と、その中での自分のスタンス、自分なりの戦いを語った「魔王」。

 普段どおりの日常の中に徐々に不穏なものが忍び寄ってくる・・・その緊張感の高まりが胸をしめつけ、動悸が激しくなってくる。さあ、どうするんだ安藤?!!!!

 これから大きく展開!!! と思った矢先に終わってしまった「魔王」。そうか、てっきりここから先が話のメインだと思っていたのに・・・。前フリだと思ってた部分に、すでに作者の言いたいことは書かれていたのか・・・。そうか、気が付かなかったけど、ボールはもうこちらの手に渡されていたか・・・と自分の思い込みを軌道修正しながら、続く「呼吸」を読む。


 考える男・安藤に対して、直感の男・・・安藤の弟で『1/10程度の確率の物事なら予想を的中させることができる力』を持った潤也が語る「魔王」から五年後の日本・・・「呼吸」。

 潤也やその妻・詩織ちゃんが語ることで、「魔王」を読んでいる時点ではピンとこなかったところがいくつか補完されていく感じはしたけど、結局こちらを読み終わっても、何だか知らないうちに渡されちゃってた気がするボールをどうすればいいのか判らなくて、もじもじしてしまう。

 社会の前線から距離を置くことで平穏を保とうとする考え、社会の渦に飛び込んで自分のとるべき行動を模索しようという考え、・・・のみならず、色んな立場での色んな人の思惑にそれぞれの正当性がある。正当性のある事同士がぶつかる。
 
 『考えろ、考えろ、考えろ、マクガイバー』(「冒険野郎マクガイバーというドラマの中で、困難にぶつかった時主人公が良く口にするのが『考えろ』ということだったらしい)・・・安藤は繰り返し『考えろ』って自分に言い聞かせてるし、そんな兄に『考えすぎだよ』って言ってた潤也も、後半随分『考える』ようになっているんだけど・・・考えれば考えるほど不穏な方に行ってるような気がするんですよねぇ。結局『良くなろう』とか『良くしよう』とか考えずに何もしないのが平穏なんだろうか?って思いがよぎります。

 それにしても・・・『考えろ』という言葉に『マクガイバー』と続けることでガス抜きしてるのかも知れないけど、こういう風にスカされるのは私は嫌だ。

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