2007-11-28

大江戸観光 : 杉浦日向子

 色々な雑誌に書かれた、江戸エッセイを集めたもの。浮世絵、歌舞伎、江戸の読み物、花魁、陰間、美形列伝、狐狸妖怪、江戸のアヤシゲなものたち、時代考証と時代劇・・・知っていると、ちょっと嬉しい気持ちになれる、江戸の美味しいところをつまみ食いさせてくれます。20代の頃に書かれたものが多いのかなぁ? 文章が若々しい気がします。

 杉浦日向子さんの書かれたものを読んでいると、「なるほど! そういう見方もあるんだね。」って気付かされることがよくあります。

 今回は歌舞伎について書かれた部分に、“ナルホドナ~”と深々とうなずくと共に、杉浦氏の眼力に脱帽。

 江戸の歌舞伎の血肉であった「滑稽・卑猥・残酷・乱雑」を捨て、きれいな舎利骨として転生し、お上のお墨付きの「伝承芸能」となった歌舞伎。今頃になって、「歌舞伎の活性化」とか「民衆の娯楽としての歌舞伎を云々」ということが言われるが、それを言うのはゼイタクってもんだと。

 そもそも、民衆劇を脱却して高尚化するという選択をしていなければ、あまた出てきた同時代の演劇、エンターテインメントに押されて、歌舞伎は消えていってしまっていただろう。この明治期の大英断のおかげで、兎にも角にも「今も歌舞伎を観ることができる」ことを感謝しなけりゃいかん。

 そういうことを杉浦氏はおっしゃってます。

 その上で杉浦氏が提案する歌舞伎の楽しみ方・・・「伝承の型」として高められ、洗練され、観るものの日常から遠ざかることで、舞台と客席の間に生じた独特の「ひずみ」を体験すること。前衛的な舞台などでは意図的につくり出されるこの呪術的な空間が、伝承芸能の中には、長い年月の繰り返しによって、自然発生的に生まれている。その「異次元」を楽しむことが、現代の歌舞伎の効率的な楽しみ方ではないか・・・と。

 私としては、歌舞伎の「異次元」感覚って、呪術的というよりも、マンガやアニメにも共通する、ファンの嗜好・欲望に過剰気味に適応した超日常的甘い罠・・・のように思えるんだけどなぁ。 

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2007-11-24

ユリイカ : 青山真治

 7人の死者を出した凄惨なバスジャック事件の当事者であり、死を目前にしながらも生き残ったバス運転手の沢井と直樹、梢の兄妹。同じ体験をしたものが再会し、共に生活し、新しく手に入れたバスで旅をしながら、壊れた世界から再生をしていく。

 導入部が印象的でとても惹きつけられる小説だけど、読むのがとてもしんどい小説でもありました。

 死という圧倒的な恐怖、闇を垣間見てしまったことで、生を支える“関係”や命を養う“世界”を完全に破壊されてしまった沢井たち。そういう体験をした人たちの心をひとつひとつ語っていく抑えた言葉。読むのにはかなり体力が要りますが、それだけの体力を使っても読まなきゃと思わせる熱いものが一つ一つの言葉の中にあります。

 小説の舞台となるのは九州の田舎町。沢井たちを取り囲む情の濃い土地、人の情に絡めとられたような世界。そういう町、世間と、“関係”や“世界”というものを破壊されつくした沢井たちとの対比が残酷で、悲惨な気持ちにさせられます。

 その悲惨さがじっくりと描かれているだけに、そこから回復することがどれだけ困難なことか、沢井たちの旅がどんなものなのか・・・簡単に読み飛ばしちゃいけないなと思うのです。

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2007-11-21

間宮兄弟 : 江國香織

 兄・明信35歳:酒造メーカー勤務。痩せ型。髪型は7・3分け。プライベートではスーツ用の白いワイシャツにチノパンを着用。細いウェストをベルトで締め上げる為、ベルトの端がだらーんと余っている。好きな飲み物・缶ビール。

 弟・徹信32歳:小学校の校務員。ぽっちゃり型。ラフな服装(ヘヴィメタ調の革ジャンなど)を好む。好きな飲み物・コーヒー牛乳。


 見た目が良いとは言えず、対人関係をさばくのも苦手な間宮兄弟は女性にモテない。自分の心の中だけに育つ恋の思いは相手にちゃんと受け止めてもらったことが無い。
 
 心優しい間宮兄弟にとって、世間には怖いことやややこしいことがありすぎる。それでも、女性と恋をすることを諦めさえすれば、すべては俄然平和になる。

 兄弟が暮らすマンションは、そんな平和な空間。二人を脅かすものは入ってこない、心穏やかに暮らせる王国。

 この夏はその王国に複数の女性がやってきた。楽しい時間と少しのときめきと苦い思いと暖かい感触を残してすぐに過ぎて行ってしまったけど。間宮兄弟にはまた、誰に遠慮することのない、二人の平和な時が戻ってきた。


 自分がありのままの姿で、楽に平和にいられる場所。・・・それホントに天国だ、夢の王国だ。間宮兄弟の暮らす部屋は憧れの空間なんだ。

 でも間宮兄弟とて、その空間に暮らすためにいくつかの手に入れたいものを諦めている、またはいくつかのするべきことに目を瞑っていることを忘れちゃいけない。

 つい、京極夏彦「覘き小平次」の中の小平次の台詞を思い出してしまう。

 「無理をして楽になるのと、無理をせずに苦しむのでは、どちらが良いのだろう。」
 
 この小説を読んで、「間宮兄弟は人としてするべき努力を放棄してる!」とお怒りになる方も、もしかしたらいるかもしれないなと思う。でも、嫌なことや面倒なことに向かっていくのを止めるっていうのは、本当に駄目なことなんだろうか?とも思う。

 困難を乗越えようとする努力は人を大きくする? それとも、報われない頑張りは人の心をゆがめてしまう? どちらの可能性が大きいのでしょう?

 そんなことを思いました。

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2007-11-17

その日ぐらしー江戸っ子人生のすすめ : 高橋克彦・杉浦日向子

 江戸っ子の生活感覚ってどうだったの?を語る高橋克彦氏・杉浦日向子氏の対談集です。会話の中からお二人のベースになる感覚の違いなんかも覗えて興味深い。

 さて、江戸っ子といっても江戸に暮らす人の大半は単身赴任の武士と地方出身のお店者で、つまり現代のサラリーマンのような暮らし。所謂“江戸っ子”っていうのはごく一部の人たちだったそうですね。


 責任ばっかり重くなっちゃう出世なんて望まない・・・曰く「親方なんて呼ばれるようになっちゃ人間おしまいよ」。真面目に働けばすぐに一財産くらい築けるようなご時世なのに、その日の米がなくなるまではふらふらして過ごす。チマチマ働いて長持ちする家を建てるなんてケチくせぇ。小さな借家暮らしで、食べる米がなくなればちょっと稼ぎに行って来る。財産はないけど、ローンもない。尻っぱしょりでどこへでも駆け出せる身軽さが身上。

「人間一生糞袋、食って寝て糞して、それでいいよ」

 個人の自我とか個性とか・・・そういう観念が希薄だったこの時代、江戸っ子の価値観ってこんなもんだったそうで。この価値観を現代の私達がどう思うか? 色々分かれるとこだとは思うけど、こういう風に考えて生きてる人が多ければ、こまかい争いとか競争とかなくて、かなり穏やかな社会にはなると思いますね。

 人間を一個の生き物と考えたとき、将来の安定のために日々財産を蓄え、夢や目標をもってきりきり自分を鍛え上げて輝かしい未来へ進んで行くのが良いのか、ただ“糞袋”とわりきってその日その日をなんとなく楽に暮らすのが良いのか・・・。自分なりの幸せを考えてみるきっかけにもなる一冊ではないでしょうか。

 ただね~、今の日本社会じゃ“その日ぐらし”は不当に低くみられてるとこもあって、すぐにその日さえ暮らせない状況に転落してしまう可能性があるからね~。江戸の世よりは生きにくいでしょう。

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2007-11-14

園芸家12カ月 : カレル・チャペック

 何でこの本を読んだかって・・・それは、いとうせいこう氏が、「ボタニカル・ライフ―植物生活」執筆のきっかけについて、「もともと、『園芸家12カ月』の全編にあふれる無償の愛に圧倒され、ひどく感動し、自分も無性に何か書きたいと思ったのだ。」と書かれていたからなのです。

 都会の限られたベランダで、おどおどと、しかし必死に、不器用な愛でもって植物を育てる「ベランダー」の姿を、時にクールに、時にユーモラスに描いた「ボタニカル・ライフ」は、植物を育てるにはあまりに不完全な男の、不器用な愛情と、屈折した心理と行動と困惑が、妙に可笑しく愛しい、文句なしの名作エッセイでした。

 結果的にそんな名エッセイを生んだ、いとう氏を突き動かした本って! それはとんでもない面白さに違いない!

 そして・・・

 期待に違わず、「園芸家~」は、園芸家の誇りと、ちょっぴり自嘲的なつぶやきと、ユーモアに満ちた面白い本でした。

 チェコの「園芸家」は、東京の「ベランダー」に比べて随分と身体を使う。行動力と意思の力に満ち満ちて、季節・天候の変化を嗅ぎ付ける嗅覚に優れている。ちゃんとした「庭」を造る彼らは、「ベランダー」よりも圧倒的に「土」や「自然」に近しい。自らの「財産」=「庭」と「植物たち」を守り、育てるために身体を張る(そしていつのまにか自分が「植物たち」の召使になって、わき目もふらず忙しく働き回らされている。何と言っても、「園芸家」が、丹精した庭をゆっくり眺めることができるのは、すべてが雪の下に隠れてしまった12月だけなのだから。)。

 日本とはかなり違うんであろうチェコの気候・風土をもう少し知っていれば、「園芸家」が春夏秋冬それぞれに味わう内心の煩悶を、もっと一緒に感じることができるのかもしれない。

 ちっとも「園芸家」の願いをきいてくれない自然に恨み言をいいながらも、端から見ればパラノイア?と思いたくなるような自らの意思の力と行動力で、自らの「庭」という「世界」を作っていく「園芸家」。
 
 きまぐれにベランダに鉢を並べ、花が咲けば喜び、枯れそうな(又は腐っていく)一株を、なす術も無く、ただ事態が好転することを祈りながら見守り、予想外の出来事におろおろと狼狽する「ベランダー」。

 同じ植物愛好家といえども、かなり違う2者の姿。マンション暮らしの身としては「ベランダー」の方にシンパシーを感じる・・・かな。

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2007-11-10

狂乱廿四孝 : 北森鴻

 芝居の町・猿若町で起こる凄惨な殺人事件。一幅の幽霊画に埋め込まれた謎掛け。続けざまに起こる不可解な事件、過去の因縁、奇妙な噂に芝居の町は怯えていた。

 明治初頭の歌舞伎界を舞台に、脱疽で両足を失った悲運の名女形・三世田之助、五世菊五郎、河原崎権之助(後の九世団十郎)、河竹新七(黙阿弥)ら実在の人物を配して描くミステリー。

 読者の興味をこの異様な幽霊画にぐっとひきつける効果的なプロローグ。幽霊画に仕掛けられた謎を追わせながら、さらにその外側に仕掛けられた筋書きを気取られないよう、周到に張られた罠。飽きさせることなく最後まで引っ張って行ってくれる。

 実は、「脱疽の田之助」としてその壮絶な逸話を見聞きしたことのある三世澤村田之助がどのようにように描かれるのか、というところに興味を覚えてこの小説を読んだ。皆川博子の「花闇」や、南條範夫の「三世沢村田之助―小よし聞書」とはひとあじ違った田之助像、生々しい蠢きを持って描かれた歌舞伎の世界は十分に読み応えもあって面白かったのだが、ほんの少し(これは私の気のせいかもしれないのだが)物語の舞台に漂う“借り物臭さ”が気になった。

 ミステリーの舞台になる歌舞伎の世界、江戸の気分を残す明治初頭の芝居町の描写に、この作者独自の思い入れというようなものを何故か感じにくい。巻末に参考資料としていくつかの作品・書籍があげてあるが、そういう他の作家らによる既成の作品の内容が未消化なまま作品に流れ込んできているようにも思えなくも無い。そのあたりは少し物足らなさが残った。

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2007-11-07

自由戀愛 : 岩井志麻子

 舞台は花の都・東京、モダンと古風が同居する大正時代。

 華やかな美貌に恵まれ、無邪気で可愛らしい明子。聡明で思慮深いが地味で人の目にとまることのない清子。かつては同じ女学校に通い、新しい女性らしく自由恋愛を楽しみ、男に頼らない生き方をしようと誓い合っていた二人が一人の男を求めたことから起こる、暗い戦い。

 話としては典型的な女の確執モノで、良くある話しといえばそうなんだけど、この小説を読んでてあまり嫌な気分にならなかったのは、女性の醜い部分、愚かな部分がズバズバと書かれていながらも、その女性達が否定されていないからなんじゃないかな~。マイナスの部分を含めてもこの小説に登場する女性達は魅力的だ。

 家族や周囲の人達に愛され、褒められて育った明子は、無邪気な分無神経で、他人への思慮に欠ける行動は場合によっては愚かで、残酷で罪深く、そのせいで自ら不幸を招いてしまう。それでもやはり、成長の過程で悪意のある言葉や否定的な言葉に触れることのなかった彼女ならではの、素直に他人を求め、他人に触れることのできる性質は間違いなく彼女の最大の美点なのだと思う。

 一方、“こうなってはいけない”“こうはなりたくない”という躾と想いばかりにしばられて成長した清子は誰にも触れることなく、誰からも触れられることのない、人の目にもとまらない女性になってしまった。清子を清子と認め、その上で触れてくれた男性に一度は心を奪われるが、最後には自分の求めるものを自分の手で掴む道へと歩きだす。自ら考えることができ、生きていくための術を身につけていた彼女だからできた決断だ。

 長い確執の中で、二人それぞれに自分の醜さ、弱さよりも己の持つ美点に気付いたのではないか・・・それぞれふさわしい生き方へと流れていく。読後感はさわやかだった。

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2007-11-03

私が語りはじめた彼は : 三浦しをん

 家庭がありながら、多くの女達に愛され、また、多くの女達と関係を持ってしまう大学教授・村川。彼に連なる男女の生活、心理を描くことで、村川という人間を浮き上がらせていく6編の連作。

 三浦しをん氏の著作といえば、これまで「月魚」といくつかのエッセイという、ライトなものしか読んでないせいか、本作中に時々使われる情念的な言葉や表現がどうも浮いているような気がしないでもない。それでも作品が進むにつれて、主体的には語らない村川の人物像がだんだんと現れてくるのには“おおっ”と思ってしまう。

 村川の存在・行為によって生活や心を散々に乱された人たちにとっては大層な災難であり痛みであっただろうけど、村川はある純粋な人間関係を求める男なのであって、彼がそれを悪と感じていない以上、彼を責めることは全て空振りに終わるのだろう。彼に社会的・道義的責任を負わせることはできても、彼に罪の意識を感じさせ、心からの贖罪をさせることはできない。

 「予言」の中で村川の息子が味わうように、“自分が傷つけられた痛み”をもってして、誰かを傷つけることは不可能だ。結局自分が被った傷も、村川のような男との関係も、自分なりに収まる所を探し昇華させなければいけない・・・この作中の人たちのように。

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