2007-07-28

四畳半神話大系 : 森見登美彦

 事によると私は、幻と言われる「薔薇色のキャンパスライフ」を手に入れることも出来たかもしれないのに・・・。大学三回生の春までの二年間、実際私が狙い澄ましたように行ってきたのは社会的有為の人材となる為には不要なことばかりであり、私の横には人の不幸でご飯が三杯いける、悪意いっぱいの妖怪めいた男がへばりついている。

 なぜ私は斯くも呪われた状況にあるのか? 私は何を間違えたのか? もしもあの時違う選択をしていたとしたら・・・?


 時空を超えて増殖する、誇り高くも滑稽で、そこはかとなく哀しくも愛しい男子大学生の四畳半世界。

 果てしない四畳半一周の旅から生還した男は、彼を呪われた生活に引き込んだ、妖怪めいた男の正体が実は愛情溢れる友人であったことを知る。ああ、これは『青い鳥』のお話か・・・。

 
 ・・・何ともむさくるしく、痛々しい男の話で、現実で彼に出会ったら、上手く対処できるかどうか自信は無いけれど・・・やはりどこか愛しく思うところはあるんですよ。願わくは、大変な旅を終えた彼を、大いなる愛情をもって過去の過ち込みで抱きしめてくれる、黒髪の乙女の現れんことを。

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2007-07-25

人間失格 : 太宰治

 学生の頃から、夏の文庫フェアの時期になると、なぜか「人間失格」が読みたくなり、文庫を購入→結局読まずじまい→古本屋に売る→一年後の文庫フェアでまた読みたくなる→買う→以下ループ・・・ということを何年も繰り返していたのですが、今年遂に読みました。集英社文庫です。小畑健の表紙につられました。出版社の思惑に面白いように乗ってしまう私です。

 え~、私事ばかりで恐縮ですが、最近、好きな人のタイプに“恥じらいのある人”という項目が加わりました。自分が“間違っているかもしれない”ことを恐れている人にはどこか恥じらいがあります。その恥じらいがある限り、どんなに孤高の高みを目指そうと、どこかで切っ先が鈍ってしまうのか、あと一歩突き抜けることが出来ず、境界線付近でうろうろしている人を見ると、好ましいと思ってしまいます。

 「人間失格」の大部分を成す、葉蔵という男の手記。「恥の多い生涯を送ってきました。」で始まるこの手記に「恥」と「恥じらい」が似て非なるものであることを感じました。

 自分の心情、行動と世間との差異の中に生じる恐れが「恥じらい」で、世間並でない自分の心情、行動の醜さを自分で断じたものが「恥」であるように思います。外を見ずにはいられない視線から生まれる「恥じらい」。内に向けた目が生む「恥」。自分の行動を恥と断じる人の心には、恥じらいの入り込む余地は無いのではないか?などと私は思うのですが・・・。

 自分にとっては、世間や他人というものが、まったくわからず、怖ろしいものであると言い、常にお道化ることでそういうものに対処してきたと葉蔵は自嘲的に語りながら、そこにあるのは実は世間や他人への恥じらいではなく、お道化を演じる自分の内へ向けての「恥」という言葉。どこまでも自分自身に向けられた目。自意識の化け物。

 自意識の中で完結しようとする男には、私はもう何の手の出しようもなく、ただ、“あぁ~・・・”と鑑賞するしかないのです。

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2007-07-21

海の鳥・空の魚 : 鷺沢 萠

 何か上手くいかないことがあると、“自分にとってこの世の中は違和感を感じる「生きにくい」場所”であるのだということを免罪符のように持ち出す・・・。でも、“世界は俺が回してる”“世界は私の為にある”と一点の曇りもなく思っている人って一体どれだけいるというんだろう?

 生きにくい、自分にとって間違った場所に生きていることを言い訳につかうよりも、それを自分のこととして引き受けようとした方がいい・・・その方がずっと清々しくいられる。

 海に落ちた鳥のように、空に放たれた魚のように苦しい息をしながら、それでも自分を貶めない生き方をしようと踏ん張る人たちにふっと訪れる“楽に呼吸ができた瞬間”。その一瞬の光を描いた短編集。

 今の私にいちばんぐっと来たのは「涼風」という一篇。勤めていた編集プロダクションが潰れ、つなぎの仕事に小さな町工場のトラック運転手をしている男。無気力と諦めの膜に覆われたような彼の心にプツンと風穴が開き、憑物が落ちるように一つの光が射す瞬間が感動的。その一瞬に男は、意識しないところで自分を縛り上げていたのは、自分自身の自負心と不安であったことに気付き、開放される。

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2007-07-18

ブラフマンの埋葬 : 小川洋子

 「僕」が小さな獣「ブラフマン」に出会い、彼と過ごし、そして彼を葬るまでの短いお話。

 舞台は何処とも知れない村。読むなり、この村は以前読んだ同じく小川氏の小説「沈黙博物館」の舞台となった村に似ていると思った。

 森の木々、丘の草、泉の水、海や空はすべて鮮やかで清々しい色彩をたたえ、確かにそこにはいくらかの人の生活感もあるのだが、村は斜面一面に古代墓地が広がる丘を背負い、その死者の存在感に比べて不思議と「生」のエネルギーに乏しい・・・「生きている」ものの影が薄く感じられる。村には鉄道の駅も、外からの来訪者もあるのだが、この村が本当にこの地上のどこかに繋がっているのかどうか疑わしい気すらしてくる。

 村にある<創作者の家>の管理人である「僕」が親しく付き合うのは墓碑銘を刻むことを仕事にする「碑文彫刻師」。そして「僕」の部屋に飾られ、「僕」を安らかな気持ちにさせるのは、とうの昔に一人残らず死んでしまっているだろう見ず知らずの一家の古い家族写真。「僕」は何だか随分と「死」と近しいものを身の回りに置いている。

 生気の薄い村の中での「生」を感じさせる出来事(村の娘と隣の町から来る恋人との逢引。「僕」の娘に対する恋愛めいたもの)は、まったく何の感情の起伏も熱も感じさせず、ただ記録として書き留められる。

 この小説の中で唯一純粋に生命を感じさせるのは「ブラフマン」だけであり、「僕」と「ブラフマン」の交流は暖かく、微笑ましい。ただ、意地悪くみると「僕」は輝くばかりの「ブラフマン」の生命を貴重な標本を見るように観察していたようでもあり、「僕」がひとしきり「生命」の観察を終えると「ブラフマン」はあっけなく命を失ったようにも見える。

 この小説も「沈黙博物館」のように静かに「死」に包まれていこうとする世界でのお話のような気がする。その中で一瞬生き生きとした姿を見せた「ブラフマン」・・・彼のことをどう受け止めたらいいんだろう? 

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2007-07-14

沈黙博物館 : 小川洋子

 なんだろうこの居心地の悪さは。

 何処とも知れない村に着いた博物館技師の男。彼は荒れ果ててはいるが広大な屋敷に住む老婆の依頼で、死んだ村人たちの形見を集めた「沈黙博物館」づくりに携わる。

 庭師の剪定バサミ、娼婦の避妊リング、美術教師が死の間際までしぼり尽くした絵の具のチューブ、耳縮小手術専用メス、沈黙の伝道師が身につけていたシロイワバイソンの毛皮・・・。老婆と男の手によって“奇跡的な生の痕跡。その肉体が間違いなく存在しておったという証拠を、最も生々しく、最も忠実に記憶する品”が死者のもとから盗まれ、集められ、「沈黙博物館」の展示品として永遠に保管される。

 死者の「生」をこの地に留め続けるために蒐集された形見たち。博物館技師や、彼に仕事を依頼した老婆はその形見に、彼ら自身より雄弁に彼らの「生」を語る何かを感じているらしい。

 ---博物館技師の男はしばしば顕微鏡を覗き、カエルから切り取った細胞、タニシの殻を叩き割って採集した精子に「生命」を感じる。形見といい、この小動物の細胞といい、生きていることから切り離されたモノにより生々しい「生」を感じるなんて何だかグロテスクだ。 そして彼は、とても会いたがっていた兄夫婦に生まれた子供-今生きている生命には結局会えないまま村を出られない。

 彼を取り込んでしまった村は一見人々が普通に暮らす土地であり、色彩に溢れ、臭い、光、闇を感じさせる場面は沢山あるのだけど、不思議と「音」の印象が無い。

 気味の悪いアンバランスさに満ちた小説だった。


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2007-07-11

大江戸歌舞伎はこんなもの : 橋本治

 学生の頃からちょくちょく観てはいたんですが、中村勘太郎のあまりの素敵さに、昨年から歌舞伎熱が再燃しておりまして・・・。

 とっつきやすいタイトルにひかれて読んでみましたが、親しみやすそうな語り口とはうらはらに内容はけっこう面倒で難解なことが書いてあります。・・・というか橋本氏の話の展開のさせ方ってかなりランダムなのでついていくのが大変。

 ここで言う「大江戸歌舞伎」は文字通り江戸時代の江戸の街で行われていた歌舞伎のことで、そこのところを現代の歌舞伎と混同してしまうと頭の中がえらく混乱するので要注意。

 本書ではまず、「江戸歌舞伎」の「定式」(じょうしき=ルール)、全体を統一する枠組である「世界」、舞台上と客席の心理的・時間的距離を表す「時制」といったことが語られます。一見荒唐無稽でムチャクチャな歌舞伎の展開、設定に関する疑問や違和感は(歌舞伎初心者の私は「何で平安時代の女性が江戸の武家の奥方の格好で現れるんだ?」とか「吉原の花魁・揚巻の間夫・助六の正体が鎌倉初期の人物・曽我五郎ってどういうこと?」・・・等々、これまで沢山の疑問を抱えてきたのです。)この歌舞伎の「世界」「時制」の解釈を読むと凡そ「ふうむ・・・」と納得されました。

 「江戸歌舞伎」のドラマ構成についての件は少し難解でしたが、強く印象づけられたのは、「江戸歌舞伎」のドラマを作った前近代人である江戸の町人と、現代人である私達のメンタリティは全く異質なものなんだなぁということ。

 時代劇や時代小説で感じる一般的な江戸の町人のイメージ・・・威勢が良くて人情にあつく、シャレがわかって、自由闊達・・・そういう江戸人への勝手な親近感でもって歌舞伎に触れると大きな誤解をしてしまいそう。・・・ただ、現代的娯楽として楽しむ分にはそれで良いんだとも思うけど・・・。

 この橋本氏の江戸歌舞伎考察を読んだ上で、では現代の歌舞伎は何なのか?と考えると・・・これはまたう~むと考え込んじゃう問題。


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2007-07-07

太陽の塔 : 森見登美彦

 青春の蹉跌も随分と軽やかになったものだ。肥大する自尊心に現実がついていかない孤高の男子学生の悶々が、ファンタジーとなってしまう日が来るとは! (まぁ、彼らの悶々はクリスマスの街についに小さな奇蹟を起こすのだが・・・)

 『何かしらの点で、彼らは根本的に間違っている。なぜなら、私が間違っているはずがないからだ。』と言い切ってしまう傲慢。そして、同じクラブの女子学生の視線(真実を見透かすかのようなその視線・・・彼はそれを「邪眼」と呼ぶ)にさえ耐えられない程の恥じらい。その二つの間で分裂する我が身と精神を持て余しながら、端から見れば“何もしていない”としか見えない高尚な精神活動の結果を垂れ流す。

 ・・・で・・・それはそうと、日本ファンタジーノベル大賞受賞作だというが、いったいどのあたりからファンタジーになるのよ? と思っていたら・・・今まで読んでいたもの、それこそがファンタジーだった、という・・・。

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