2007-04-28

文芸漫談 - 笑うブンガク入門 : いとうせいこう・奥泉光

 むむ、やたらと勉強がしたくなる本。

 文学とは何か? 文学はどうあるべきか? という啓蒙的なことを漫談として人前で語ってみようという試みを書き物としてまとめたのがこの一冊。(“フルートを吹く奥泉光氏”がやたらといじられてます。)所々わからない言葉はありつつも、楽しく読めます。

 私たちが大体において「小説」と思って手に取っているものは「活字」=「紙についたインクのしみ」の集積である。それなら「小説」はどこに存在するのか? とか、「読む」上での文化的コードの問題とか小説の中の「私」とは何者か? とか、「小説」と「物語」の違いは? とか・・・こ難しいことだけど、語り手の二人はあくまで漫談でやっているから客を“ひかせない”。お二人の痛々しいまでのウケ狙い、ネタの仕込みを楽しみながら最後まで読めば、上記の問題が不思議と分かるようになってるんです。
(「小説」と「物語」の違い・・・っていうのは「ノーライフキング」あとがきの「僕は呪われ続けたのだ。『小説を書くな。お話を書け。』と」っていう一文を読んで以来ずっと私の頭の隅にひっかかってることなので、この本でのお二人の話も食付くように読みましたよ。まだまだその違いを自分の感覚として実感するところには到りませんが。)

 この本の三人の語り手・書き手は、親切であり、挑発的でもあるので、わかる快感と共に、まだまだ分からないことがあるという悔しさも残してくれます。この快感と悔しさの絶妙なバランスによって、勉強しようという気をかきたてられるんですね。

 しかしまぁ、「人生には文学が必要だ。」「生きていれば『文学』に直面する瞬間がある。」とは言っても、“「文学」について考えてこなかったから生活に困ってしまった・・・”なんてことはまず無いわけで、それでも“ちょっと「文学」勉強してみようかな♪”と思わせてしまうこの本は、とても「娯楽的な本」と言っていいのだろうな・・・。

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2007-04-25

いとしさの王国へ-文学的少女漫画読本

 少女の夢、恋、悩み、恐れ、喜び・・・それはみんな少女漫画の中にあった。少女漫画と共に思春期を過ごした作家たちが、自分の血となり肉ともなっているそれらの少女漫画への想いを綴る。

 執筆陣は角田光代、狗飼恭子、三浦しをん、桜井亜美、嶽本野ばら・・・と人気の作家がずらり。’60年代半ばから’80年代前半生まれの方々であるが、やはり最も思い入れのある作品はそれぞれ10代の頃に出会った作品のようで、とり上げる作品にそれぞれの世代が窺えて面白い。

 人気作家たちが自らの漫画体験をつづったエッセイということで、非常に期待して読んだのだけど、正直なところ、その期待は完全には満たされなかった。思春期に読んだ漫画がそれぞれの作家の内面にどんな影響を残しているのか・・・そんなところに興味があったのだけど、期待に反して、好きな漫画からの引用や、「この漫画ではこんなことが書いてあった」~って思い出としてただ懐かしんでる記述が多くて・・・。私自身はあまり少女漫画を読んだことがなく、彼女らと共通する体験をしていないので、単に思い出話を語られただけでは共感できる部分がない。

 私の10代は「北斗の拳」「ジョジョの奇妙な冒険」他、ジャンプコミックスで埋め尽くされていたからなぁ・・・。少女漫画への思いいれは薄いのです。

 ただひとつ気になる少女漫画があるとしたら、高野文子の「おともだち」に収録されていた「春ノ波止場デウマレタ鳥ハ」。高校生の頃だったか、この漫画を読んだ友人達は揃って感銘を受け「すごくいい」と言っていたから、私も「いい!」と言いたかったんだけど、正直なところ私には今ひとつ解らなかったんですよね~。主人公の可憐な少女が、憧れと少しの痛みを持って見つめる、凛々しく、どこか影のある少女。ノスタルジックで美しい漫画だったけど、私の友人達の心をあんなにも鷲掴みにしたのは何だったのか? 今読めば少しは解るかしらん?

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2007-04-21

花咲く乙女たちのキンピラゴボウ : 橋本治

 高校時代の国語の先生は、若いうちに読んでおくべき面白い本を色々紹介してくれて、この橋本治氏による少女マンガ論もそのうちの一冊だったのですが、“いつか読まなきゃ”と思いつづけてこの歳になってしまった。長い長い時を経てやっと読みました。

 長い間手が付けられなかった宿題を終えた気分ですが、自身のマンガ体験に照らし合わせて、“ああ、あれは・・・そういうことだったのかぁ・・・”なんて改めて目を開かれるというというんではなく・・・何と言うか、私にとってはまったく一つの異文化見聞でした。

 そもそも、10代の殆どを「週刊少年ジャンプ」を読んですごした私の思春期に、少女マンガは存在しないというか、少女マンガに対する思い入れがないというか、少女マンガに対する感性が欠けているというか・・・

 本論で取り上げられている少女マンガの9割方を私は読んでおらず、7割方はタイトルすら知らないという始末でした。わずかに読んだことがあるのは「ポーの一族」と「トーマの心臓」くらいですが、それも二十歳過ぎてから、古典作品を鑑賞するようなつもりで読んだのであり、私はやはり、リアルタイムで少女マンガに胸ときめかせたり、少女マンガの登場人物達と想いを共有したりしたこと無いのです。

 私が少女マンガを読まなかったのは、女子中・女子高・女子大と、10年間女の子だけの中で過ごしたからではないか、という気がふとします。13歳から18歳という大切な時期に、クラスを見渡しても女の子しかいない女子校という、現実感の一部が欠けた、隔離された環境の中で、ぽよぽよと漂っていますと、幸か不幸か、この世に男の子がいるということをだんだん忘れてしまうのですね。それと同時に自分が女の子だという意識も薄くなっていきます(みんなそうだというわけではありませんが)。

 女の子としての自意識が未発達なもんですから、そういう時に少女マンガなんて女の子臭のするものを見せられると気持悪いのです。そんなわけで、多分私は、女の子の現実がちっとも含まれてない「ジャンプ」ばっかり読んでたんじゃないかと・・・。

 少女マンガ体験が無い私にとって、触れた事のない異文化を目の当たりにしているようだった本論ですが、当時大島弓子や萩尾望都、山岸凉子を愛読していた、少女マンガ体験者には違った意味で堪らない、身震いする内容ではないかと思います。三浦しをんさんも、「橋本氏はなんでこんなに“わかる”のか?!」というようなことを、エッセイで書かれていましたし。

 橋本氏が語り、明かしていく、少女マンガの女の子たちの変身は怖ろしくも感動的でした。 

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2007-04-18

永遠も半ばを過ぎて : 中島らも

 電算写植オペレータのおれ・波多野善二
 三流詐欺師の僕・相川真
 大手出版社編集の私・宇井美咲

 ひょんな事から詐欺師・相川に居つかれてしまった波多野。相川の調子良すぎでむちゃくちゃな言動に不眠症気味の波多野は、ある日訳もわからず飲み過ぎた睡眠薬による意識混濁の中で、誰のものともわからない言葉を写植機に打ち込み始めていた。

 「永遠も半ばを過ぎた。・・・」

 波多野の打ち出した原稿で一儲けと狙う相川は、早速俄仕込みのウンチクで「ユーレイが書いた小説」の格好をでっち上げ出版社に持ち込む。編集者・美咲も加わっての詐欺はマスコミを巻き込んでの大事件に!

 詐欺師・相川の憎みきれないキャラと、胡散臭いと知りつつ彼を受け入れてしまう波多野が、ぐだぐだと落ちていくのか、浮上しているのか分からない日々を重ねるうちに、何だか事態が大変な方へと転がっていく。この感じ・・・町田康の小説の感触に通じてるような・・・。

 三流詐欺師達の言動のアホさ加減というか、可笑しさはドタバタとコメディ的なんだけど、読み終わって感じたのは、“砂時計の中を流れるさらさらした砂のような手触りの小説だな”という印象。

 印象的だったのは、写植屋として五千万もの文字を打ってきた写植屋・波多野の言葉

 「おれはね、いつも言葉に洗われるんだ。目からはいって脳を伝って、指先から流れ出て行く。~略~ ただ洗われているだけだ。おれは一本のチューブみたいなものだ。とても気持ちのいいもんだよ。」「写植屋にとっては、文学も肉の安売りのチラシも同じことで、崇高な言葉もなければ下等な言葉というのもない。~略~ 印象なんてものが残ると困るんだ。」

 こういう言葉や、ところどころに現れる作中作「永遠も半ばを過ぎて」のさらさらした感触が、ちょっと黒い笑いの成分の中でアクセントになる。

 作中、一番美しいと思ったシーン

 酒に溺れ気味に生き、「孤独というのは『妄想』だ。孤独という言葉を知ってから人は孤独になったんだ。」「人は自分の心に名前がないことに耐えられないのだ。」「私はそんなに簡単なのはご免だ。不定形のまま、混沌として、名をつけられずにいたい。」とつぶやく編集者・美咲が、波多野の「淋しい? 淋しいっていうのはどういうことだ。おれは知らない。」という言葉に、ぼろぼろと涙を流す場面。この場面が波多野の目線でそっけなく、不思議なものを見るように書かれているのが良い。 

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2007-04-14

古道具 中野商店 : 川上弘美

 おるお笑い芸人がテレビ番組で、合コンの席で女の子の気をひくためには「君って、変ってるってよく言われない?」って言うのが有効だって言ってました。これ言うと喜ぶ女の子が多いんだそうで・・・。

 
 自由人な中年古道具屋店主・中野さん、自分ルールでのライフスタイルを貫く中野さんの姉・マサヨさん、 “生きるのとか、苦手”で、“人間は、こわい”と思ってる中野商店の従業員・タケオ、そんな人たちと共に中野商店で働くひとみちゃん。

 “一般企業におつとめするんじゃなく、ちょっと浮世離れした人たちが寄り付く古道具屋で店番をしてる”とか、“「生きにくい」と思ってるわけじゃないけど、「生きていくのが苦手」なタケオが好き”・・・という位のちょっと変ってる感を持つひとみちゃんの、ちょっと地面から足が浮いているような現実臭さの無さは、“ちょっと変わってる”というポジションが好きな女の子にとっては憧れる境遇かも知れないな・・・。

 ちょっと変った子でいられる夢の空間・中野商店が閉店、いつもの面々も解散した後、“現実に引き戻される感じに困惑”しつつも、派遣社員として、正社員の女の子達とうまく距離を置きつつ企業のオフィスでお仕事をするようになったひとみちゃんに自分の姿を重ねて共感しちゃうなんてこともあるのかなぁ?

 “ちょっと変った女の子”より“叶恭子様”のほうがすごいと思うなぁ・・・憧れるなぁ・・・。 

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2007-04-11

人身御供論-通過儀礼としての殺人 : 大塚英志

 初出は1994年とある。加筆・訂正の上、「補 <癒し>としてのクマ 移行対象論」を加えて2002年に文庫化。

 ムラ社会に伝えられた民話や、それと同様の構造を持つマンガ・・・「ホットロード」「タッチ」「めぞん一刻」「トーマの心臓」の中から通過儀礼の図式を読み解き、「社会」に参加するための、また個人としての「成熟」のあり方・可能性を考察した評論。

 題材に取り上げられているマンガは、私の世代には馴染み深いもので、私と同世代の人はそれだけで興味をひかれるんじゃないかと思う。

 「通過儀礼」「成熟」ということにこだわり続けておられる大塚氏らしく、考察はとっちらかった印象がありつつも“何とか「成熟」に到るための示唆を与えたい”という熱意にあふれている。この本の先・・・“いかにして「成熟」に到るか”は個々人に委ねられた課題なのだろう。

 文庫版あとがきで著者自身~「人は共同体や国家という大きな物語と同一化しなくともライナスの毛布を抱えていけば他者と折り合い自分の居場所を見出せるのではないか。ただし事が済んだらライナスの毛布はやはりただの薄汚れた毛布であるという事実を静かに受け入れることの必要なのだが」~と本書の趣旨をざっくりと要約されている。

 「ライナスの毛布」とは、弱々しいまま世界に放り出されてしまった赤ん坊である人が現実と折り合っていく際に、共にあり拠り所とも避難場所ともなってくれるモノのことであり、上の言葉に続いて、氏のマンガの原作者としての仕事は『「ライナスの毛布」たり得る物語-読者が他者と折り合うまでの束の間の一瞬のみ愛されやがて捨てられる-』を産むための作業であるとも語られている。

 思春期-“この歌を唄っている人は・・・この小説を、マンガを、詩を書いている人は、きっと誰にも理解されない私のことを知ってくれている”“私にだけは○○の本当の姿が理解できる!”と思わせてくれるものは大概自分にとっての「ライナスの毛布」であるわけだけども、自分にぴったりの「ライナスの毛布」を手にするためには、やはりわずかばかりでも行動と努力が必要で・・・これ!と思える「ライナスの毛布」を手にするというのはそれだけで幸運なことかもしれない。この文庫の発行時からまた数年が経って、今はその毛布すら手にできず(しようとせず)にいる人が大勢いる気がするのだが・・・。


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2007-04-07

声の網 : 星新一

 「星新一のインターネット小説」と書店のPOPで紹介されていた。興味をひかれて読んでみる。そして、この小説を読んだ人の大半が口にするのではないかという言葉が、やはり頭をかけめるぐ。

 「この小説が30年以上も前に書かれていたなんて!」

 ちょっとした調べもの、銀行の振込、ショッピングの決済、健康診断や簡単な診療、忘れたくないデータの保管まで、すべて電話一本でできてしまうよう生活の隅々にまで張巡らされ、膨大な個人情報を蓄積した通信網。その網を通じてある日受話器から届けられる“声”。

 ある時はこれから起こる犯罪を予言し、ある時は誰も知らないはずの秘密を語り、またある時は死んだはずの人の声が受話器の中で蘇り・・・。

 12の章で構成されたこの小説、1つ読む毎に1枚ずつベールが剥がされ、それぞれの話がリンクし全体像が見えてくる・・・。

 自分と一本の線でつながった世界から幅広いサービスを享受しながら、その実、線の先の世界を詳しく知ってはいないということとか、“沢山の情報の集積”と“人格”との見分けがつかなくなるということとか・・・。この小説の中で起こる多くのことが現在の状況と合致する。

 “サービス”の枠を超え始めた受話器からの“声”に嫌悪と恐怖を抱きながらも、いつのまにか“声”にコントロールされることによって、人は(上辺だけの?)安定を手にし、周囲の人とバランスのとれた(まやかしかもしれない)社会に安住しようとしはじめる。

 人が本当に望んでいるものって・・・?

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2007-04-04

砂をつかんで立ち上がれ : 中島らも

 中島らもさんのエッセイはどれも面白くて読みやすい。読んでるこっちが「こんなに読みやすくていいの?」って不安になってしまうくらい読みやすい。

 「砂をつかんで立ち上がれ」は『書物』『印刷物』というキーワードを含んだエッセイをまとめた一冊。膨大な読書量を誇る(であろう)らもさん、本書にも子供時代に読んだ伝記、世界文学全集の類のもの、貸本マンガから、私など作者名もタイトルも聞いた事のないような珍本、奇本、企業紹介パンフレットまで幅広い書物が登場する。

 恐らくその読書経験から、高尚で難解な語彙も沢山持っていらっしゃるであろうらもさんが書くエッセイが、こんなにもわかり易く楽しいことがとても嬉しい。それこそ「軽いから軽いのではなくて、重い人に金剛力があってヒョイと飛んでみせるから軽々としている(らもさんが嫉妬さえ覚えるという田辺聖子さんの文章を評して書かれた言葉)」という口当たりの軽さなんじゃなかろうかと思う。

 他の方の作品の解説として書かれたものも本書には収録されているが、こうやって作品と切り離されて掲載されても、十分ひとつの「作品」として読めてしまう。

 面白い語り口の中にも、真摯なものがしっかり滲み出してくる。らもさんが“良し”とするもの、あこがれるもの、そういうものを語る口調はとてもまっすぐで、読んでいて何かこみあげるものがある。

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