2006-08-31

ニッポニア・ニッポン : 阿部和重

 阿部和重氏が「グランド・フィナーレ」で芥川賞を受賞し話題になっていた頃、本屋で平積みになっていた中から手にとって読んだ作品です。

 故郷を追われるに至った苦い体験から引きこもり生活をする少年・鴇谷春生は自分の名と同じ字を持つ鳥・トキ(ニッポニアニッポン)にシンパシーを感じている。思考の末に「ニッポニア・ニッポン問題の最終解決」計画を練り上げた春生は密かに武装し、トキが囚われている佐渡へ向かう。

 春生の言動は、現実にニュースで報道される昨今の事件を思わせるようなものもあり、どうしてもその部分に過敏に反応して「すわ社会問題小説か」とも思えたりするのですが、ちょっとひいて見てみると春生って多くの人が経験する(と思うんだけど)ダメ人間時代にデフォルメを施したキャラじゃないですか? そう思って読むと春生の七転八倒具合が「ダメな俺の青春小説」にも見えてきます。

 人の死を含む話なのであまり軽々しく断じるのも気がひけるのですが、この小説の中での死は何かの符号なのではないでしょうか。例えば取り返しのつかない失敗とか、超えられない壁とか、永遠に失ってしまったものとか。

 この小説についての解説文で「トキ=天皇=国家の象徴」というような図式を見かけたりもしましたが、この小説の中で真剣にこの図式が成り立っているようには感じられないのです。春生が「トキ・佐渡金山・昭和天皇」の間にある小さな関連性を見つけ「貴の三角形」と名づけるなんていう場面が描かれますが、それにしたって「貴の三角形」という言葉の響きが何となく格好良くて気に入ったという、かりそめの思いつき程度のものなのではないかと思えるのですが…。そういうことからも、この小説は「研ぎ澄まされた知的企みが国家の抱える矛盾をあぶりだす問題作」とかいう類のものではなく、現代の「ダメな俺小説」だと思うのは乱暴でしょうか?


 ところで、「ニッポニア・ニッポン」というと、私はさだまさしの曲「前夜(桃花鳥)」をまず思い浮かべてしまいます。朱鷺がきっと近い将来絶滅してしまうことや、どんどんと姿を変えていく日本や遠い国の戦争を憂いながらも、「自分たちのことだけで僕らは充分に忙しすぎる」と無力感や諦念とともに受け入れていくという切ない歌詞でした。

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genre : 本・雑誌

2006-08-28

ワールズ・エンド・ガーデン : いとうせいこう

 この小説が発表されたのは1991年。終焉を迎えたバブルの残骸がまだあちこちに曝されていた頃だろう。

 地上げ屋が買い上げた東京の一角に冴島章平のプロデュースによって2年間の期間限定で出現した街“デゼール(砂漠)”。イスラム教のイメージを借り、コーランの詠唱やアラビア文字を真似た落書きがファッションとして氾濫する街にはアーティスト、ミュージシャン、DJ、モデル、編集者といった、東京の刺激的な、章平の言葉を借りればインテリ・チンピラ達が集められた。

 返還期限が半年ほどにせまった街に、記憶喪失の不良者が現れる。予言ともとれる意味不明の言葉を発するその男を、デゼールのブレインの一人であるサキミは自室に住まわせる。

 男の周囲に集まる者達の中で力を帯びた「予言」は「物語」を形づくり始め、章平のプログラムを狂わせる。街の中心にあって全てお混乱に陥れる男は果たして預言者なのか、それとも悪意に満ちた詐欺師なのか。

 「何者かでありたい」者達が「自分の物語」を求めて行き着く先は・・・

***

 強い自意識を持ち、「何者かでありたい」人達が群がる“デゼール”。その“デゼール”に突如現れる記憶喪失の預言者。

 自分の価値を欲する者達は、預言者の与える役割と物語に束の間満足と高揚感を得るが、自分を何か意味のあるものとして固定しようとしては失敗する。与えられた「物語」は人を、街を更なる困難へと巻き込む。

 混乱を極める事態に向かって“何故”と疑問を発し続けることで、何とか足場を固めようとする主人公・恭一だが、「意味」は固定する前に反転し「無意味」となる。

 意味を固定しないことがいとうせいこう氏の仕事であるようだ。与えられた言葉や物語によって価値や意味が定まっていくことを、そして生きる上で必要と思われる拠り所を得ることさえ憎んでいるように見える。意味やつながりを絶ちながらも強烈に「私」を主張するいとう氏にはもの凄いスピード感がある。

本書献辞より引用・・・

私よ、私を救いたまえと祈る私だけの宗教と、その教祖であり神であり信者であるたった一人の私に。

その私に救いなどあるものかと唾を吐く私に。

・・・

 さて、このエントリの中に、私の考えたことはどれだけ含まれているか・・・。他人のテキストの拝借でない文章が一つでもあるのか。

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genre : 本・雑誌

2006-08-20

遠臣たちの翼 : 赤江瀑

 私に「赤江瀑」という名前を強烈に印象づけた作品。能の巨人・世阿弥に魅入られた人たちの美しくも悲劇的な、そして皮肉な行く末を描く連作。ある者は余人の窺い知ることのできぬ境地に至り、ある者は深い迷いの道に堕ち・・・。

「元清五衰」
 活躍を期待された中央演劇界を捨て、世阿弥と同じ「元清」という名を負って自らの芸の道を進む泉村元清。能の「砧」に材を取った彼の一人芝居「打てや打てこの砧」は日に日に研ぎ澄まされ、芸の高みを極めていくが・・・。

「踊れわが夜」
 文壇の古参・高任大汐に「世阿弥」を見た若き前衛舞踊家・泰朝。交流を深める高任の一家と泰朝だが、高任家に渦巻く悪意が語られた時、不可解な悲劇が。

「春眠る城」
 幼くして両親を失い、故郷を離れた邦秋は、生家の記憶を元に「平家蟹の棲む家」の童話を書く。童話作家になる気などなかった邦秋だが、平家蟹の童話発表後にふとしたきっかけで出会った「花伝書」。世阿弥の花を夢想する彼は、夢に迷う。

「しぐれ紅雪」
 人気の若手歌舞伎俳優、仲村七之助と芳沢君太郎には何人にももらさぬ秘密があった。君太郎・七之助が演じる「累」の怪しい魅力と、それによって運命を狂わせる一人の女性。

「日輪の濁り」
 ひたすらに世阿弥をあがめて生きる旧家の女性三代。いつしか萌す小さな悲劇の種。

 
 独特の香気と粘度を持つ赤江氏の言葉は、登場人物たちの狂おしい心理を濃密に描くかに見えて、実は深く踏み込みことはせず、表に表れた事象をなぞるに止まる。しかし、文字では書かれない、そのことによってこそ深い深い心の闇の幻想的な物語が眼前に浮かび上がってくる。姿を現すかと思うとするりと逃げ、色々な様相を見せるその書き記されない幻想譚こそがこの作品の本当の世界・恐ろしさであり、それを追うことが本作を読む真の楽しみであると思う。

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2006-08-16

赤江瀑

 「遠臣たちの翼」に出会って以来、赤江瀑のファンだ。後から考えてみると氏の作品自体はそれまでにも読んだことがあったのだが、「赤江瀑」という名前を意識するようになったのは、「遠臣たちの翼」を読んでからのこと。

 赤江瀑の短編は濃密だ。読んでいると、ねっとりと粘度の高い汗をかいているような気分になる。

 頁を開くといきなり尋常ならざる場面と対峙させられる。“っ”っと息を呑んだ瞬間に場面は転換し、時間を過去にもどして、そのただならぬ場面に至るまでの物語が語られ始める。語り手の後についてうねうねとした藪の中の細道を歩いて行くうちに、うっすらとほの暗い予感めいたものが現れ・・・歩みが速まり視界の先に冒頭の場面が見えるかという時、突然夢が絶たれるように物語は終わる。瞬間我に帰ると、そこは断崖絶壁の突端。踏み出そうとしていた足の下は底も見えないような崖・・・。

 非常に言葉足らずではあるが、これが赤江氏の短編を読む毎に感じる感覚。

 赤江氏の短編は日本の伝統芸能や土着の風習を題材にとられたものが多く、常軌を逸した情念や執着に囚われた人を繰り返し描いている。過剰な思いをあからさまに現す人物には胸が苦しくなるが、それよりも、さらりと普通の生活をしているかに見える善人が、ふと逢魔が時に鬼に会うように、ちらりとのぞかせる狂おしさが非常に怖い。

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2006-08-11

自殺されちゃった僕 : 吉永嘉明

 「あっちの世界に行ってしまった人」に興味が持てない。自分だけの世界に行ってしまった人に共感のしようがないし、彼らだって人の共感などにはあまり興味がないから行ってしまったのかもしれないし。一方「あちらの世界に行きたいのに、行くことができずにじたばたしている人」には気持ちを動かされることがある。

 ねこぢる、青山正明氏、妻である巽早紀氏・・・友、兄のようにも思う先輩、最愛の人をたてつづけて自殺で失った吉永氏の手記。青山氏、巽氏、吉永氏はともに編集者・ライターであったそうだが、私は彼らの作品についてはいくつかタイトルのみ知っているという程度で触れたことがない。ねこぢるについても同様。いずれも私からは随分遠い人たちだった。人とは違う感性を自負し、人との関わりに関してはある意味不器用で(うまい言葉がみつからない。人との関わりの中での自分より、自分だけが見ている自分に重きを置いた人とでも言うか)しかも自分の望むままに自ら命を絶ってしまった人たち(あくまでも本手記からの印象・青山氏の場合は多少事情が違うようだが)に私は何の共感も持ちようがない。ただ酷い苦しみを味わいながらこちら側に残る決意をした吉永氏には何かしら気持ちが動く(決して共感ではないのだが)。

 2004年に発表された手記に大幅な加筆・訂正をして出版されたものらしいが、文章はところどころ壊れている。

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theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

2006-08-04

西炯子を読んでいた青春時代

 昔読んでいた西炯子氏のコミックを、懐かしさのあまりブックオフで再び購入して以来、何度か読み返している。今手元にあるのは「僕は鳥になりたい」「9月-September」「もう一つの海」の三冊。昔はもっとたくさん持っていたのだけど・・・。

 「僕は鳥になりたい」には作家志望の高校生、「欲望という名の自転車」には漫画家志望の大学生が出てくるのだが、二人とも夢かなわず公務員になったり、会社の営業マンになったりしている。そして昔夢見たものと違った形で大人になっていることが不幸であるようにも見えない。愛しき日々の思い出は残してきているのだろうけれど。 

 「夢は強く願っていれば必ず叶う」「叶わない夢もある」どちらが本当なのだろう。夢が叶わないまま死ぬまで追い続けたとしたら、それは夢破れたのではなく、夢の途中だったことになるのかしら?

 最初から夢を持っていなかった、夢が終わったことに気づいていない、夢を見ていたことを忘れた、人間いろいろあるわけですが・・・。私の夢は何?と自問してみると・・・何も無い。がっくりである。不幸を味わうことなく一生を終わりたいってのは夢じゃないしなぁ。

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2006-08-01

一人で暮らす理由 : 西炯子

『9月―september』  西 炯子 収録 「一人で暮らす理由」

佐々木「四六時中読書されているんですね。」「どうしてそんなに読むんですか?」

嶽野「自分の中になんにもないからだろうね」

佐々木「何千冊もよんでらっしゃるのに? 仄聞してますよ先輩方から」

嶽野「逆・・・読めば読んだだけ自分はからっぽになるね


 読書を趣味としていますが、本を読みながらいつも頭の片隅にあるのが、西炯子さんの「一人で暮らす理由」の中で交わされる上記の会話。

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