2006-07-20

天使の骨 : 中山可穂

“薄汚れた羽を持ち、俯いた天使たちがつきまとう・・・”

 芝居に生きる激しい女性・王寺ミチルの物語「猫背の王子」の続編。

 芝居の為であれば何でもする。それが自分を損なうことであっても、人の気持ちを、体を踏みにじることであっても・・・。芝居はミチルが背負った業。その業の為に前作では信頼する仲間に去られ、恋する人も劇団も失い絶望の果てに魂まで疲弊しきってしまったミチルが“ぼろぼろの守護天使たち”に追われるように長い旅にでる。本作ではその長いヨーロッパ各地をさまよう旅の中でのミチルの再生が描かれます。

 旅の途中でミチルが出会う人達がどれも皆優しい、悪意のない、正直な人ばかり。ミチルさんが出会うのがそういう人達で良かった。彼らの言葉に導かれて、次第に自分を見つめる目を取り戻すミチル。前作「猫背の王子」では主人公ミチルの一人称で話が進みながらも、どこか物語の中に俯瞰の目線を感じていたのですが、本作ではミチルの目線がもっとストレートに書かれていて(それでもやはり前作同様、適度な抑制が効いているのですが)、その分つい感情移入してしまうようになり、読みながら何度かボロボロと涙してしまいました。

 もう一度芝居に戻ってくる力を得て、新たに得た大切な人と自分のあるべき場所に帰ろうとしているミチルを祝福せずにはおれない本書のラストですが、もしこの先物語が続いて彼女がまた茨の道を歩むのかと思うと、それを見るのは辛い気もする。
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theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

2006-07-15

猫背の王子 : 中山可穂

 中・高一貫の女子校という女の園のまっただ中で10代を過ごしていた頃、仲の良い友人が演劇部に誘われ、学園祭で上演する芝居にスタッフとして参加していたことがあります。学園祭の出し物といっても、当時演劇部でリーダー的な役割をしていた人は真剣に将来演劇の世界に入ることを考えていて(その彼女、大学卒業後は某有名劇団のスタッフとなっていました。)けっこう本格的な芝居作りを目指しており、学園祭前の何ヶ月間かは私の友人も制作にのめりこんで、あまり私にかまってくれず寂しい思いをしたものです。高校生の頃にそんな「おいてきぼり感」を味わったおかげで“芝居”という言葉に漠然と敵意を感じているのですが・・・。この小説の主人公・王寺ミチルは、この小説が発表された1993年にはきっと「アブナイ」という形容詞がついただろうと思われる小さいが熱狂的なファンを持つ劇団の主宰者で、芝居に命を賭ける少年のような女性。「芝居」というキーワードを持つこの本を手に取った時、今は青臭い思い出となっている10代の頃の小さな傷のことを思い出しました。

 淫蕩な同性愛者でもあるミチル・常軌を逸した芝居へののめりこみよう・・・非常にエキセントリックな個性を持った人物であるだろうし・・・そんな主人公の“突出した・独特な個性”を売りにして押し出した作品であったら嫌だなと危惧していたのですが、それは杞憂に終わりました。ミチルは自分の嗜好・欲望・言動すべてにおいて非常に自覚的であり、ちょっと特異ともいえるキャラクターを持った自分自身のことをことさら特別なものとして主張することも、もちろん卑下している風もなくフラットに受け止めているように見えます。この主人公ミチルのフラットな目線があるために、スキャンダラスで刺激的な要素で溢れていながらも適度な抑制が効いており、そういった抑制が効いているが故にミチルの芝居に対する、恋するものに対する、生に対する切実な気持ちがじんわりと感じられてきます。

 人間関係を築く上で人はそれぞれ自分なりの距離感というものを持っていると思うのですが、この小説は私には主人公とちょうどよい距離感を持って読める作品でした。著者によるあとがきには「これは私の青春への(芝居への)訣別の辞です。劇場という祝祭の現場から遠く離れて、五年以上もたってからはじめて、わたしは恥じ多き自らの青春の葬式をすることができたのです。」とあります。この小説が読者との間に持つある種優しい距離感は、著者が五年以上の時間をかけて自らの青春に別れを告げる間に生まれたものなのかもしれません。

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

2006-07-09

月魚 : 三浦しをん

 古本屋の佇まいが好きです。間口の狭い店内、稀少本を飾ったガラスケース、天井まで届く棚にぎっしりと並んだ本。お客はそれぞれ黙々と自分のお目当ての本を探していて、古本屋の中では時間を忘れてとっても落ち着くことができます。

 現実の古本屋がどんなものであるかは置いておいて、時間的にも空間的にも現実を超越しているかのような古本屋の佇まいに別世界とかファンタジーとかいったものを感じる人は多いのではないかと思います。古書業界に身をおく二人の青年を主人公にした3編の小品が収められた三浦しをんさんの「月魚」はそんな別世界の香りに満ちています。

 ~「水底の魚」「水に沈んだ私の村」「名前のないもの」~

 老舗の古書店を営む父子三代。古書業界で確固とした評価を得ている祖父と、その祖父に素質を認められ愛される少年に対し、自分の才能に引け目を感じる父の屈折。危うかった家族はある事件をきっかけに完全に壊れてしまい、登場人物皆の心それぞれにぬぐえない傷と、密かな罪の意識を残している。

 確執・断裂・罪の意識・執着といった主人公やその周囲の人たちの抱える一見ネガティブな感情をスパイスとして効かせながら、この小説が中心に描くのは主人公の青年二人・・・本田真志喜と瀬名垣太一の間のほのかな同性愛的な思慕。結局はただそばに居たい、居てほしい・・・穢れることのないこの願い。この穢れなき一点に読者の女性たちは現実逃避的な快感を得るのです。

 月、池の中をよぎる黒々とした魚の影、月光の中で鮮やかに跳ねる魚・・・こんなイメージが物語全体を覆う。うっすらと紗がかかったようにあくまでも静かなトーンで語られる物語は、主人公の青年二人の造形の美しさもあいまってガラスケースの中に入れておきたいくらい繊細で綺麗。ファンタジーだよなぁ・・・とは思うけれど、時には日常の垢をこんな小説で浄化してみるのも心地よい。

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

2006-07-03

くもはち 偽八雲妖怪記 : 大塚英志

 明治の終わり、売れない怪談作家の「くもはち」と、さらに売れないのっぺら坊の挿絵画家「むじな」のもとには、妖怪がらみの奇妙な事件が次々と舞い込んでくる。夏目漱石、柳田國男、田山花袋ら実在の文学者も登場し、虚実入り乱れて展開する妖怪話を「くもはち」「むじな」のコンビが捌く。

 のっぺらぼうの「むじな」は“顔を無くしてしまう程”世間との関わりも、自分というものの認識も、他人からの関心も薄い人物。世間から消えてしまいそうな、いるのかいないのかも判らないような「むじな」の前に、風変わりな男「くもはち」が突然現れた上、この影の薄い「むじな」を何かにつけ必要とし、引っ張りまわす。

 「むじな」の都合を全く無視したような「くもはち」の行動であるが、当の「むじな」にしてみれば「くもはち」と過ごした日々は『彼の影に隠れる形で程々に世界と関われた』・・・「むじな」なりの世界との蜜月だったようだ。

 してみれば、「くもはち」とは「むじな」にとっての“ライナスの毛布”であり、この物語も、大塚氏がその著作でしばしば語っておられる「通過儀礼の物語」の要素を持っているわけだ。

 しかし、私にとっては物語の内容や通過儀礼云々のことは割りとどうでも良いことで・・・この物語が私の心を捕らえた訳は別のところにある。

 語り手である「むじな」はこの物語を語り始める前に、今は顔を取り戻していること、そして「くもはち」はすでに自分のもとから去ったことを明かしている。「くもはち」を必要とした時間は終わって、今はおそらく「くもはち」が導いてくれた新しい世界にいる。その世界に到る道々、「むじな」が捨てたもの、「むじな」を去ったもの・・・。

 おそらく、新しい世界の中で「むじな」は不幸ではない。ここに来るまでに彼が捨てたものは、捨てるべくして捨てたもの。去ったものは去るべくして去ったもの。今更、過去の日々に戻りたい訳ではない。しかし、かつて共にあった愛しいものを想うときの懐かしさ・・・喪失感にも似た切ない懐かしさが私の心をどうしても捕らえてしまう。

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