2006-06-24

1999年の夏休み

監督:金子修介 脚本:岸田理生 1988年公開


 この映画を見たのはもちろん1999年より前のことで、当時「1999年」という言葉に感じた世紀末~何かが終わりを迎えるという感慨は、現在、過去のものとして見る「1999年」から感じるものとは明らかに違っていたと思います。「夏休み」は必ずいつか終わってしまうものを暗示している・・・?

 萩尾望都さんの「トーマの心臓」が原作となっており(萩尾望都さんは『「トーマの心臓」とはテーマが同じではないので“原作”というより“翻案”と言った方が良いだろう』と何かでコメントされていましたが)、少年の役を女性が演じ、そこに別の声優さんがアフレコするという手法で撮られています。

 舞台は森に囲まれた全寮制の学院。夏休みになって、帰るところのない3人の少年、直人・和彦・則夫だけが残されている。学院では「悠」という少年が湖に身を投げて死ぬとい事件が起きており、このことが寮に残る3人の少年たちの心に屈託を残していた。ある日夏休み中の学院に一人の転校生がやって来る。少年の名前は「薫」、彼は死んだ少年「悠」にうりふたつだった。「薫」の出現で直人・和彦・則夫の心の影が徐々に露わになり、一見平静だった生活が破綻し始める。・・・和彦に思いを寄せていた「悠」とだぶるようには和彦を道連れに湖に身を投げる「薫」。和彦は直人たちに助けられ命を取り留めるが、「薫」を見つけることはできなかった。

 再び3人での生活が始まったある日、「悠」と「薫」にそっくりの少年が学院にやってくる。今度は笑顔で少年を迎える直人・和彦・則夫。

  らせんを描くように繰り返される少年の日・・・この夏休みはいつ終わるのだろう。

 世界から切り離された少年達・・・内面の世界を見つめている彼らは、外の時間にしばられることなく終わらない夏を繰り返す。「大人になる」ことを意識せざるを得なくなった頃見た作品だったので、何度も繰り返しながら続く少年の内的世界には羨望の念を持ちながらも、もう自分にはやってこないものだなと寂しく感じたのを覚えています。
 
 膝丈パンツにガーターでとめたハイソックスという登場人物たちのファッションも、儚い少年の世界を美しく演出しています。

 この映画には大好きなシーンがあるのです。
映画の終盤で和彦が直人・則夫に語る幼い頃の思い出・・・幼い日とんぼを追いかけているうちに友だちとはぐれ一人ぼっちになってしまっていた。ふと見るとあたりはこの上なく美しい夕焼け。夕焼けはとても美しいのに、その美しさを話すことのできる人がそばにいない悲しさ、恐ろしさ・・・。バックには中村由利子の美しく切ないピアノ曲が・・・。見るたびに泣けてしまうシーンです。
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theme : 映画感想
genre : 映画

2006-06-19

ノーライフキング : いとうせいこう

『ノーライフキング』 いとうせいこう

“人気のコンピュータゲーム「ライフキング」には呪われた第5のヴァージョンがある。“
ネットワークに流れた噂が「リアル」になった時、子供たちの存在をかけた戦いが始まった。

 これまでで最も衝撃的な読書体験として記憶に残っているのがこの一冊。よく映画などで主人公がゲームの世界の中に踏み込んでしまうことがあるけれど、それに似た体験。ページを開いた途端に自分の周りに瞬時に「ノーライフキング」という別世界が立ち上がったような感覚。この扉を開けると、外では本の中と同じ物語が展開されているのではないか?っていう感じを味わった。

 ネットワークの中で広がる都市伝説をきっかけに、自分たちの「リアル」を探し始めた子供たちの物語と、そのネットワークや「リアル」を共有できない大人の姿。物語の外部にいるはずの私までをも巻き込んでしまった圧倒的な「リアル」。私はその時、まだ子供たちの側にいたのだろう。いつの間にか彼らの感じる切迫感を自分のものとして感じていた。


 

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

2006-06-15

リンウッドテラスの心霊フィルム : 大槻ケンジ

『リンウッド・テラスの心霊フィルム―大槻ケンヂ詩集』

 ある時、たまたまつけたラジオで大槻ケンヂがしゃべっていました。その時は大槻ケンヂなんていう人も、彼がボーカルをつとめている筋肉少女帯というバンドのことも知らなかったのですが、中原中也の「曇天」を語ったり、自分のラジオ番組に「猟奇のコーナー」なんか作ってUFOや精神世界の不思議をしゃべりまくる彼に、あっという間にはまってしまいました。

 自分の中にぐちゃぐちゃ、どろどろとわけもわからない色々な衝動を抱えながらそれを表現する術を持たず、自閉的で暗い少年期を過ごしたという彼が吐き出すアブナイ言葉は、“私の感性はそこらへんの人とはちょっと違うのよ!”なんて思っている(その実、見かけも中身もとりたてて秀でているものなんてなかったのですが)私のような女の子にはとっても魅惑的だったわけで・・・。(当時はそんな女の子たちがはいて捨てるほどいましたね。その中にはもちろん、本当に秀でた感性を持った方もいたでしょう。)私の青春時代には熱に浮かされたように大槻ケンヂを追いかけた何年間かがありました。

 改めてこの詩集をパラパラとめくってみると、やはり大槻さんは詩人として稀有な才能を持っていて、“普通じゃない女の子になりたかったけど、やっぱり普通でしかない”私の胸をちくちくと刺します。この“ちくちく”は自嘲的な苦味をもって、熱にうかされたようだった少女時代へのノスタルジーと、やっぱりまだどこかにある特別な感性へのあこがれを刺激して、なんとも痛きもちよく、切なく、なさけないのです。

 この詩集の巻末には、稲川方人氏、大塚英志氏による「大槻ケンヂ論」が寄せられています。一度手放してしまっていたこの詩集をもう一度買い直したのは、大槻さんの詩はもちろんのこと、このお二方の評論をもう一度読みたいと思ったからでもあります。

「いつか行ったサーカスを」 稲川方人 
 的確でしかも美しく流れる言葉で、大槻ケンヂと、私もその片隅に身をおいていた、筋肉少女帯をとりまく空間を論じる稲川氏の目線が暖かくて、それだけで大槻ファンとしてはちょっと目頭があつくなってしまいます。熱病にかかったように大槻ケンヂと筋少を追い掛け回していた時期が終わって、懐かしくその頃を思い出している今を、稲川氏の言葉は予言していたようで、なおさら心に染み入ります。

「笛吹き男のいいわけについて」 大塚英志 
 大槻ケンヂは言葉巧みに子供たちをありもしない「約束の地」へと誘う「笛吹き男」であり、しかもそのことに自覚的であるという論旨。子供たちを欺くための罪を背負った言葉・・・それが大槻ケンヂの詩であり、大槻ケンヂと筋肉少女帯に躍らされ、そしていずれそれを忘れ去っていくことは少年少女にとって大人への通過儀礼だと。氏の他の評論を読んでも感じることですが、いささか論理に強引なところはあると思います。でも、確かに大槻ケンヂや、筋少のもとを去っていくことで大人になっていった子供たちも多かったであろうことを思うと、彼の筋少での活動にはそんな「笛吹き男」としての一面も確かにあったのかなぁと思わせます。



theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

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