2010-07-14

そろそろ旅に : 松井今朝子

 駿府町奉行所同心の倅・重田与七郎、後に戯作者となり『東海道中膝栗毛』を著した十返舎一九の半生を描く長編。

 故郷を飛び出し、大阪町奉行・小田切土佐守に仕えた武士としての数年間と、大坂の材木問屋、江戸の質屋と二度の婿入りをしての町人暮らしが、田沼意次から松平定信の時代へと一変する世間の様子を背景に、大坂の人形芝居の仲間たちや、江戸の戯作者、版元たちとの交流をちりばめて立体的に息づいて描かれる。

 与七郎は若い頃からどうにも足元の定まらない男で、何処にいても何をしても、ついふらふらと彷徨いだしてしまう心はいつも旅の最中にあるようだ。反骨精神を持つわけでも、何か不満があるわけでも無いくせに、気がつくと世間の決まりごとをうかうかと踏み外している与七郎。

 良くも悪しくも世間の内で生きる人々 ~ 社会の規範に縛られた武士、浮世をしたたかに生きる町人 ~ の中で、世間の埒内におさまらない与七郎は頼りなくも自由で気楽な愛すべき人のように見える。

 しかし、世間並みであることから外れて生きるということは一方で地獄への道へとつながる不吉さと恐ろしさを秘めている。与七郎の旅の同伴者、幼馴染の太吉の大きな黒い影は、与七郎の旅が地獄の道行でもあることの象徴であった。

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2009-08-08

非道、行ずべからず : 松井今朝子

この道に至らんと思はん者は、非道を行ずべからず (風姿花伝)

 「一つの道を極めようとする者は、決して他の道に迷ってはいけない。」・・・芸道を行く者を戒めるこの言葉が、ストーリーの進行につれ、徐々に重く響きだす。


 文化六年正月、炎上した中村座の焼け跡で、一人の男の死体が見つかった。火事で死んだのではないらしいこの男の死以降、中村座では陰惨な人死にが続き、小屋を支える者たちの間にも不穏な軋みが生まれ始める。

 事態を憂う太夫元中村勘三郎。老いて尚の美しさに、圧倒的な芸の力で、一座の中でも絶大な発言力を持つ立女形・沢之丞。沢之丞の二人の息子~大人しく芸にそつのない兄・市之介に、華やかだが我侭勝手な弟・宇源次。金主、帳元、狂言作者、桟敷番に楽屋頭取、道具方に下っ端役者・・・。歌舞伎の世界に生きる人々の、窺い知れぬ心の奥底には、何が蠢き絡まりあうのか・・・。

 一つ道を定めた者の恐ろしいまでの覚悟と、そこに纏わりつく無惨な悲しみが炙り出される。

 ・・・無惨ではあっても、定めた道を外すことなく歩んだ者は美しく在ることもできた。作者の目は、そういう、道を極めんと進んだ者たちだけでなく、美しく在れなかった者、非道に迷った者の心にも静かに注がれる。その愛情に溢れた視線に、じんと胸を打たれる。

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2009-04-18

吉原手引草 : 松井今朝子

 吉原でも一二を争った名妓・舞鶴屋の葛城花魁に関る、ある事件についてお話は進みます。

 一体、葛城花魁がどんな人だったのか、その「事件」とはどういうものなのか・・・まったく分からないままに、読者は舞台である吉原の町に立たされます。

 吉原の町では、ふらりと現れたちょっと様子のいい男が、どうやらちょうど葛城花魁の話を聞いて回っているところ。この男の正体も、目的もわかりませんが、とりあえず読者はこの男の後にくっついて、次々と現れる事件の関係者たちの話を聞いていくという趣向。


 この小説の面白さは、この「話を聞く」ことの楽しさに尽きますね。

 「葛城花魁の事件」の謎を探る筋立てにはなっていますが、謎解きが物語りの主眼ではないでしょう。謎の真相は物語中盤で大体わかるようになってますし・・・。

 茶屋の内儀、妓楼の遣手、幇間に女芸者、船宿の船頭に吉原に通いつめた江戸や在郷の商人たち・・・様々な人たちが現れて、吉原の出来事と自分の暮らしを男に語って聞かせます。小気味よく、それがすでに一つの芸であるような、作られた街・吉原に暮らす人たちの語り。

 色んな視点、色んな言葉で語られる話から、多面的で多層的な吉原という街が、読者の目の前に組み上がっていく面白さ。複雑怪奇な街の息づかいが感じられるようで、スリリングです。

 最後に、話を聞き歩いていた男の正体が分かり、描き上がった絵にポンと目が入ったような清々しさで物語は終わります。読後感の良いお話でした。

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2009-02-28

似せ者 : 松井今朝子

 芝居に関わって生きる人たちの生~その切なさ、やるせなさ、清々しさを、さらりと吹き抜ける風のように描いた短編四編。

『似せ者』
 坂田藤十郎を真似た芸で人気をとっていた小芝居の役者を、二代目藤十郎として担いだ男と担がれた役者。

『狛犬』
 何かと器用な助五郎と、色白でおっとりとした広治。「てめえたちはまるで狛犬だなあ」と言われた二人の役者の胸の内。

『鶴亀』
 大坂で人気の名優・鶴助と、彼に振り回されながらもそばで見続けてきた興行師・亀八。

『心残して』
 江戸の最期が近づくなかで出会った、囃子方の三味線弾きと一人の武士。
 

 運・不運、幸せ・不幸せ、好きだとか嫌いだとか、簡単に割り切れない人生の機微。そこに注がれる著者の目が温かい。芸の世界に生きてはいるが、桧舞台の真ん中に立てるわけではない。それでも自分の芸をしっかりと胸に抱いて、顔を上げて生きようとする人たちの姿に泣かされる。

 小さな人たちの人生は、大きな世間、大きな時代の前には激しい川の流れに翻弄される一枚の葉っぱのようだ。流れにまかれる木の葉であるなら、せめて上手にくるくると回って見せようと、ほんの少しの諦めのまざった、小さな人たちが見せる意地が切なくも気持ち良い。

・・・

 『心残して』には、三代目田之助丈が登場する。南條範夫氏や皆川博子氏の小説では、美しくて、わがままで、情念と執念の人であった田之助。松井今朝子氏のこの短編では、自分の芸を自分の持てる力すべてで表現しようとした、芸に真摯な若者という印象なのだ。

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2008-05-14

仲蔵狂乱 : 松井今朝子

 芝居の唄うたいの家に拾われた孤児・・・稲荷町と呼ばれる下っ端から、江戸三座で座頭をつとめる人気役者まで上りつめた初代中村仲蔵の生涯。

 芝居という特異な世界の中で、仲蔵が嘗める辛苦が、そして芸の道を登っていく華々しい姿が、単に苦難と成功の物語として描かれるのではなく、大きく振れる人の人生の振幅の中に丁寧に描かれ、肌触りの暖かい話になっている。

 仲蔵といえば、『仮名手本忠臣蔵』の定九郎の扮装をどてらのむさくるしい山賊姿から、黒紋付の裾を端折った浪人の姿に変える工夫をした役者。これが大当たりとなって、端役であった定九郎の役が現在のような格好よく色気のある人気の悪役になったという。歌舞伎のガイド本などで目にした事のあるこのエピソードが出てくる件は、読んでてちょっと嬉しくなった。

 歌舞伎の世界の闇の部分も見せながら、著者の筆には芝居をめぐる人々への夢見るような愛情が溢れている。

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