2013-07-13

あなたの苦手な彼女について : 橋本治

『あなたの苦手な彼女について』 橋本治

 「あなたの苦手な彼女」と言うからには、「あなた」の数だけ色んな「苦手な彼女」が出てくるのかと思ったが、橋本氏の話はやはりある種の「彼女」に照準を絞った上のことで・・・

 とはいえ、「あなたの苦手は彼女」は「あなたの苦手な女というもの」ではなく、「あなた」は男かもしれないし、女であるかもしれず、「彼女」が存在するのは「あなた」の外かもしれないし、内なのかもしれない。さらには「彼女」は「女性」とも限らないかもしれない。

 「彼女」の在りよう、また「あなた」と「彼女」の関係はなぜこんなにこじれてしまったのか。その歴史的、社会的、心理的背景。自分がどこかに所属するという実感がない、または自分が所属する社会における責任を棚上げしたままに、あるいは被害者の立場をとり続けながらものを言う人の厄介さ・・・そういうものがどこに起因しているかというお話し。


 橋本氏の本としては読みやすい方なのではないかと思うが、相変わらず橋本氏の語るところの全体像は、なかなか私の視界にはおさまりきらない。広げられた問題の展開図が大きすぎるのだ。私の容量不足の脳ミソではその展開図を一度に俯瞰することはできず、部分的にちまちまと見ているうちに、自分がどこにいるのかわからなくなる。また「再読しなきゃいけない橋本治の本」が増えてしまった。

 全体像をスパッと見渡すことはできないものの、物事の本質とそれに絡みついて渾然一体となってしまっている本質以外のものを分離し、また、言葉はあるけど実態は存在しなくなっている(または実態が変質してしまっている)ものを腑分けしていく橋本氏の手並みは見事だと思う。まあ、そういうことをするから必然的に展開図が巨大になるのだけど・・・。

 ところで、「あなたの苦手な彼女」の問題の困難さについて、男が「男女平等」を考えなくてはいけない「女」が、男にとって「どうでもいい女」だからというところから話がスタートしているように思うのだけど、では、男にとってどうでもよくない女=「自分の恋愛の対象として存在する女」は今どういうことになっているんだろう?

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2011-03-09

流水桃花抄―橋本治掌篇小説集 : 橋本治

『流水桃花抄―橋本治掌篇小説集』 橋本治

 『流水桃花抄』・・・この美しいタイトル! きっと流麗な言葉で紡がれた繊細可憐な世界が・・・と期待をしていたのだけど、そこには「マタンゴを喰ったな」とかいう小品が収められており、「マタンゴ」を「またんご」と書くと更に気持ち悪い・・・とか書かれているのだ。

 意地悪くて支離滅裂で毒々しいけれども他愛なく、ありえないけど妙に生々しい、やけに鮮烈なイメージを放つ小品群。人を食ったような不思議世界に、“何だ、コレ?”と首を傾げ、目を凝らした瞬間、奇想の落とし穴にズボっと足をつっこんでいるのだ。

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2010-03-06

人はなぜ「美しい」がわかるのか : 橋本治 → 風が強く吹いている : 三浦しをん

 人が“美しい”と実感する時、そこに何が起きているのか? 又、“美しい”ものを見つけてしまう自分とは何なのか?

 数多のものが、それぞれの在りようの必然に従って存在している世界の中で、人も自分なりの必然~自分の都合に従って生きている。

 人の都合に絡んでこないもの-「関係のないもの」は、人に気付かれることなく、あたかも“無いもの”のようにして世界に存在しているが、何かの拍子に、人は自分とは「関係ないもの」が、それでもそこに「ある」のを見つけてしまう。「ある」ということを見つけることは他者との関係の萌芽であり、「ある」という発見が自分の中の「欠落」を意識させるきっかけとなることがある。

 人は、世界から自立を要請された時に、おそらく自分の中に「欠落」を生じさせ、自らの孤独を知る。意識させられた「欠落」を「寂しい」と感じさせる自分の本来的な幸福の記憶が、「憧れ」を呼び起こした時、そこに「ある」他者の発見は、“美しい”という感動になる。


 “美しい”とはそういうものであるから、美しいものに出会った時の幸福感は少し切ないのか・・・。

 
 そうやって人が見つける“美しい”の前には、“人の都合と絡んだ「美しい」”である“かっこいい”や、かつて王侯貴族という特別な存在だけが所有、体現できた“制度的な美”なんていうものもあって、なかなかややこしいのだが、途中、何度もまかれて行方を見失い、非常に苦労して橋本氏の思考の後を追いかけながら、私は三浦しをんの『風が強く吹いている』のことを思い浮かべていた。

 走(カケル)の走りに、自分にとっての“真実”と思えるものを見つけた灰二。灰二は走の走りを「美しい」と思う自分の孤独を自覚しつつ、“美しいもの”=(橋本氏曰く)『自分のあり方と連動してくれる他者』を、自分の行く先を照らす光として「強い」ということを目指した。

 『風が強く吹いている』は、橋本氏の言う「孤独と敗北と“美しい”の連関」を、そして、“美しい”が外に向かって開かれていくべき他者との関係性であることを、感動的なストーリーとして伝えてくれていた。


「風が強く吹いている」感想
http://neconohitai.blog71.fc2.com/blog-entry-275.html

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2010-01-02

風雅の虎の巻 : 橋本治

 一年ほど前に一度読んだのだが、その時はとにかく橋本氏が語る言葉の一つ一つに頭を殴られるような衝撃を受けるばかり。言葉のインパクトに気圧されっぱなしで、全体の意味なんてちっとも分からなかった。“うわっ”と思った言葉の書かれているページの端に折り目をつけてあるのだが、その折り目のつけられてるページの数が半端じゃない(苦笑)。今回は一つ一つの言葉だけに囚われることなく何とか読み通したと思うけど、やはり語られていることの全体像は理解できない。

 ・・・多分、日本における“成熟”ということについて書かれているのだと思う。人としての成熟、社会全体の成熟、文化の成熟はどのようになされていくのか。日本の近世以前、近代、戦後~それぞれの世界において、社会制度の中で人間としてプラスマイナス0とはどういう状態なのか、そこからの成熟とは・・・。制度と人との関りの中で生み出される数々の表現とは本質的にどういうものであるのか・・・。

 成熟を果たした人間の、社会の、文化の、制度からはみ出した“余り”の部分に生まれるのが、“風雅”という豊かさである・・・ということ・・・か? などと考えてみても、そのことを実感する力は私にはまだ無い・・・ということは分かる。いずれ再々読する時には、もう少し分かるようになっているといいのだけど。


 ところで、初読みの時もそうだったのだけど、話の本筋は置いといて、私の心はぐぃ~っとある人物に惹かれていってしまう。それが、本書において、その和歌の特異な表現をとりあげられた源実朝という人。

 『“関東”という田舎の制度の管理者』でありながら『個人』というものを獲得してしまった青年。“田舎”に居ながら征夷大将軍という特殊な立場故に“京都”=文化と繋がりを持ち得、“制度”とは相容れない“個人”を獲得してしまったからこそ『“田舎の親族”に抹殺』されてしまう実朝。実朝の時代の“制度”とはどういうものだったのか、“個人”とは何者だったのかを語る本書の文脈の中での、この実朝という存在。タ・マ・リ・マ・セ・ン。

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2008-12-03

江戸にフランス革命を!〈下〉-江戸のその後 : 橋本治

 寄りの目線で、「江戸」という怪物をがっちり組み止めた上巻。

 押さえ込んだ怪物「江戸」を腑分けして、その細部を明らかにした中巻。

 そして下巻・・・「江戸」という怪物が倒れた時何が起こったのかを、浮世絵が辿った道に象徴させて語る。俎上にのる「明治の浮世絵師」たちの内面・ドラマ・人生が、橋本氏の眼力であぶり出されて生々しく、読み物としてとても面白い。

 しかし、それでは私はそこから何を理解しないといけないのか、ということになると・・・「え~っと、わかんない。私にはまだ早いかな?」っていうのが正直なところ。「まだ早い」で勘弁してもらえるようなトシではないのだけど・・・実際は、ね・・・まだ力不足です。ただ、「わからない」の元が、『橋本氏がいらだちや怒りを感じている事柄・状態が、私には腹立たしくも、嫌だなぁとも感じられていない』というところにあるような気もして・・・。

 また、何年か後に読み返してみようと思うのです。

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2008-11-29

江戸にフランス革命を!(中)-江戸はなぜ難解か : 橋本治

 この江戸論、文庫本で三冊にわたっているのですが・・・かなり迂闊でユルい私は、この二巻目の中程を読んでいる頃に、タイトルの意味がやっとぼんやりと解ってきたのでした。

 「江戸」は結局、外国の力によって無理やりこじ開けられるように終わってしまった。260年にわたって蓄積され臨界点まで達していながら、結局、内側からの文化の・人々の意識の爆発として終わったのではない「江戸」を、もう一度きちんと爆発させて「今」という時点にたどり着き直そう・・・ということなのかな。

 そうは言っても、世界史の中で「フランス革命」がどういう意味のものなのか、これがまたよく解ってないので、今ひとつフィーリングを掴みかねているのですが・・・。

 52のトピックに分けて江戸の細部を解きほぐしながら、“じゃあ、その先にある現代は?”ってところをちらつかせていく。論理的に検証されていく江戸・・・読んでいるだけで、解ったような気にはなってくるんだけど、多分意図的に空けてある言葉の隙間は自分で考えろってことなんだよね・・・。

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2008-11-26

江戸にフランス革命を!(上)-江戸という哲学 : 橋本治

 約二世紀半の間、独特な時間・空間感覚の中で熟して行った過去の化け物『江戸』の正体を明かさんとする、橋本治の江戸論。
 
 『江戸』の論理、精神性、時間・時制 ~ 快刀乱麻を断つ筆運びで、ばっさばっさと『江戸』という大怪物を腑分けしていく。あまりに鮮やかな太刀さばきに、“え? 今のどうやったの?”とページを繰って読み直すことしきり。

 『江戸』に生きた人の感覚を語る上で、やはりこれも『江戸』の怪物・歌舞伎にも当然話は及ぶ。<愛嬌-または幻想する肉体><怪-歌舞伎の論理>の2章は江戸歌舞伎論としてすご~く沢山の示唆を与えてくれているような気がする。橋本氏の言葉からは、頭をガツン!とやられたような衝撃を受ける。そんな言葉に出会う度にページの端を折り曲げていたら、ほとんど全てのページに折り目がついてしまった。

 私が『歌舞伎』というものを思おうとするとき、目の前にど~んと立ちはだかってる気がする見えない壁。その壁にゴンッ ゴンッと穴をあけてくれたような橋本氏の言葉。

 以下は引用ばかりになるが、見るべき方向に向かって私の頭蓋に風穴を開けてくれたような気さえするこの言葉たち・・・読んでいてやたらと脳が興奮するのを感じる。

 『主義とか理想とか政治とか、そういうものとは全然関係がなくて、自分の生活現実でしか生きていない江戸の町人は、だから勿論、幻想とかロマンチシズムとかいうものとも無縁に生きている。でもそのくせ、江戸の町人は平気で現実を無視して生きていたりもする。』
 
 『キンキラ御殿の革命劇が終わって「あれよ、あれよ」と言う間もなく、舞台は雪の隅田川に転換し ~略~ 観客は ~略~ 瞬間の判断放棄に陥る、その瞬間を狙って岩井半四郎は平然と姿を現すのだ。姿を現した挨拶として、ほんの一瞬の流し目を観客に投げつけて。それで一切は終わる。もう“今まで”もへったくれもない。そこから先は、最早公然と許された“無関係”の世界だ。幻想とは、こんなことを可能にする肉体の別名でしかない。』

 『“色気をもった肉体”というものは、平気で現実社会の単一なる原則を逸脱してしまうものなのである。愛嬌とはそういうものなのだ。町人というものが“現実”から疎外されて、しかしそして生活現実から一歩も離れることができないままに存在しているという、そういう現実の上で“リアリズム”を演じられる“役者”というものは、そういう“根本”を持ったものなのだ。』

 (歌舞伎の時制について)『《時代》とは過去である。《世話》とは現在である。この二分法が歌舞伎の時制のもとになっている。勿論この区分に“未来”という時間は含まれない。何故ならば、未来とは“生きよう”とする人間の意志に関わりを持つものであって ~略~ 江戸の封建時代とは、ある意味で変革の意思をもつことを許されなかった時間である。 ~略~ 徳川三百年の平和の間、時間は“平和な現在”というところに固定されていたのだから、ここには意思によって生まれる“未来”などという時間が存在する筈もない』

 『歌舞伎というのは、何をやっても“所詮娯楽”というところへ平気で逃げ込んでしまう』

 『歌舞伎というものは《時代世話》という時間概念を導入することによって、すべての結末を曖昧の中に断ち切ってしまった。終着はあっても結論はない。“娯楽”というものは、実はそういうものなのだけれども、歌舞伎という娯楽は、時代世話という、最も効率よく磨き上げられた“曖昧な時制”を導入することによって、すべての構築された論理を解消してしまうことを可能にした、とんでもない平然なのである。』



 本当に引用ばかりだが、これでも随分削ったのだ。鋭く、しかも圧力のある言葉のパンチの連続に、頭がグラグラしている。脳震盪状態なので、まともな感想が書けていないのもわかっちゃいるのだがやめられない。


 『江戸』という武士が牛耳る封建社会にあって、批判精神を持つことが許されない町人の生きる日常には、何も変化・ドラマは起こり得ない。時間すら流れない。そしてドラマの起こらない日常は自明のこととして“善”である。ドラマが起こること=“悪”であり、“悪”=非日常である。

 江戸町人に向かってドラマを演じる役者には、それだから“日常”がない。ドラマ=“悪”をすべて自分の側に引き受け、観客である江戸町人の日常=“善”に頭を下げる。

 「(観客達が生きている)日常は本当に善なのか?」という問いかけは、始めから歌舞伎には欠けているのだが、いつでも“所詮娯楽”というところへ逃げてしまえる歌舞伎は、それを逆手にとってこっそりと毒を盛る。「お客様方のお姿は、まったく正しく、美しゅうございます。」などと言いながら、その“正しさ”の持つ奇怪さをお客様方に突き付けだしたのだ。“娯楽”という名に隠れて。

 橋本氏の鋭い指摘によって、歌舞伎という怪物は、ちらりとその狡猾で、怖ろしく、強かな姿の一端を見せる。

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2008-05-07

暗野(ブラックフィールド) : 橋本治

 漠然と満たされない想いをかこち、正体の解らない恐れにうっすらと脅かされる大学生・伸生に訪れる夢。夢は不可思議で凶暴な現象を伴い、日常を侵食していく。

 ごく普通の若者である伸生の夢と、眠り続ける一人の少女の夢が出会い、大いなる“開放”が起こる。街に開放され感染する伸生の夢。

 
 伸生は物語の冒頭から日常を侵す夢に襲われており、普通の大学生だという彼の人となりや普段の生活ぶりは、わずかに描かれる彼の大学での言動や独白から推測するしかないのだけど、彼が抱える正体のよくわからない不機嫌は、すぅ~っと冷たいものが肌を撫でるような感覚として解るような気がする。

 自分の身体の中に封じている「夢」を閉じ込めておく力が自分に無くなってしまったら・・・、何かの拍子に「夢」が檻を破り流れ出してしまったら・・・と考えるとかなり怖い。


 1981年に発表されたものに加筆を施したというこの小説、分類としてはサイコ系ということにになるんだろうか? どんどん先鋭化するこの分野においてはすでに古めかしい感じがする。

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2007-07-11

大江戸歌舞伎はこんなもの : 橋本治

 学生の頃からちょくちょく観てはいたんですが、中村勘太郎のあまりの素敵さに、昨年から歌舞伎熱が再燃しておりまして・・・。

 とっつきやすいタイトルにひかれて読んでみましたが、親しみやすそうな語り口とはうらはらに内容はけっこう面倒で難解なことが書いてあります。・・・というか橋本氏の話の展開のさせ方ってかなりランダムなのでついていくのが大変。

 ここで言う「大江戸歌舞伎」は文字通り江戸時代の江戸の街で行われていた歌舞伎のことで、そこのところを現代の歌舞伎と混同してしまうと頭の中がえらく混乱するので要注意。

 本書ではまず、「江戸歌舞伎」の「定式」(じょうしき=ルール)、全体を統一する枠組である「世界」、舞台上と客席の心理的・時間的距離を表す「時制」といったことが語られます。一見荒唐無稽でムチャクチャな歌舞伎の展開、設定に関する疑問や違和感は(歌舞伎初心者の私は「何で平安時代の女性が江戸の武家の奥方の格好で現れるんだ?」とか「吉原の花魁・揚巻の間夫・助六の正体が鎌倉初期の人物・曽我五郎ってどういうこと?」・・・等々、これまで沢山の疑問を抱えてきたのです。)この歌舞伎の「世界」「時制」の解釈を読むと凡そ「ふうむ・・・」と納得されました。

 「江戸歌舞伎」のドラマ構成についての件は少し難解でしたが、強く印象づけられたのは、「江戸歌舞伎」のドラマを作った前近代人である江戸の町人と、現代人である私達のメンタリティは全く異質なものなんだなぁということ。

 時代劇や時代小説で感じる一般的な江戸の町人のイメージ・・・威勢が良くて人情にあつく、シャレがわかって、自由闊達・・・そういう江戸人への勝手な親近感でもって歌舞伎に触れると大きな誤解をしてしまいそう。・・・ただ、現代的娯楽として楽しむ分にはそれで良いんだとも思うけど・・・。

 この橋本氏の江戸歌舞伎考察を読んだ上で、では現代の歌舞伎は何なのか?と考えると・・・これはまたう~むと考え込んじゃう問題。


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2007-04-21

花咲く乙女たちのキンピラゴボウ : 橋本治

 高校時代の国語の先生は、若いうちに読んでおくべき面白い本を色々紹介してくれて、この橋本治氏による少女マンガ論もそのうちの一冊だったのですが、“いつか読まなきゃ”と思いつづけてこの歳になってしまった。長い長い時を経てやっと読みました。

 長い間手が付けられなかった宿題を終えた気分ですが、自身のマンガ体験に照らし合わせて、“ああ、あれは・・・そういうことだったのかぁ・・・”なんて改めて目を開かれるというというんではなく・・・何と言うか、私にとってはまったく一つの異文化見聞でした。

 そもそも、10代の殆どを「週刊少年ジャンプ」を読んですごした私の思春期に、少女マンガは存在しないというか、少女マンガに対する思い入れがないというか、少女マンガに対する感性が欠けているというか・・・

 本論で取り上げられている少女マンガの9割方を私は読んでおらず、7割方はタイトルすら知らないという始末でした。わずかに読んだことがあるのは「ポーの一族」と「トーマの心臓」くらいですが、それも二十歳過ぎてから、古典作品を鑑賞するようなつもりで読んだのであり、私はやはり、リアルタイムで少女マンガに胸ときめかせたり、少女マンガの登場人物達と想いを共有したりしたこと無いのです。

 私が少女マンガを読まなかったのは、女子中・女子高・女子大と、10年間女の子だけの中で過ごしたからではないか、という気がふとします。13歳から18歳という大切な時期に、クラスを見渡しても女の子しかいない女子校という、現実感の一部が欠けた、隔離された環境の中で、ぽよぽよと漂っていますと、幸か不幸か、この世に男の子がいるということをだんだん忘れてしまうのですね。それと同時に自分が女の子だという意識も薄くなっていきます(みんなそうだというわけではありませんが)。

 女の子としての自意識が未発達なもんですから、そういう時に少女マンガなんて女の子臭のするものを見せられると気持悪いのです。そんなわけで、多分私は、女の子の現実がちっとも含まれてない「ジャンプ」ばっかり読んでたんじゃないかと・・・。

 少女マンガ体験が無い私にとって、触れた事のない異文化を目の当たりにしているようだった本論ですが、当時大島弓子や萩尾望都、山岸凉子を愛読していた、少女マンガ体験者には違った意味で堪らない、身震いする内容ではないかと思います。三浦しをんさんも、「橋本氏はなんでこんなに“わかる”のか?!」というようなことを、エッセイで書かれていましたし。

 橋本氏が語り、明かしていく、少女マンガの女の子たちの変身は怖ろしくも感動的でした。 

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