2012-05-12
大槻ケンヂが語る江戸川乱歩-私のこだわり人物伝 : 大槻ケンヂ・江戸川乱歩
『大槻ケンヂが語る江戸川乱歩-私のこだわり人物伝』 大槻ケンヂ・江戸川乱歩
『乱歩「東京地図」』を読んでいるうちに、数年前に放映されたNHK「私のこだわり人物伝」シリーズの、大槻ケンヂによる乱歩案内を反芻したくなり購入。しかし、「大槻ケンヂが語る乱歩」が正味60ページ(しかも、今時の文庫だから1ページあたりの文字数が少ない)というのは、なんだかなぁ。同時収録の「鏡地獄」「押絵と旅する男」「踊る一寸法師」「人でなしの恋」は確かに名作だし、好きな短編なんだけど、どれも他で何回か読んでるし・・・
私の乱歩初体験(といっていいのかなぁ?)はクラスの学級文庫にあった高階良子さんのマンガ『ドクターGの島』(原作『孤島の鬼』。小学校4年か5年の頃だったか・・・。つづいて、『パノラマ島奇談』をやはり高階良子さんのマンガ版で読んで衝撃を受け、それから乱歩の小説を読むようになった。
小学生ながら、「二十面相」シリーズには手をつけないまま、エロ・グロ・猟奇方面に突き進んでいったのだが、その頃、まだ私の心には主人公に共感するほどの暗黒は無く、描かれる世界の“普通じゃない”ことに、ただただ驚きあきれていたような気がする。
青年期の自意識に手こずり、「うつし世は夢、夜の夢こそまこと」という言葉に胸をかきむしられるようになった頃、深夜ラジオで大槻ケンヂを知ったのだ。ラジオやエッセイでオーケンが語る乱歩の世界、犯罪でしか社会との接点を持てない『愛されたいけど世の中とうまく折り合えない』主人公たち姿は、もやもやする私の心に少しずつ形を与えて鎮めてくれるようだった。
それ以来、私と乱歩の間には、ダメ人間の友・乱歩の紹介者として、また、乱歩の読み方指南者として大槻ケンヂがいる。
ん? でも、それって・・・ 関係は薄いながら“直接の知り合い”だった乱歩が、親しみは増したものの、オーケンを介した“友達の友達”に変わったってことなんじゃないかって気がしてきた。 どうなの? それ?
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『乱歩「東京地図」』を読んでいるうちに、数年前に放映されたNHK「私のこだわり人物伝」シリーズの、大槻ケンヂによる乱歩案内を反芻したくなり購入。しかし、「大槻ケンヂが語る乱歩」が正味60ページ(しかも、今時の文庫だから1ページあたりの文字数が少ない)というのは、なんだかなぁ。同時収録の「鏡地獄」「押絵と旅する男」「踊る一寸法師」「人でなしの恋」は確かに名作だし、好きな短編なんだけど、どれも他で何回か読んでるし・・・
私の乱歩初体験(といっていいのかなぁ?)はクラスの学級文庫にあった高階良子さんのマンガ『ドクターGの島』(原作『孤島の鬼』。小学校4年か5年の頃だったか・・・。つづいて、『パノラマ島奇談』をやはり高階良子さんのマンガ版で読んで衝撃を受け、それから乱歩の小説を読むようになった。
小学生ながら、「二十面相」シリーズには手をつけないまま、エロ・グロ・猟奇方面に突き進んでいったのだが、その頃、まだ私の心には主人公に共感するほどの暗黒は無く、描かれる世界の“普通じゃない”ことに、ただただ驚きあきれていたような気がする。
青年期の自意識に手こずり、「うつし世は夢、夜の夢こそまこと」という言葉に胸をかきむしられるようになった頃、深夜ラジオで大槻ケンヂを知ったのだ。ラジオやエッセイでオーケンが語る乱歩の世界、犯罪でしか社会との接点を持てない『愛されたいけど世の中とうまく折り合えない』主人公たち姿は、もやもやする私の心に少しずつ形を与えて鎮めてくれるようだった。
それ以来、私と乱歩の間には、ダメ人間の友・乱歩の紹介者として、また、乱歩の読み方指南者として大槻ケンヂがいる。
ん? でも、それって・・・ 関係は薄いながら“直接の知り合い”だった乱歩が、親しみは増したものの、オーケンを介した“友達の友達”に変わったってことなんじゃないかって気がしてきた。 どうなの? それ?
![]() | 大槻ケンヂが語る江戸川乱歩 私のこだわり人物伝 (角川文庫) (2010/04/24) 大槻 ケンヂ、江戸川 乱歩 他 商品詳細を見る |
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2011-01-19
ステーシーズ ― 少女再殺全談 : 大槻ケンヂ
『ステーシーズ ―少女再殺全談』 大槻ケンヂ
いったい何の回路が開いてしまったんだか? 何に繋がってんだかわからないスイッチをやたらと押されちゃったみたいで・・・ 色んなモノが、感情が激流になって流れ込んで、逆巻く アア、制御不能。たまらないたまらないたまらないたまらない・・・・・・・・・
あァああああああァああァあああああああああァ~~~!
奇声を発してしまいそうだ。
ステーシー化する前の少女たちは、全能感と多幸感に包まれた笑みを浮かべる。その笑顔は“もうすぐお別れ”の徴。
『お別れしても、また会えたら、それでチャラよ』
世界中で、15歳から17歳の少女たちが突然の死を迎え、人肉を喰らう屍・ステーシーとなって蘇る異常現象が起きていた。ステーシーたちは156以上の肉片になってしまうまで、銃で撃たれ、チェーンソーで切り刻まれ、石で潰されなければいけない。兄の、恋人の、再殺部隊の手によって。
おぞましく姿を変えた愛しいものを、再び動きだすことがないように、ぐちゃぐちゃに完全に再殺する。
見ず知らずの少女・詠子から押し付けられた“再殺の権利”を受け入れてしまう渋川の寄る辺なさも、狂いながら、泣きながら、笑いながら、ステーシーたちを肉片にしていく再殺部隊と、べちゃべちゃと肉片になっても動き回る少女のグロテスクなありさまも、ただ切なく、懐かしい。
ああ、また会えたね。
友達に貸したハムスターが「似てるけどよく見たら違うハムスターに変身して帰って来た」みたいに、かつて手にかけて、お別れをしたものとはやっぱり違うものだったけど。それでも、また会えた。
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いったい何の回路が開いてしまったんだか? 何に繋がってんだかわからないスイッチをやたらと押されちゃったみたいで・・・ 色んなモノが、感情が激流になって流れ込んで、逆巻く アア、制御不能。たまらないたまらないたまらないたまらない・・・・・・・・・
あァああああああァああァあああああああああァ~~~!
奇声を発してしまいそうだ。
ステーシー化する前の少女たちは、全能感と多幸感に包まれた笑みを浮かべる。その笑顔は“もうすぐお別れ”の徴。
『お別れしても、また会えたら、それでチャラよ』
世界中で、15歳から17歳の少女たちが突然の死を迎え、人肉を喰らう屍・ステーシーとなって蘇る異常現象が起きていた。ステーシーたちは156以上の肉片になってしまうまで、銃で撃たれ、チェーンソーで切り刻まれ、石で潰されなければいけない。兄の、恋人の、再殺部隊の手によって。
おぞましく姿を変えた愛しいものを、再び動きだすことがないように、ぐちゃぐちゃに完全に再殺する。
見ず知らずの少女・詠子から押し付けられた“再殺の権利”を受け入れてしまう渋川の寄る辺なさも、狂いながら、泣きながら、笑いながら、ステーシーたちを肉片にしていく再殺部隊と、べちゃべちゃと肉片になっても動き回る少女のグロテスクなありさまも、ただ切なく、懐かしい。
ああ、また会えたね。
友達に貸したハムスターが「似てるけどよく見たら違うハムスターに変身して帰って来た」みたいに、かつて手にかけて、お別れをしたものとはやっぱり違うものだったけど。それでも、また会えた。
それでもいつか
カーニバルが来て
僕と君がいて
黒い猫もいて
また会えたらいいね
また会えたらいいね
また会えたらいいね
また会えたら
筋肉少女帯「また会えたらいいね」
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2009-04-22
リンダリンダラバーソール : 大槻ケンヂ
リンダリンダラバーソール / 大槻ケンヂ
“思い出話を本にして売るなんてズルいよなぁ~”とか、“「この物語は一部フィクションです」って~、な~んか、かなり脚色してんじゃん”とか思うけど・・・やっぱり私、「もう二度とこの手の中には戻ってこない愛しき日々」っていうのには猛烈に弱いんだってば~。
バンドブームの頃に遅めの青春を迎えた、というか、ちょうどその頃に初めての一人暮らしを開始して、親元では完全に封印されていた自分の自然体を自覚し始めたんだなぁ~、私。
親の下でぴっちりと嵌められていた枠を少しずつはみ出し始めた私の耳に流れ込んできた、大槻ケンヂのしゃべる言葉、筋肉少女帯の歌。猟奇的だけど切なくて、胸をかきむしるような憧れに似た気持ちを掻き立てるその世界に、誘われるままに私はついて行ってしまった。
陳腐な話だけど、ライブ会場の高揚感に包まれている時は、「本当の自分」が解放されるような気がした。というより、普通に日常生活をしている自分が「本当の自分」だとは思いたくなかった。
今では、ここで生活してる自分がまぎれもない「自分」だという自覚はあるし、それがつまらないとも思っていないけど、“何か熱に浮かされて、夢を見ていたようだった、確かに今より熱いあの気持ちは何処にいっちゃったのかなぁ。もう、無くしてしまったのかなぁ。ホントは無くしちゃいけなかったんじゃないかなぁ~”なんて寒いような、哀しいような、懐かしいような、怖いような、泣き笑いの気持ちになることもある。
自分で筋少をみつけて、自分でついて行ったような気になってるけど、熱に浮かされるように私が筋肉少女帯を追いかけた時期っていうのは、ほぼバンドブームと呼ばれた時期と一致しちゃう。私って・・・「見る側、お金払う側」として単にブームに乗せられちゃっただけだったんだろうか? それとも偶然、私の遅めの青春とブームが重なっちゃったってことなんだろうか? どちらにしても、あの時期、筋少に会えて良かった。
「リンダリンダラバーソール」読んで、ブームの熱狂と渦の中に身を投じていた人と、それを外から見ていた者の目に映っていた風景はこんなにも違ったかと、少しばかり愕然としちゃうし、私がすがったのは、もしかしたら、オーケンがただ苦し紛れに吐き散らかしていた言葉だったかもしれないと思ったりもする。でも確かにオーケンの言葉はあの頃の私を満たしてくれた。多分、少し私の目を開いてくれた。あの日々がなければ、今の私はない。
ああ、やっぱりあの「愛しき日々」のことを思うと、感傷的になっちゃうなぁ。
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“思い出話を本にして売るなんてズルいよなぁ~”とか、“「この物語は一部フィクションです」って~、な~んか、かなり脚色してんじゃん”とか思うけど・・・やっぱり私、「もう二度とこの手の中には戻ってこない愛しき日々」っていうのには猛烈に弱いんだってば~。
バンドブームの頃に遅めの青春を迎えた、というか、ちょうどその頃に初めての一人暮らしを開始して、親元では完全に封印されていた自分の自然体を自覚し始めたんだなぁ~、私。
親の下でぴっちりと嵌められていた枠を少しずつはみ出し始めた私の耳に流れ込んできた、大槻ケンヂのしゃべる言葉、筋肉少女帯の歌。猟奇的だけど切なくて、胸をかきむしるような憧れに似た気持ちを掻き立てるその世界に、誘われるままに私はついて行ってしまった。
陳腐な話だけど、ライブ会場の高揚感に包まれている時は、「本当の自分」が解放されるような気がした。というより、普通に日常生活をしている自分が「本当の自分」だとは思いたくなかった。
今では、ここで生活してる自分がまぎれもない「自分」だという自覚はあるし、それがつまらないとも思っていないけど、“何か熱に浮かされて、夢を見ていたようだった、確かに今より熱いあの気持ちは何処にいっちゃったのかなぁ。もう、無くしてしまったのかなぁ。ホントは無くしちゃいけなかったんじゃないかなぁ~”なんて寒いような、哀しいような、懐かしいような、怖いような、泣き笑いの気持ちになることもある。
自分で筋少をみつけて、自分でついて行ったような気になってるけど、熱に浮かされるように私が筋肉少女帯を追いかけた時期っていうのは、ほぼバンドブームと呼ばれた時期と一致しちゃう。私って・・・「見る側、お金払う側」として単にブームに乗せられちゃっただけだったんだろうか? それとも偶然、私の遅めの青春とブームが重なっちゃったってことなんだろうか? どちらにしても、あの時期、筋少に会えて良かった。
「リンダリンダラバーソール」読んで、ブームの熱狂と渦の中に身を投じていた人と、それを外から見ていた者の目に映っていた風景はこんなにも違ったかと、少しばかり愕然としちゃうし、私がすがったのは、もしかしたら、オーケンがただ苦し紛れに吐き散らかしていた言葉だったかもしれないと思ったりもする。でも確かにオーケンの言葉はあの頃の私を満たしてくれた。多分、少し私の目を開いてくれた。あの日々がなければ、今の私はない。
ああ、やっぱりあの「愛しき日々」のことを思うと、感傷的になっちゃうなぁ。
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2007-09-22
ボクはこんなことを考えている : 大槻ケンヂ
ボクはこんなことを考えている / 大槻 ケンヂ
オーケンのエッセイは、新しいのが出るたびに買って読んできたけど、最初に読んだ一冊がこれだったと思う。その頃私はまだ多分に少女の心を持っていて、大好きなアーティストであるオーケンの言葉は、一つ一つが大事な心の糧+ちょっと特別な気分になれるサブカル豆知識になったものですよ。
UFOのこと、プロレスのこと、映画のこと、バンドのこと、「ブンガクな人」のこと、恥の多い青春のこと・・・おなじみのテーマで、“こんなこと考えてるんだけどなぁ”とぼそぼそ語るオーケン。自分のことを、悟ってもいないのに悟ったようなことを言う「野狐禅野郎」だと言い、ちらりちらりと自分に群がるファンや読者の方を見やりながらこぼしていってくれる、そんな「野狐禅野郎」の言葉はとてもありがたかったのですよ、彼の後ろに群がってたファンとしては。
親への嫌悪感まみれだった十代、二十歳で憑き物が落ちるように終わった反抗期を語った「家庭内透明人間と親」ってちょっといい話なんです。
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オーケンのエッセイは、新しいのが出るたびに買って読んできたけど、最初に読んだ一冊がこれだったと思う。その頃私はまだ多分に少女の心を持っていて、大好きなアーティストであるオーケンの言葉は、一つ一つが大事な心の糧+ちょっと特別な気分になれるサブカル豆知識になったものですよ。
UFOのこと、プロレスのこと、映画のこと、バンドのこと、「ブンガクな人」のこと、恥の多い青春のこと・・・おなじみのテーマで、“こんなこと考えてるんだけどなぁ”とぼそぼそ語るオーケン。自分のことを、悟ってもいないのに悟ったようなことを言う「野狐禅野郎」だと言い、ちらりちらりと自分に群がるファンや読者の方を見やりながらこぼしていってくれる、そんな「野狐禅野郎」の言葉はとてもありがたかったのですよ、彼の後ろに群がってたファンとしては。
親への嫌悪感まみれだった十代、二十歳で憑き物が落ちるように終わった反抗期を語った「家庭内透明人間と親」ってちょっといい話なんです。
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2007-06-16
神菜、頭をよくしてあげよう : 大槻ケンヂ
神菜、頭をよくしてあげよう / 大槻 ケンヂ
タイトル買いしました。「神菜、頭をよくしてあげよう」・・・このフレーズ、ぐっとくるんです。
僕は神菜を見てこう思うんですよね、きっと
世の中にはわからないことが多くて
人生には怖いことがたくさんあって
多分ちょっと“生きにくいなぁ”と思っている神菜
神菜が今よりもう少し世の中のことを理解できるように
神菜が“人生なんてちょろいわよ!”と思えるように
僕の持てる全ての力で
神菜、君の頭をよくしてあげよう
いい歳になってしまった今となっては、誰かがそういう視線を私に注いでくれているなんて・・・そんな青臭い期待なんてしちゃいられないんですが、それでも私の「一生に一度は言ってもらいたい台詞」の上位にくい込んでいるこのフレーズ。
タイトルはぐいぐいと私のせつなさのツボを押すのですが、内容はいつもどおりのおバカでトホホなエッセイです。
当初は、“30代独身男のオーケンが、若くして亡くなった友人の分もこの世を遊び尽くす”という意味を込めて、タイトルを「池田独身貴族」とする・・・というアイデアがあったそう。このタイトルで発売されていたら、果たして私は手に取ったかどうだか?
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タイトル買いしました。「神菜、頭をよくしてあげよう」・・・このフレーズ、ぐっとくるんです。
僕は神菜を見てこう思うんですよね、きっと
世の中にはわからないことが多くて
人生には怖いことがたくさんあって
多分ちょっと“生きにくいなぁ”と思っている神菜
神菜が今よりもう少し世の中のことを理解できるように
神菜が“人生なんてちょろいわよ!”と思えるように
僕の持てる全ての力で
神菜、君の頭をよくしてあげよう
いい歳になってしまった今となっては、誰かがそういう視線を私に注いでくれているなんて・・・そんな青臭い期待なんてしちゃいられないんですが、それでも私の「一生に一度は言ってもらいたい台詞」の上位にくい込んでいるこのフレーズ。
タイトルはぐいぐいと私のせつなさのツボを押すのですが、内容はいつもどおりのおバカでトホホなエッセイです。
当初は、“30代独身男のオーケンが、若くして亡くなった友人の分もこの世を遊び尽くす”という意味を込めて、タイトルを「池田独身貴族」とする・・・というアイデアがあったそう。このタイトルで発売されていたら、果たして私は手に取ったかどうだか?
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2006-09-30
のほほん人間革命 : 大槻ケンヂ
のほほん人間革命 / 大槻 ケンヂ
再読です。
「変わりたい-。『大槻ケンヂ』という、世俗のアカにまみれた希薄な精神を内包する肉塊を、さながらモスラの幼虫が成虫へと変化を遂げるかのように、全く別の存在へと変化させてやりたい。」
全く異なる存在への変革を目論む大槻ケンヂ氏が、価値観が一変してしまうような体験を通して人間革命を成し遂げようという体験エッセイ。「幻覚サボテンでトリップ」「下着パブでモテモテ」「浮遊カプセルで瞑想」「UFO-形而上の存在との接触」「盗聴」・・・人の存在を変えてしまうほどの衝撃体験! 荒行!をも“行雲流水(のほほん)”と見切ってしまうオーケン。後には何か切ないものが残る。
本書の内容はオーケンが20代後半の頃・・・つまり10年位前のもの。10年前に読んだ時はひたすら面白く、世の中をはすに眺め、俯瞰の目で自分を見つめるオーケンにこっそり共感というか、わが意を得たり!といった気持ちを感じていたと思うのだが、今読むと、オーケンと私はまったく違うということばかりが感じられる。
オーケンが“のほほん”と言いながらも、あの“困ったな~”という目で体験したことを、私はただ部屋からでることもなく“あはは”と読んだだけなんだ。
オーケンは当時、そういう読者の為の生贄だったのだな・・・なんていうと大塚英志的すぎるなぁ(苦笑)
この文庫の表紙画は石田徹也氏によるもの。先日の「新日曜美術館」で紹介された氏の絵を見て、このエッセイを読み返そうと思ったのです。
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再読です。
「変わりたい-。『大槻ケンヂ』という、世俗のアカにまみれた希薄な精神を内包する肉塊を、さながらモスラの幼虫が成虫へと変化を遂げるかのように、全く別の存在へと変化させてやりたい。」
全く異なる存在への変革を目論む大槻ケンヂ氏が、価値観が一変してしまうような体験を通して人間革命を成し遂げようという体験エッセイ。「幻覚サボテンでトリップ」「下着パブでモテモテ」「浮遊カプセルで瞑想」「UFO-形而上の存在との接触」「盗聴」・・・人の存在を変えてしまうほどの衝撃体験! 荒行!をも“行雲流水(のほほん)”と見切ってしまうオーケン。後には何か切ないものが残る。
本書の内容はオーケンが20代後半の頃・・・つまり10年位前のもの。10年前に読んだ時はひたすら面白く、世の中をはすに眺め、俯瞰の目で自分を見つめるオーケンにこっそり共感というか、わが意を得たり!といった気持ちを感じていたと思うのだが、今読むと、オーケンと私はまったく違うということばかりが感じられる。
オーケンが“のほほん”と言いながらも、あの“困ったな~”という目で体験したことを、私はただ部屋からでることもなく“あはは”と読んだだけなんだ。
オーケンは当時、そういう読者の為の生贄だったのだな・・・なんていうと大塚英志的すぎるなぁ(苦笑)
この文庫の表紙画は石田徹也氏によるもの。先日の「新日曜美術館」で紹介された氏の絵を見て、このエッセイを読み返そうと思ったのです。
![]() | のほほん人間革命 大槻 ケンヂ (1998/07) 角川書店 この商品の詳細を見る |
![]() | 石田徹也遺作集 石田 徹也 (2006/05) 求龍堂 この商品の詳細を見る |
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2006-06-15
リンウッドテラスの心霊フィルム : 大槻ケンジ
『リンウッド・テラスの心霊フィルム―大槻ケンジ詩集』 大槻 ケンジ
ある時、たまたまつけたラジオで大槻ケンヂがしゃべっていました。その時は大槻ケンヂなんていう人も、彼がボーカルをつとめている筋肉少女帯というバンドのことも知らなかったのですが、中原中也の「曇天」を語ったり、自分のラジオ番組に「猟奇のコーナー」なんか作ってUFOや精神世界の不思議をしゃべりまくる彼に、あっという間にはまってしまいました。
自分の中にぐちゃぐちゃ、どろどろとわけもわからない色々な衝動を抱えながらそれを表現する術を持たず、自閉的で暗い少年期を過ごしたという彼が吐き出すアブナイ言葉は、“私の感性はそこらへんの人とはちょっと違うのよ!”なんて思っている(その実、見かけも中身もとりたてて秀でているものなんてなかったのですが)私のような女の子にはとっても魅惑的だったわけで・・・。(当時はそんな女の子たちがはいて捨てるほどいましたね。その中にはもちろん、本当に秀でた感性を持った方もいたでしょう。)私の青春時代には熱に浮かされたように大槻ケンヂを追いかけた何年間かがありました。
改めてこの詩集をパラパラとめくってみると、やはり大槻さんは詩人として稀有な才能を持っていて、“普通じゃない女の子になりたかったけど、やっぱり普通でしかない”私の胸をちくちくと刺します。この“ちくちく”は自嘲的な苦味をもって、熱にうかされたようだった少女時代へのノスタルジーと、やっぱりまだどこかにある特別な感性へのあこがれを刺激して、なんとも痛きもちよく、切なく、なさけないのです。
この詩集の巻末には、稲川方人氏、大塚英志氏による「大槻ケンヂ論」が寄せられています。一度手放してしまっていたこの詩集をもう一度買い直したのは、大槻さんの詩はもちろんのこと、このお二方の評論をもう一度読みたいと思ったからでもあります。
「いつか行ったサーカスを」 稲川方人
的確でしかも美しく流れる言葉で、大槻ケンヂと、私もその片隅に身をおいていた、筋肉少女帯をとりまく空間を論じる稲川氏の目線が暖かくて、それだけで大槻ファンとしてはちょっと目頭があつくなってしまいます。熱病にかかったように大槻ケンヂと筋少を追い掛け回していた時期が終わって、懐かしくその頃を思い出している今を、稲川氏の言葉は予言していたようで、なおさら心に染み入ります。
「笛吹き男のいいわけについて」 大塚英志
大槻ケンヂは言葉巧みに子供たちをありもしない「約束の地」へと誘う「笛吹き男」であり、しかもそのことに自覚的であるという論旨。子供たちを欺くための罪を背負った言葉・・・それが大槻ケンヂの詩であり、大槻ケンヂと筋肉少女帯に躍らされ、そしていずれそれを忘れ去っていくことは少年少女にとって大人への通過儀礼だと。氏の他の評論を読んでも感じることですが、いささか論理に強引なところはあると思います。でも、確かに大槻ケンヂや、筋少のもとを去っていくことで大人になっていった子供たちも多かったであろうことを思うと、彼の筋少での活動にはそんな「笛吹き男」としての一面も確かにあったのかなぁと思わせます。
この大塚英志氏の解説、氏の著作である下記作品にも繋がるところがあります。
ある時、たまたまつけたラジオで大槻ケンヂがしゃべっていました。その時は大槻ケンヂなんていう人も、彼がボーカルをつとめている筋肉少女帯というバンドのことも知らなかったのですが、中原中也の「曇天」を語ったり、自分のラジオ番組に「猟奇のコーナー」なんか作ってUFOや精神世界の不思議をしゃべりまくる彼に、あっという間にはまってしまいました。
自分の中にぐちゃぐちゃ、どろどろとわけもわからない色々な衝動を抱えながらそれを表現する術を持たず、自閉的で暗い少年期を過ごしたという彼が吐き出すアブナイ言葉は、“私の感性はそこらへんの人とはちょっと違うのよ!”なんて思っている(その実、見かけも中身もとりたてて秀でているものなんてなかったのですが)私のような女の子にはとっても魅惑的だったわけで・・・。(当時はそんな女の子たちがはいて捨てるほどいましたね。その中にはもちろん、本当に秀でた感性を持った方もいたでしょう。)私の青春時代には熱に浮かされたように大槻ケンヂを追いかけた何年間かがありました。
改めてこの詩集をパラパラとめくってみると、やはり大槻さんは詩人として稀有な才能を持っていて、“普通じゃない女の子になりたかったけど、やっぱり普通でしかない”私の胸をちくちくと刺します。この“ちくちく”は自嘲的な苦味をもって、熱にうかされたようだった少女時代へのノスタルジーと、やっぱりまだどこかにある特別な感性へのあこがれを刺激して、なんとも痛きもちよく、切なく、なさけないのです。
この詩集の巻末には、稲川方人氏、大塚英志氏による「大槻ケンヂ論」が寄せられています。一度手放してしまっていたこの詩集をもう一度買い直したのは、大槻さんの詩はもちろんのこと、このお二方の評論をもう一度読みたいと思ったからでもあります。
「いつか行ったサーカスを」 稲川方人
的確でしかも美しく流れる言葉で、大槻ケンヂと、私もその片隅に身をおいていた、筋肉少女帯をとりまく空間を論じる稲川氏の目線が暖かくて、それだけで大槻ファンとしてはちょっと目頭があつくなってしまいます。熱病にかかったように大槻ケンヂと筋少を追い掛け回していた時期が終わって、懐かしくその頃を思い出している今を、稲川氏の言葉は予言していたようで、なおさら心に染み入ります。
「笛吹き男のいいわけについて」 大塚英志
大槻ケンヂは言葉巧みに子供たちをありもしない「約束の地」へと誘う「笛吹き男」であり、しかもそのことに自覚的であるという論旨。子供たちを欺くための罪を背負った言葉・・・それが大槻ケンヂの詩であり、大槻ケンヂと筋肉少女帯に躍らされ、そしていずれそれを忘れ去っていくことは少年少女にとって大人への通過儀礼だと。氏の他の評論を読んでも感じることですが、いささか論理に強引なところはあると思います。でも、確かに大槻ケンヂや、筋少のもとを去っていくことで大人になっていった子供たちも多かったであろうことを思うと、彼の筋少での活動にはそんな「笛吹き男」としての一面も確かにあったのかなぁと思わせます。
この大塚英志氏の解説、氏の著作である下記作品にも繋がるところがあります。
| 人身御供論―通過儀礼としての殺人 大塚 英志 (2002/07) 角川書店 この商品の詳細を見る |
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