fc2ブログ
2024-02-24

歌右衛門の疎開 : 山川静夫

『歌右衛門の疎開』 山川静夫

 自宅を引越すにあたって手持ちの本を整理するから~という友人の好意に甘えて譲りうけたもの。もともと古本で入手したものとかで、頁の端は茶色く焼けていて、手に取るだけで、ちょっとノスタルジックな気分が湧いてくる。

 そして頁を捲るごとに見えてくるのは、セピア色の画面に浮かぶ、懐かしく、慕わしき人々の姿。

 戦火を避けて身を寄せた湯田中の旅館で、桜の花びらが舞う中を逝った十五世羽左衛門。辺り一面の火の海の中を命からがら逃げまどい、坊主頭に国防服で疎開先での日々を過ごした歌右衛門。三代目猿之助の劇しい(はげしい)生き様。それぞれの芸の道に身を捧げた名人たち。

 華やかで美しいばかりではない、どうにもならない苦しみもあった過去の時を生きた先達や、同じ時間を過ごした芝居狂の仲間たち ~ 過ぎていく月日や去っていくものたちへの敬意と愛情に溢れた言葉。著者の愛したものたちの姿が、少しの苦みと寂しさを含んだ明るみの中に浮かび上がる。
スポンサーサイト



theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

2024-02-11

有栖川の朝 : 久世光彦

『有栖川の朝』 久世光彦

 久しぶりに久世氏の小説を読む。

 久世氏の書くものは熱っぽく湿って少し悲しく、見すぼらしくて哀れだけれども色っぽい。
 
そこに見えるのが夢という嘘の世界だと思っても、嘘こそが本当なんだよ。

 一時、ワイドショーを騒がせた実在の事件を題材に久世氏が描いた、一日限りの壮麗な『嘘』を目論んだ一人の老女と一組の男女の人間模様。

 妾として長年暮らし年老いた「お月さん」。父親の短慮から「安間安間」という妙な名前になってしまった大部屋俳優の中年男。とんでもない美貌の持ち主だけども何だかぐにゃぐにゃした「華ちゃん」。京都有栖川生まれの安間に「有栖川識仁」を名乗らせ、華ちゃんに華麗な十二単を着せて華やかな結婚披露の宴を開き、何がしかのご祝儀も頂戴しようというお月さんの企み。

 捕った魚をわざわざ平たい石の上に並べて見せびらかし、それで我が身を滅ぼしてしまう川獺のように、愚かな事とは薄っすら自覚しながら、知恵と見得の限りと少しの夢をつぎ込んで『嘘の祭り』の準備をする三人。彼らに注ぐ月の明り、朝の光はただ美しくそこにある。

 お月さんは、安間や華ちゃんは、塗り固めた嘘の中にどんな本当を見ていたのか。

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

2024-01-27

月と散文 : 又吉直樹

『月と散文』 又吉直樹

 又吉さんの言葉への感受性の鋭さとこだわりがぎゅうぎゅうつまった一冊。

 「鋭さ」とは言ったけど、それは鋭利なナイフの切れ味というよりは、鉈でザクっといく重さを含んでいて・・・。

 さて、ここで、「ナイフ」じゃなくて「鉈」だと感じたってのはどういうことなのか書かなきゃいけないわけだけども、そのためには、又吉さんの言葉を何度も読み直しながら、自分が何に反応して何を感じているのかを精査し、「ただ、何となくそう思った」ことを全て言語化できるとこまでクリアにしていかなきゃいけない。いけないんだけども、今はそこまでのやる気が出ず、ここで投げ出す。

 又吉さんのような言葉への感受性や、とめどなく空想し、絶え間なく考え言葉を発し続ける「お喋りな脳」に憧れる気持ちはもちろんある。でも、それは、私にとっては「都心の一等地に高層ビルを持ってる」とか、「地元に広大な山林を持ってる」みたいなもので、正直、手に余る財産であるような気もする。


 この本のわりと最初の方に、読書感想文への向き合い方についての一文がある。読書感想文を書く、または本を読むにあたって、感想文を書く、本を読む主体なり視点なりをどう設定するか。そこから意識して本に向き合ってみると、自分の主観以外で本を読む可能性が広がってくる! いや、読書にそういう可能性があること、気づいてなかった! これは難しそうだけど、一度チャレンジしてみたい。

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

2024-01-13

津軽 : 太宰治

『津軽』 太宰治

 三浦しをんさんの本読みエッセイ『本屋さんで待ち合わせ』を読んで、「ああ、私も太宰の『津軽』を読んで身悶え、のたうち回ってみたい。」と思ってからもう何年になるんだろう。私は「読みたい」と思ってから実際に読むまでにものすごく時間がかかる。そして、まあ読んでみると、のたうち回るほどではないけれど、何かしら「ああ・・・」と身を捩りたいような気持にはなるわけで・・・。むやみにザワつかされてしまった気持ちを持て余している。
 
数年前、私は或る雑誌社から「故郷へ贈る言葉」を求められて、その返答に曰く、
 汝を愛し、汝を憎む。


 誠実さも善良さも、ちょっとした洒落心も、人を愛し、人に愛され、人に尽くし、人から敬われる立派な人でありたいと思う健気さも、たっぷりと持ち合わせていながら、人の・・・なにより自分自身の内にある「欺瞞」というものに敏感すぎるが故ににっちもさっちもいかなくなって、ちゃぶ台をひっくり返す人。

 愛憎相半ばする自分のルーツ~故郷への旅を前に、期するものもあるのだろうが、故郷への思いや、旅をする自分の心持ちを殊勝らしく語ったかと思うと、次の行ではもう自分の言葉に疑いの目を向けて「だらしない感傷」だとか「いい気な独り合点」だとか「嘘を言ってることさえある」なんて言っちゃうのだ。その様子はなんだか、来客を迎える為にせっかく整えたちゃぶ台を「こんなの本当のもてなしじゃない! ウワーっ!」と言ってひっくり返し、ひっくり返してから「や、、、、これは」と頭をかきかき元に戻して、つまみを乗せたお皿や小鉢なんかも改めて並べ直した端から、また「ワーっ!」と言ってはひっくり返してるのを見ているようで。「コントか」と可笑しく思う一方、何もそこまでキリキリしなくても・・・と溜息が出る。
 
 そんな太宰を故郷の町々で迎える友人、知己たちは、戦時中の物資の乏しい中にあっても、何とか酒を調達し、地元の名物を振る舞って歓待するんである。「良かったじゃん。歓待されてるじゃん。」と頬がゆるむ。「そんなに酒飲む必要ある?」とは思うけど。

 そういう人たちと故郷でのひと時を共にして、太宰も、尾頭付きで塩焼にしてもらうつもりだった二尺の鯛を頭も尻尾もない五切ればかりの切り身に料理されてしまったことにしつこく憤慨して見せるような他愛なさを見せたりする。

 でも、旅を締めくくって言う『私は虚飾を行わなかった。読者をだましはしなかった』というこの言葉は本当なんだろうか? 例えば、友人としたたか飲んだ翌朝、竜飛の宿の寝床の中で可憐な童女の歌声を聞いて感じた『たまらない気持ち』。それは本当に、童女が歌う手毬唄の、美しい発音の爽やかさに、『風景』とも言えぬような、ただ恐ろしいばかりの岩石と水の景色を持つ本州北端の地に射す『希望に満ちた曙光』に似たものを感じた、そういう『たまらない気持ち』だったんだろうか?

 そして何より、最後の一行はズルい、切ない、、、 これまでのことは本当なのか嘘なのか、騙されたのか、そうでないのか、そんなことは何か、もう、関係ない! 好きになってしまうだろうが!


『本屋さんで待ち合わせ』感想・・・http://neconohitai.blog71.fc2.com/blog-entry-619.html

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

2023-12-23

グッド・バイ : 太宰治

『グッド・バイ』 太宰治

 森見登美彦氏が太宰の傑作選『奇想と微笑』を編んで、『これはもう恐怖小説である』と言った、その気持ちがちょっとわかる。

 よくぞまぁ、ここまで書ききったと思うほどの「男女同権」の女たちの意地悪さ、恐ろしさ、悪辣非道ぶり。「冬の花火」「春の枯葉」二つの戯曲で容赦なく暴かれる剥き出しのエゴと無惨な現実の有り様。「饗応夫人」は物凄いと聞いてはいたけど、「世にも奇妙な物語」か「魔少年ビーティー」かというホラー展開。ちょっとした親切心をおこしたばかりに、毒虫のような男とその仲間たちに屋敷を乗っ取られ、それでも尚、病的な饗応癖を発揮しておもてなしに奔走し、遂には・・・

 「ギャー」「ウワァー」と心の中で叫び、皮膚を粟立たせながらも、指の隙間から目を見開いて見ずにはいられない。

 戦時中の苦難の中で人の親切に触れた心温まるいい話風に始まった「たずねびと」。家を焼け出され、故郷へ疎開をしていく道中で、哀れななりをした自分たち一家に親切をほどこしてくれた若い娘さんに、雑誌の誌上をかりて呼びかける感謝の言葉とみえていたものが、最後にぐるりと血のにじむような一言に変わる。まさに、最後の一行でゾッとする系の恐怖小説である。

 こういう怖い話を立て続けに読んだ後では、或る雑誌の編集者から「浮浪者を見に行きませんか?」と上野の地下道に連れていかれ、なぶられていると感じながらも、「浮浪者は皆、端正な顔立ちをした美男子ばかりだ」とうそぶく「美男子と煙草」が悲痛だけども爽やかだとさえ感じられる。


「薄明」
「苦悩の年鑑」
「十五年間」
「たずねびと」
「男女同権」
「冬の花火」
「春の枯葉」
「メリイクリスマス」
「フォスフォレッセンス」
「朝」
「饗応夫人」
「美男子と煙草」
「眉山」
「女類」
「渡り鳥」
「グッド・バイ」

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

2023-12-09

あの日、松の廊下で : 白蔵盈太

『あの日、松の廊下で』 白蔵盈太

 主人公は、あの日、松の廊下で吉良上野介に斬りかかった浅野内匠頭を「殿中でござる」と抱きとめた梶川与惣兵衛。

 朝廷からの勅使饗応という年に一度の大イベントに向けて動き出した江戸幕府。高い教養と私心のない高潔な人柄で質の高い仕事をする吉良上野介と勅使饗応の経験者でもあり情に厚く面倒見の良い浅野内匠頭の二人がいれば、今年の勅使饗応はすんなり上手くいくと思われた。それがなぜ、あのような結果に終わってしまったのか。梶川与惣兵衛は運命のあの日に至る数か月の時を振り返る。

 与惣兵衛が振り返る日々の中には、遂には死者を出してしまうほどに健全な機能を失ったダメな組織の有り様が浮かびあがる。現場の状況とは乖離した正論を吐く上の方の人。責任とりたくない責任者。無能だがプライドは高い上司。トラブル予測と問題解決能力に難のある現場担当者。頑張りどころがずれてる作業スタッフ。すれ違いつづけるコミュニケーション。

 「いったい、自分はどこで間違ったのでしょうか」 尊敬し敬愛する二人を亡くし、与惣兵衛は「あの日」の日記を抱きしめて泣く。

 
 時代ごとに人の心を映して語られてきた『忠臣蔵』の物語。これは、今の時代に組織の中で日々心身を削りながら、それでも最良の結果を求めて健気に働く平凡で善良な人々の為の『忠臣蔵』。

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

2023-11-25

金色の獣、彼方に向かう : 恒川光太郎

『金色の獣、彼方に向かう』 恒川光太郎

 恒川光太郎の語る怪異はいつも私の予想を裏切り、越えてくる。今作に語られる「神」も、私のイメージする神というものの姿とは何か異質なものだった。

 蒙古の襲来とともにこの国に渡って来た異神。神の力と繋がる金色の獣。人々の虐殺から逃れ、人々を虐殺し、山中に紛れ潜んで今も息づく神の力。

 金色の不思議な獣に纏わる怪異譚。神の力と人の世が出あうところに生まれるひずみ。それは人知を超えた自然現象として、超常的な知覚として人の前に現れる。

 そのひずみに触れてしまったもの、そのひずみと共に生きるもの。彼らがたどり着いた先は何処だったのか?

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

2023-11-11

漱石と日本の近代 : 石原千秋

『漱石と日本の近代』 石原千秋

 漱石の書く主人公たちを理解したい。そのために明治という時代について勉強しなきゃと思い立ち、明治維新についての新書を一冊読んでみたものの、「こりゃあんまり遠回りだ」と気が遠くなったので、今度は一気に近道を行ってみるつもりでこちらを読んでみた。漱石作品の主人公たちと彼らが生きる日本近代社会についての論考集。上巻では『坊ちゃん』『草枕』『虞美人草』『坑夫』『三四郎』『それから』を、下巻では『門』『彼岸過迄』『行人』『こころ』『道草』『明暗』をとりあげる。
 
 先行する漱石論や著者とは違う切り口での論考を多数ひきつつ、漱石作品が近年どのように読まれているか、主人公たちをとりまく環境、彼らが生きた社会はどのようなものであったか、そこから主人公たちのどのような人物像が浮かび上がってくるかを解説する。

 「坊ちゃんはなんであんなにこじらせているのか?」「生活の120%を親がかりでありながら、代助はなんであんなに澄ましていられるのか?」 『坊ちゃん』『それから』を読みながらシンプルに疑問に思っていたのだが・・・。漱石の書く主人公の多くが明治民法がもたらした家族関係の中に生きているのだということがわかって、彼らの人物像が少し飲み込みやすくなった。また、語り手の視点がどこにあるのか意識しながら読むと見えてくるものがある、ということにも気づかされたが・・・

 漱石の主人公たちを理解する近道になることを期待したものの、漱石作品をしっかり読み込んだこともない私に、一読しただけでこの論考の内容を腑に落ちるレベルで理解すること自体がちょっと無理な話だった。もう少し漱石作品を読んだ上で再チャレンジしたい。それに、読者として作品を読むことと、研究者として作品を読むことには何かしら求めるところに違いがあるようにも感じた。漱石の主人公たちにはやはりもう少し遠回りしながら近づいていきたいと思う。

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

2023-10-28

江戸東京の明治維新 : 横山百合子

『江戸東京の明治維新』 横山百合子

 『坊ちゃん』『三四郎』『それから』『門』と夏目漱石の小説を読んで、ちょっと明治という時代のことを勉強せねばと思ったので、まずは手軽に読めそうな新書から。

 『三四郎』の中に「明治十五年までの生まれの者とそれ以降の生まれの者ではものの見方、考え方が随分違う」というような台詞があったと思うが、本書はその明治十五年頃までにおきた江戸から東京への変化を数々の史料から読み解いていくもの。

 幕府の瓦解によって人口が激減した江戸の都市空間をどのように再編したのか。江戸時代の身分による統治に代わる新たな統治の形をどのように模索したのか。これまで生きていた秩序がゆれ動く中で生まれる矛盾、軋轢・・・その中で自ら生きる道を切り開こうとした人々の生の痕跡が史料の中から掘りおこされる。

 近世における「身分」とは何かということを解説した一節があり、これまで漠然としかとらえていなかった身分という言葉の輪郭がややクリアになった。
『同じ職分の人びとの集団が、何らかの公的役割を担うことによって社会的に認められ、身分が成立する』

『それぞれの集団は、自らの生活や生存を維持する職分について、何らかの役を負うことで社会的に特権を認められ身分を形成するのである。一方、幕府や藩もそれらの身分に一定の自律性を認め、身分に依拠して支配を行った。』

『士農工商賤民という基幹的な身分だけでなく、芸能者や宗教者など、職分に応じた細かな身分集団が数多く生まれ、集団の実態に応じて身分も生成・変化してきた。』


 この本に書かれたことはほとんど、坊ちゃんや三四郎や代助が生まれる前~生まれて間もない頃、彼らの親世代の出来事だろう。漱石の主人公たちにたどりつくまで、まだまだ道のりは遠そうだ。

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

2023-10-07

門 : 夏目漱石

『門』 夏目漱石

 『三四郎』『それから』に続き、またも恋愛問題である。私、こと恋愛に関してはまったく不甲斐ないので、恋愛きっかけで何か人生が変わっちゃうとか、正直よくわからない。『黒い長い髪で縛られた時の心持ち』なんて知らない。


 主人公・宗助はその心持ちを知る人なのだ。彼は資産家の子弟らしく得意満面、意気揚々と世間を渡る有為の若者であったのだが・・・
事は冬の下から春が頭を擡げる時分に始まって、散り尽くした桜の花が若葉に色を易える頃に終わった。凡てが生死の戦であった。青竹を炙って油を絞る程の苦しみであった。大風は突然不用意の二人を吹き倒したのである。
 
 突然の大風が過ぎ去った後、宗助は社会を棄て、社会に棄てられた。彼は生きる上での能動的な行動の一切を放棄してしまった。友人を裏切って得た妻・御米とただ二人、社会に期待することも、社会から顧みられることもない孤立と平穏の中に暮らしている。


 ・・・どうしてそうなるんだろう? 道ならぬ恋に世間は冷たかったろう。友を裏切った罪悪感は心を蝕んだろう。でも、江戸時代じゃなかろうに、愛する人と心機一転生きていくこともできなくはなかったろうに。なぜ恋を手に入れたことによって、彼らは社会的に破滅していくのだろう?

 何だかそれは時代や社会の問題じゃなく、漱石個人の恋愛観によるものなのか?という気もしてくる。漱石にとって恋愛とは何だったんだろう?



 読後、ふと、中島らもさんのエッセイ「恋づかれ」を読みたくなった。

そいつはいつも、まったく何の予兆もなくいきなりやってくる。

チャイムでも鳴らしてくれれば逃げる手もあるのだが、散歩に行こうとドアをあけると、いきなりそこにヌッと立っているのだ。アッと思ったときはもう遅い。そのへん、恋というのは、家賃を取りにくる管理人とかNHKの集金人に似ている。

そうやって恋に落ちるたびに、僕はいつもボロボロになってしまう。

極端に言えば、恋愛というのは一瞬のものでしかないのかもしれない。唇と唇が触れあう至高の一瞬、そこで全てが完結してしまい、それ以外は日常という散文への地獄下りなのだ。ただし、その一瞬は永遠を孕んでいる。

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

プロフィール

やぶからねこ

Author:やぶからねこ

FC2ブログランキング

FC2Blog Ranking

ブログランキング
にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村 漫画ブログへ
カテゴリー
最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
検索フォーム
カレンダー
01 | 2024/02 | 03
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 - -
魂に喰い込んでます
月別アーカイブ
Powered By FC2ブログ

Powered By FC2ブログ
ブログやるならFC2ブログ