2008-08-20

神々の流竄 : 梅原猛

神々の流竄(ルザン)  / 梅原猛

 出雲神話の舞台は本当に出雲の地であったのか? 出雲は古き神々が流され葬られた「神々の流竄」の地ではないのか? 出雲神話は何を隠しているのか。

 記紀に語られる神話に疑いの目を持つことで見えてくる、古代における宗教的、政治的闘争の跡。用意周到に仕掛けられ隠されたある人物の意図。

 梅原氏はどのようにしてこの着想に到ったのだろうか? 自序には以下のような文がある。 

 私は、日本古代世界について、一人の好奇心にみちた旅人に過ぎなかった。 〜略〜 
 藤原不比等の霊は、たまたまそこに通りかかった、人間と世界にたいするあくことのない好奇心をもち、 〜略〜 孤独で自由な心情にあった私に、千何百年のあいだ隠していた秘密を、ひそかにもらしたように思われた。


 哲学者として、真実に到達するためのストイックで冷徹な態度を持つ梅原氏の文章は、時にとてもロマンティックだ。先に読んだ「隠された十字架―法隆寺論」では、翼を持ったようにのびやかに駆ける氏の想像力に心を掴まれた。

 しかし、この記紀についての論文ではそういう想像力の迸りはまだ陰をひそめているようだ。著者自ら大きな衝撃を受けたにちがいないこの仮説を世に問うため、ひたすらに自説の正当性を、そこに矛盾がないことを証明するため、たたきつけるように提示される証拠の品々。自らの仮説から研ぎ出されたピースが、明らかに一つの絵となっていく様を目の当たりにする興奮のままに筆を走らせたかのような荒削りな迫力。

 氏の論文の文芸的な美しさ、面白さに惹かれる者としては、少しこの論文は荒々しすぎる。しかし、後半、記紀撰修の頃の政治的情勢に着目しながら、記紀が秘める目的、役割をあぶりだしていくあたりで語られる、ダークな色彩を帯びた不比等の超人ぶりは、読み手を魅了するに充分。


神々の流竄(ルザン) (集英社文庫)神々の流竄(ルザン) (集英社文庫)
(1985/12)
梅原 猛

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梅原猛著作集〈8〉神々の流竄 (1981年)梅原猛著作集〈8〉神々の流竄 (1981年)
(1981/09)
梅原 猛

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隠された十字架―法隆寺論 (新潮文庫)隠された十字架―法隆寺論 (新潮文庫)
(1986/02)
梅原 猛

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genre : 本・雑誌

2008-08-16

伊呂破丸―浪漫時代活劇傑作集 : 義澄了

伊呂破丸―浪漫時代活劇傑作集 / 義澄了

 勤皇の志士たち、新撰組の面々、そして赤穂の浪士ら・・・歴史の中に、生きた跡を残した若者達の間に「あったかも知れない日々」。

 過去の時の中で大小さまざまな光を放つ星たちに想いを馳せ、彼らの輝きの時間を夢想する〜ともすると、過度にセンチメンタルで、ウェットなファンタジー満ち満ちになってしまう、そういうコトを義澄了の勢いのある太めの描線は上手く中和してくれる。

 義澄了の愛情とペンによって、あまりに表情豊かに泣き、笑い、じゃれあい、飛び回る、歴史の中の若者たち。“後世の人間の感傷だよなぁ”って自覚しつつも、そんな日々が彼らの間にあったんだと信じたくなる 〜 そういう気持ちにさせてくれる秀作。

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genre : 本・雑誌

2008-08-13

赤江瀑の「平成」歌舞伎入門 : 赤江瀑

赤江瀑の「平成」歌舞伎入門 / 赤江瀑

 伝統芸能の世界を舞台とした妖艶・絢爛たる作品を数々世に出しておられる赤江瀑氏が「平成」の歌舞伎を語る。

 群雄割拠で盛況を呈する「平成」歌舞伎の現状について、当代の人気・実力派俳優の持つ花について、それぞれの芸に触れながらの解説。そしてその中から、歌舞伎の世界の側、観客の側にひそむ問題・・・懸念の種を示唆する内容になっているが、全体的に歯切れの悪い印象が残る。歌舞伎というものがそもそも歯切れよく語れるものではないのかもしれないが・・・。

 赤江氏の情念的な文章が、新書の文字サイズ、ページレイアウトで配置されると、どこか色気と言葉のパワーを削がれてしまうように感じるのは気のせいだろうか? また、「入門書」という形で歌舞伎への入り口を読者に提示することへの疑問・抵抗を感じておれれるようにもお見受けする。「鑑賞教室」や「入門書」で入り口を示すことは、それぞれの体験・感性に従って無限にも拓かれるべき歌舞伎の楽しみ方、その世界へ踏み込んでいく道を狭めることになるとの思いが、赤江氏の筆を止めているのではないか?

 やはり、赤江氏が歌舞伎について何かを書くなら小説で、その複雑怪奇で、なかなか正体を現さないその芸能が持つ魔力、美しさ、怖ろしさを存分に描いていただくのが最上ではないか。入門書で示す道よりはるかに険しくも誘惑に満ちた妖しの道を示してくれるのに・・・。

 歌舞伎を語り始める導入部分で「野郎歌舞伎」と呼ばれた時代の歌舞伎に思いを馳せる赤江氏の言葉が感動的。歌舞伎の世界を見渡して解説する後の章の文章よりも、赤江氏の思い入れが一点濃く現れるこの件が、私を含め読者にとっては一番刺激的なのではないだろうか。

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theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

2008-08-09

怪しの世界 : 橋本治・夢枕獏・いとうせいこう他

怪しの世界 / 橋本治・夢枕獏・いとうせいこう 他

 平成12年8月に国立劇場で行われた公演「新しい伝統芸能−怪しの世界」の台本を収録。

 薩摩琵琶  白鷺譚 上之巻「天守夫人」 下之巻「白峯」
  友吉鶴心 他/橋本治 作

 講談  ものいふ髑髏
  宝井馬琴/夢枕獏 作

 狂言  鏡冠者  野村萬斎 他/いとうせいこう 作

 
 伝統芸能において「新作」を試みることの意味、価値、面白さとは? 明快な答えの見つかりにくい、なかなか結果の出にくい、簡単には報われないことなのかもしれない。その「伝統芸能の新作」に、薩摩琵琶、講談、狂言の芸能者と、現代の人気作家が挑んだ。
  
 各台本の後には、それぞれの演者と作者による対談も収録されている。対談での言葉から察するに(というより、対談の言葉から察するまでもなく)、新作を手がけた作家は伝統芸能に対する愛も敬意も見識も十分にお持ちの、しかもとびぬけてクレバーな方々なのだ。そういう方々が書かれる「新作」なら、無用な懸念も猜疑心も持つことなく、全幅の信頼をもって身を委ねることができる気がする。

 演者と作者の対談部分では、それぞれが伝統芸能に関して持っている考えや想いやノウハウを確認しあうようなやり取りが見えて(その先に、次のステップへとつながっている道もうっすら見えるような気がする)、その刺激的な会話にワクワクするような興奮を覚えると同時に、この公演でのそれぞれの幸せな出会いに、清々しい余韻を感じることができる。

 
 巻頭には、橋本治氏による伝統芸能考「あるいは『風』について」が付されている。

 見る者・聴く者にとって伝統芸能とは、鑑賞し理解するものではなく、自然の中にあるときのように、一体化し、感じるもの。花や月を眺めるように、風を感じるように。

 そして、芸能者は月であり、花であり、風でなければいけない。自ら表現するものではなく、そこに在ることによって、見る者の中にある感情・感覚を呼び起こすものであること・・・それが芸能者の役目。このくだりは、いとうせいこう氏が何かの折に語っておられた「卑しくない表現」ということにも関わってくるのかな、と思う。

 短くて平易な文章で、日本人の身体感覚、感情の流れというものに沿って伝統芸能の見方を示してくれる橋本氏のこの伝統芸能考・・・ついつい、がさつな日常生活の中で忘れている自分の身体感覚をとりもどすためにも、折に触れて読み返したい文章だ。

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genre : 本・雑誌

2008-08-06

蘆屋家の崩壊 : 津原泰水

蘆屋家の崩壊 / 津原泰水

 三十路を過ぎて定職にも就かず、何やら酒の周辺をふらふらしている胡乱な男・猿渡は不思議を呼び込む人物らしい。猿渡の行くところ、決まって怪異が口をあけて待っている。

 猿渡と行動を共にする怪奇作家・・・長身を黒衣に包んだ通称「伯爵」 − 時に怪異の謎解き役となるこの人物・・・その風体は“いかにも”な感じがするが、意外にも飄々として軽やかなキャラクター。

 そんな迷コンビ・猿渡と「伯爵」が、行く先々で巻き込まれる世にも奇妙で怖ろしいお話七編。

 トンネル、狐、女、狛犬、甲羅に人の顔を持つ蟹、寄生する虫・・・日常といつの間にかすりかわり展開するホラーな世界は、そこに棲む人の念とからみあって生理的な怖ろしさをかき立てるのだが、その怪異にまみえる猿渡と「伯爵」のキャラクターが醸す可笑みが、どろどろとした怪奇な話に、軽やかでさらりとした感触を残す。

 怖ろしさと軽やかさの絶妙なバランスが、この作品の魅力の一つであろうと思われるが、都市伝説のようなもの、神話、伝承などを織り込んで構築された怪異の世界や、そこに「伯爵」のようなキャラクターをからませてきたことに、作者の技巧が臭う気がしないでもない。幻想・怪奇小説というよりも、「怪異の意匠をちりばめた、軽やかで洒落た知的ゲーム」と感じられてしまう。ちょっと、そのあたりの臭いが鼻について、心から楽しむことはできなかった。

 ・・・とはいっても、互いに無類の豆腐好きで、嬉々として全国豆腐食べ歩きの旅などしてしまう猿渡と「伯爵」のキャラクターが、この作品の味わいになっているのは確かで、この二人が小説界の名コンビの一つであるのは間違いないと思う。

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genre : 本・雑誌

2008-08-02

杉浦日向子の食・道・楽 : 杉浦日向子

杉浦日向子の食・道・楽 / 杉浦日向子

 日向子さんが語る「食について」「酒について」「生について」。そこここに日向子さんの「わがまま」が見える。

 『私たちの世界は、個々の都合に、おかまいなしに刻まれる〜』

 日向子さんの「わがまま」は、そんな世界の中で自分だけの時間を刻むためのこだわりか。

 愛用の酒器に小物を配して撮った写真がゆったりと刻む時間を感じさせてくれる。撮影余話に「時を知らせるものが好きで、時計もたくさん持っている。」という一文がある。そういえば、日頃、仕事や誰かとの約束で時間を気にすることはあるけど、自分一人の時にゆっくりと「時間」を意識したことが無いような気がする。

 日向子さんが自分の時を過ごす時に手にした酒器を見ていると、私も流れる時間を感じながら豊かに過ごすひとときを持ちたくなってくる。そんな時に、少しお酒を頂いてみるのもいいなぁ。

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genre : 本・雑誌

2008-07-30

博士の愛した数式 : 小川洋子

博士の愛した数式 / 小川洋子

 小川氏の小説はしん・・・としている。光、色彩、匂いはふんだんに描かれ、鮮やかに感じることができる。もちろん街の音や人の生活音もあるはずなんだけど、なぜか生々しい音が耳に聞こえてこない。無声映画を見ているように、耳ではなく目で音を感じているような・・・。

 これまで読んだ作品では、その静かさが何か冷たく怖ろしいものに感じられたのだけど、本作の静かさは、明るさと暗さが混ざりながらも、決して冷たくはない。大きな声を出すと消えてしまうものを見つめる眼差しのような、真摯な静かさ。

 事故の後遺症のため80分間しか記憶が保てない数学者。彼が住む離れを訪れる家政婦とその幼い息子。ひっそりと存在するこの世の真実を書きとめた数式をちりばめながら描かれる三人の交流。

 
 純粋なものに触れたとき、どうして心はこんなにも柔らかく、無防備になるのか?

 これまで見えていなかったものを発見する驚きと喜び、それによって生まれた新しく、豊かな意味に浸されるという祝福。

 発見されていなくても、記憶されていなくても、間違いなくこの世界に在るものの存在を想うことの、祈るような美しさ。

 博士と義姉が築いてきた想いは今、どこにあるのか?

 博士は何故、記憶を保てない人として物語に登場してきたのか?


 次から次に色んな想いがわいてきて、とてもひとつの言葉でまとめることが出来ない。すばらしい頭脳を持つ数学者なら、この想いも一つの数式で表してしまうだろうか?

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genre : 本・雑誌

2008-07-26

物語消費論−「ビックリマン」の神話学− : 大塚英志

物語消費論−「ビックリマン」の神話学− / 大塚英志

 「物」の持つ使用価値を消費し尽した社会にあって、人は「物」の背後にある「物語」を消費し始めた。

 『複製される物語』『消費される物語』『再生する物語』の各章にまとめられた、「物語消費」の周辺を語るエッセイ集。

 ここに収録されたエッセイが発表されたのは、今から20年程前のことで、現在はもう「物語消費」っていう事態を超えているんだろうとは思いながら(「物語消滅論―キャラクター化する『私』、イデオロギー化する『物語』」というのも出てるし)、これを読んでいないことは何だか心残りだったので、今更ながら読んでみた。

  
 人が自分の為の「物語」を求め、創作し、消費していくという事態・・・
 
 「ビックリマンチョコレート」を買い、シールを手にすることで、それが背後に持つ神話的世界にアクセスしようとする子供たちと、お布施を払い教祖の言葉、霊験を得ることで神の世界に触れようとする宗教が、同じ構図を持つこと。

 「死」のイメージに過剰反応する子供たちと、病床の昭和天皇に心を寄せる少女たちについて。

 人気コミックから基本プログラムのみを抜き取り、そのプログラムの下、自分の物語を書き始めてしまった同人少女たちのこと。又、抜き取られた基本プログラム(=世界観)の下、原作コミックとアマチュア作家たちによる二次創作が、「ありうべき物語」として等価となってしまうこと(それぞれの作者の力量の差はあるとしても)。

 ・・・

 そして・・・本書には「少年ジャンプ」について言及した箇所がある。その中に、最近の私の気がかり

『私が夢中になって読んだ「少年ジャンプ」って、私にとって何だったのか? または、「ジャンプ」に夢中だった(今もちょっと夢中な)私って何?』

 という問題に一部ヒットする記述があったので、「さすが大塚先生! ついていきますぅ〜」とか、思いそうになってしまった、ちょっとね。

 曰く、

 「少年ジャンプ」の作品は、それまでの<少年まんが>をより単純化して複製したものである。<少年まんが>の本質のみを抜き出し、デフォルメした奇妙な複製である「ジャンプ」作品は、当然のことながらすでに存在した<少年まんが>よりも<少年まんが>的である。


 「ジャンプ」が後発のブランドであるということは、つまりそういうことなのである、と。

 「複製」がオリジナルよりも本物らしいという逆説が成立する周辺事情については、本書の中にちりばめてある。

 「本物」よりも「本物」らしいマンガの「似姿」〜私を含め多くのマンガ読者が「サンデー」でも「マガジン」でもなく「ジャンプ」を選んだ理由の一端がここにあるのは間違いないように思われる。

 もう一つ、私が是非見てみたかった数字〜一般書店での「週刊少年ジャンプ」購買層の年代別、性別データが載せられているのも嬉しい。載せられているのはあくまで、一書店のある一時期のデータだが、参考にはなると思う。

 「少年ジャンプ」購入者のうち、小学生以下が20.6%、中学生が16.5%、高校・大学・専門学生が22.7%、それ以上の所謂大人が40.2%。男女比では92.8%が男、7.2%が女。

 この本の発行年からして、このデータはちょうど私がど真ん中で「ジャンプ」読者だった頃、そして「翼」「星矢」同人誌華やかなりし頃のものだと思われる。当時の私の位置がほんの少しわかった気がする。

 それにしても、大塚氏がまるごと一冊「ジャンプ」論を書いてくれたなら、私の気がかりはほとんど解決するような気がするのだが・・・。

 大塚氏の書くものは、どうにもこうにも私の嗜好を満足させる、又は抗い難く興味をそそるポイントを突いてくる上に、それが詭弁なのか、屁理屈なのか、それとも鋭い直感と綿密な検証によって裏付けられたものなのか考えさせない程、弁舌鮮やかに語られるので、ついつい私は無批判に、面白く、興奮気味に読み終えてしまうのだ。読む前はいつも警戒心を持って臨んでいるというのに・・・。


定本 物語消費論 (角川文庫)定本 物語消費論 (角川文庫)
(2001/10)
大塚 英志

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物語消滅論―キャラクター化する「私」、イデオロギー化する「物語」 (角川oneテーマ21)物語消滅論―キャラクター化する「私」、イデオロギー化する「物語」 (角川oneテーマ21)
(2004/10)
大塚 英志

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2008-07-23

なぜ子どもは「少年ジャンプ」が好きなのか : 馬居政幸

なぜ子どもは「少年ジャンプ」が好きなのか / 馬居政幸

 我ながら不思議でならないのだ。 「なぜ少女時代の私は『少年ジャンプ』が好きだったのか? そして、なぜ今も『少年ジャンプ』がちょっと好きなのか?」

 最近気になっているこの疑問の答えを見つけるべく、マンガ論やアニメ論にちょこちょこと手をだしている。タイトルがズバリだったので読んでみたのだが、本書は子どもの教育現場にある方々を主なターゲットとしているようで、私の興味のあるところとは少しずれた内容だった。

 「週刊少年ジャンプ」の600万部超という驚異的な発行部数に目をとめることから始まり、「ジャンプ」が発行部数を伸ばしていった背景、理由、そしてその膨大な発行部数が意味するものを探り明かす「少年ジャンプ」論。

 創刊より一貫して、読者である子どもたちの現実に寄り添い続けた「少年ジャンプ」。現実の枠や規範を破壊し超越する、子どもたちの為の解放区としてスタートした「ジャンプ」は、時代の変化と発行部数の伸びにしたがって、少年達が現実を生きるスキルを身につけていくための“もう一つの現実”へと変化していった。

 徹底した読者本位、徹底的に読者である子どもたち(子どもじゃない場合もあるが)のニーズを探り、応えていく姿勢が、子どもの現在をあぶりだし、結果的に「ジャンプ」を変化させていくことになる。その中で維持され続けた「友情、努力、勝利」の基本コンセプト。「ジャンプ」における不易流行。本書は、あの「読者アンケート」のイメージを少し変えてくれましたね。(私の中でジャンプの「読者アンケート」は、強引な打ち切りや、無理やりな連載引き伸ばしで作品を台無しにしてしまう諸悪の根源でしかなかったから。)


 さて結局、興味深く読んだものの、本書では私の疑問は晴れなかったので、自分なりに少し考えてみて、思い当たったことが一つ。私が「少年ジャンプ」好きだった訳、一つには私が女の子だったからではないかと・・・。

 私も一女子であるので、格好良い男子は好きだ。もちろん少女漫画にも“素敵な男性”“好ましい男の子”は登場するが、彼らの殆どは主人公の女の子のために用意されたもの。

 私は少女漫画を読んでいて、うまく主人公の女の子と同一化できたためしがなかったので、そんな私にとって少女漫画の男子たちはつまりみんな“他人のモノ”ということになる。“他人のモノ”を指をくわえて見ているなんて面白かろうはずがない。

 だから、他の女の子のものではない(と感じられる)、輝ける少年たちがうじゃうじゃといる「少年ジャンプ」にハマっていった・・・っていうのもあるのかなぁ。 

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2008-07-19

アニメと思春期のこころ : 西村則昭

アニメと思春期のこころ / 西村則昭

 10代の頃、漫画やアニメが大好きだった。そして、今でもちょっと好きだ。お笑い芸人や、男前な俳優達が出るTV番組よりも、アニメを見たり、漫画を読んでいる時間の方が圧倒的に多いし、楽しい。

 でも、なぜ私は漫画やアニメに夢中になったのか。そして、なぜ大人になった今でも、数あるエンターテインメントの中で殊に漫画やアニメを好むのか・・・気になって仕方がない。いい大人が、アニメや漫画に夢中になってしまうことには、「べつにいいじゃないか、面白いんだから」という思いとともに、拭いきれない罪悪感と恥ずかしさがつきまとう。だから、漫画やアニメが私にとって何であったのかを理解して、少しでも楽になりたいのだ、私は。

 そんな訳で読んでみたアニメ論。

 映像メディアが大量に消費される現代、それらが人々の心に振るう影響力も大きくなっているのではないか?

 ’90年代に放映され思春期前後の一部少年少女たちを熱狂させた、「セーラームーン」「スレイヤーズ」「エヴァンゲリオン」「機動戦艦ナデシコ」「少女革命ウテナ」といったアニメ作品を読み解きながら、その中でのアニメヒロインたちのあり方〜葛藤・成長と思春期の女子の心のありようを重ねて論じたもの。

 他者の欲望をうつして形づくられたお人形であったアニメのヒロインたちが、数々の試練を経験し、自らの心を獲得し、存在を主張するものへと変わっていった’90年代のアニメ。そういった「心」を獲得しようとするアニメヒロインたちは、成長過程の苦しみの中にある思春期の少女たちが、自らを投影する対象となり得た。

 ふむふむと読ませていただいた。といっても、すべての思春期の女の子が自分を投影する対象としてアニメの女の子を必要とするわけでもなく、感想としては、「まぁ、アニメをそういうふうに見ることもできるよね。」といったところか。気になるのは、少女たちが何のためにアニメのヒロインを必要としたか、ではなくて、少女たちが選んだのがなぜアニメのヒロインだったのか・・・というところなんだよなぁ。

 本書では「少女漫画的なものを背景にもつアニメと、それを好む女性」の心理的な関係が主に論じられていたが、ここに書かれたような関係はどうも私にはあてはまらない。私が子供の頃から好んで読んだのは少年漫画であり、少女漫画は私には全くしっくりこなかった。お断りしておくが、10代の頃の私は腐女子目線で少年漫画を読んでいたわけではない。概ね、世の純粋な子供としてキャラクターたちの大活躍をワクワクしながら読んでいたのだ。

 もっと他の角度から眺めたアニメ・漫画論も読んでみないとなぁ・・・と思う。

 男子の心理的成長とアニメの関係とか、心を持たないお人形(見る側の欲望をぶちこむ容器)としてのキャラクターの魅力についてとか、娯楽性を追及したアニメの様式美についてだとか・・・。

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Author:やぶからねこ

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